幼女再来のお時間です。
俺は八歳になった。
今日も朝から薪割りをする。
いつものように薪を割り、薪の山を作る。
その山に手をかざす。
『吸水』
一瞬にして薪から水分を吸い取り、水の塊を作り出す。
『顕現』
その塊は徐々に竜の姿へと変貌していく。
俺はようやくできるようになったと、心の中でガッツポーズを決めた。
このまま更なる段階へ挑戦する。
『水竜の足摺』
詠唱の瞬間、水竜は四方に飛散してしまった。
そのせいで、俺はずぶ濡れになった。
「いやぁ~惜しいところまでは来たんだけどな~」
そう嘆いていると、いつもの軽快な足音が聞こえてくる。
俺は悪寒がした。
これは濡れて冷えたせいではなく、別の明確な理由によるものだった。
俺は再び魔法で周囲の水を吸い上げ、
体を乾かしつつ、水の塊を悪寒の原因に向かって投げつける。
「パルく……」
クリスの顔面に見事に命中した。
俺はその場から背を向け、逃走を図ろうとする。
しかし、クリスの体表から蒸気が溢れ、水は瞬時に蒸発していた。
次の瞬間、クリスの姿が視界から消える。
背後に圧力を感じ、振り返ろうとしたその時——
固く鍛え上げられた胸板が、背中にぴたりと押しつけられた。
同時に、腹の辺りを背後からサワサワと撫でられる。
鳥肌が止まらない。
耳元でクリスが甘く囁いた。
「ねぇ、どうしてボクにそんな酷いことするのぉ?
もしかして、パル君は激しいのが好きなの? ボクはそれでもいいよぉ?」
俺は魔王と戦う時に匹敵する戦慄が背筋を走った。
さらに、先程の魔法の影響で高温となったクリスの皮膚が、
背中に焼き付くような痛みを加える。
このままではまずい。
俺は体を最大限に脱力させ、前方へ倒れ込んだ。
体表から蒸気が上がり、肌が赤く染まる。
『武技:縮地/ 一割』
即座にクリスから離れることに成功した。
俺は振り返って言った。
「お前、毎回毎回どうしてそんなにベタベタするんだ。
俺たちは男同士だろ!?
幼馴染みだろ!?」
「ごっ、ごめん……。
友達でも、スキンシップは大切かなって……」
俺は悟りを開きそうになった。
真顔で見つめていると、クリスは少し寂しげに話し始めた。
「今日はね、ボクが九歳になったから、村を出て行く報告をしに来たんだぁ」
そのしょげた口調と表情に、
俺は先程あんなに拒絶してしまった手前、申し訳ない気持ちになった。
「そっか。もう、そんな年か。
お別れなのにプレゼントも何も準備できなくてごめんな」
「そんな気にしなくていいよ。
それに、ボクが欲しいものはすぐ用意できるものなんだ」
「すぐに? 俺にできることなら何でも言ってくれ!
さすがに、何もしてやらないと快く送り出せないからな」
するとクリスは急にモジモジし始めた。
そして恥ずかしそうに答える。
「ボクにもう一回、キスしてくれないかなぁ」
俺はクリスを魔族でも見るかのように睨みつけた。
「い、いや、冗談だよぉ。
ボクが本当にお願いしたいのは、これをボクの代わりに預かってて欲しいんだぁ」
そう言って渡されたのは、禍々しい色をしたどす黒いアクセサリーだった。
俺が「これは何?」という顔をしているのに気づいたのか、クリスは補足した。
「これはね、いつもパル君と稽古してるあの窪んだところで拾ったボクの宝物なんだ。
ボクとパル君の友好の印に、持ってて欲しいんだ」
俺は了承し、そのアクセサリーを受け取った。
クリスはそれを渡すと、そのまま家に帰ってしまった。
俺は結局、最後まで見送っていた。
変なヤツだとは思うけど、
出会ってから四年、一緒に過ごした時間は楽しかったなと思い返す。
後一年経てば俺も村を出るし、近い将来また会えるだろうと楽観的に考えていた。
そんな別れもありつつ、俺はいつものように魔法と剣術の日々を送っていた。
そして、もう少しで九歳になる頃——
俺はいつもクリスと訓練をしていた村から少し離れた地面の凹んだ所で、
一人剣術の練習をしていた。
辺りは既に暗くなり、日が落ちかけていた。
湿地林に何度も出入りするうちに暗視の魔法を習得していた俺にとって、夜中の訓練などお構いなしだった。
黙々と剣を振るっていたその時、村の方からミサイルでも落ちたかのような轟音が響き渡った。
俺は瞬時に村の方へ振り返り、状況を確認した。
村の中央には巨大なすり鉢状の穴が開き、周囲は燃えていた。
「父さん、母さん……」
気付けば、俺は駆け出していた。
『武技:縮地/ 三割』
まだ俺の体は未完成だ。
勇者として女神から再構成された体とはいえ、それは半神半人にも等しい特別なものだった。
女神の力が僅かに宿っているため、短期間で強くもなれるし、技の反動にも耐えられる。
しかし、今の俺の肉体はまだ骨格的に未熟で、純粋な人間の域を出ていない。
だから武技も魔法も、全力ではまだ扱えない。
非常時であるほど、自分の無力さを痛感する。
村に近づくと、怒号が聞こえてきた。
「この化け物がぁぁぁ!」
「おい、残ってる男どもは加勢しろぉぉ!」
状況は掴めないが、確実に最悪の事態が起きている。
『武技:軒轅の獣鎧/ 三割』
淡い黄金の甲手で炎を掻き分け、村の中心へと急ぐ。
『武技: 穿刺』
蜂の針のように細い剣を操るクリスの父が見えた。
「くたばれぇぇぇ!」
その横では、俺の父が巨大な斧を振り回している。
二人が武器を向けている相手は、見覚えのある魔族だった。
奇襲作戦で俺たちを襲ってきた二人のうちの一人
——あの幼女だ。
幼女は両側からの挟み撃ちを巧みに防いでいた。
クリスの父の鋭い突きは、右手の人差し指と親指で楊枝を摘むように止められる。
俺の父が繰り出す、
大木すら薙ぎ倒す一撃は、
黒光るガントレットを装着した左腕で受け止められていた。
完全に防がれている。
——これは好機だ。
今、幼女の両手が塞がっている。
ここに俺が加勢すれば、必ずダメージを与えられる。
俺は現状で瞬時に出せる最高火力の一撃を放った。
『武技: 呉剛』
何千、何万と薪を割り、
木々を伐ってきた一振りは、
やがて二振りとなり、百、千、万へと至る。
一撃は万撃に等しく、数年前の俺の全てを込めた必中かつ最大の技だった。
剣は幼女の脳天を正確に捉えた——はずだった。
しかし、剣はガラスのように豪快に砕け散った。
「クソッ、木剣じゃダメだったか……」
当然だ。
子供に本物の剣など持たせてくれるわけがない。
剣が使えないなら、体術か魔法しかない。
幼女は可愛らしい面影など微塵も感じさせない、歪んだ笑みを浮かべた。
『スキル:巨神の寛帯』
金髪が百獣の王のように逆立ち、額には太陽のような輝く帯が巻き付く。
刹那、クリスの父が握るレイピアの剣先は人差し指に軽く食い込まれただけで木剣のように砕け散った。
幼女は空いた右手を流れるように俺の父の鳩尾へ伸ばし、抉るように拳を捩じ込んだ。
父は吹き飛ばされ、視界から消える。
そして幼女も姿を消した。
見失った——と思った瞬間、すぐに捕捉した。
幼女の右手の爪先が、赤く染まっていた。
爪の先からワインを注ぐように、地面へポタポタと血が滴り落ちる。
クリスの父の瞳孔は大きく開いていた。
『スキル:憤怒の狂躁』
俺は意図せずスキルを発動させていた。
周囲を包む炎よりも激しく、怒りに燃えていた。
体表から激しく蒸気が噴き出す。
『武技:縮地五割』
視界を遮る蒸気を切り裂くように突き進む。
音速に迫る瞬足の特攻。
相手の死角に滑り込む。
右足を大きく踏み出し、右膝を直角に屈曲。
左足で地面を蹴り、
その勢いのまま後方へ線を引きながら左足を滑らせる。
左手を相手の顎に伸ばし、右肩の肩甲骨を限界まで寄せる。
弓のように左手を引き、
骨盤が軋むほどに体を捻り、
右腕を駆動させる。
地から天へと重力に抗う軌道を描く。
拳が螺旋を描きながら幼女の顎へと迫る。
幼女は俺の一連の動きを視界に捉えていた。
しかし、避けようとはしない。
むしろ、笑みを深くする。
戦いを楽しんでいるのか?
ふざけやがって。
拳が顎に着弾する瞬間、
俺はさらに拳を強く握り締めた。
周囲の炎が大きく揺らめくほどの一撃を叩き込む。
幼女の瞳がぐるんと回り、
白目を剥いた。
体勢が大きく崩れ、足が縺れる。
ところが、すぐに瞳に光が戻り、
崩れた体勢のままハンマーのように自分の額を俺の額に叩きつけてきた。
脳が激しく揺れる。
意識が掠れる。
額からは血が滲む。
俺は地面に叩きつけられた。
あまりの衝撃に、受け身を取ることすらできなかった。
間違いなく頸椎と頭蓋骨が損傷している。
しかし、遠のく意識すら強引に引き戻す灼熱の痛みが、頭部と首元を駆け巡る。
武技を使う時とは明らかに違う、
湯気のようなものが立ち上り、
ジュウッと肉を焼く音が響いた。
即座に俺の肉体は再生していく。
これはギルガメッシュ曰く、スキルの成長らしい。
スキルは人生そのものだ。
武技にも、魔法にも、強く影響する。
『スキル拡張:不壊の火怒羅』
これが俺の超越した再生力の仕組みだ。
このスキルは常時発動している。
傷は癒えた。
だが、この絶望的な状況は何も変わらない。
とりあえず、幼女から距離を取る。
すると、足で何かを弾く感触があった。
それはクリスの父が使っていたレイピアだった。
彼は元近衛騎士。
きっと扱う武器も上質なものに違いない。
だとすれば、『電磁砲』が使えるかもしれない。
この世界では、杖のような魔力を流す武器を介することで、
魔法の出力や発動速度を高めるのが常識だ。
理想を言えば、武器など使わなくてもミルディンのように魔法を操れるようになりたい。
だが、言い方は悪いが、武器に頼って魔法を使うのは二流の証だ。
そう、俺は二流なのだ。
どうしても一年半という時間では、武器なしで魔法を扱えるようにはなれなかった。
だから、このレイピアに魔金属が混じっているなら、まだあいつを倒せる可能性がある。
俺はレイピアを手に取り、銃を構えるように剣先を相手に向ける。
『電磁砲』
剣が白い輝きを放つ。
チャージしている暇などない。短縮して放つしかない。
『発射』
柄を囲うように魔法陣が一つ出現し、回転しながら剣先へと集束する。
その魔法陣は暗い空を煌々と照らし、まるで光源そのものへと変貌した。
そして、閃光は音を置き去りにして幼女の眉間へ一直線に放たれる。
またもや幼女は笑みを浮かべていた。
幸いにもこのレイピアは魔金属が混じっていた。
純正品よりは劣るが、魔法が放てるだけマシだ。
至近距離で、最低出力とはいえ、
武器の性能による威力低下があったとしても、致命傷は免れないはずだった。
なのに、この幼女は笑う。
奇襲の時も、先ほども、今も——ずっと笑っている。
戦闘狂というヤツなのだろうか。
着弾する瞬間まで、微動だにしなかった。
ただただ、笑みを浮かべるだけだった。
幼女は激しく後方へ吹き飛ばされる。
ちょうど薪の山に激突し、周囲の火が一気に引火した。
幼女は業火の中に閉じ込められた。
大したダメージになるとは思えないが、時間稼ぎにはなるだろう。
俺はまだ生存の可能性がある父のもとへ急いだ。
父は家の壁を突き破り、室内まで吹き飛ばされていた。
室内を覗くと、床には噴き出したような血痕が広がっている。
その血痕を辿っていくと、壁にもたれかかるように地面に尻をついた父の姿があった。




