新たな恋のお時間です。
六歳になった。
ようやくはっきりとした発音ができるようになった。
三歳の時に湿地林での伐採を目撃して以来、俺は毎日のように父に同行し、
冬が過ぎれば薪割りや農作業を手伝っていた。
こうしてこの体になって初めて肉体を酷使して気づいたのは、回復速度が異様に早いことだった。
まるで血液がポーションにでもなったかのような速度である。
ある時からギルガメッシュも夢に出なくなった。
何がなんだか分からないが、まあ俺に不都合はない。
早く強くなるためには、この能力を活用しない手はないだろう。
そもそも、止めようとしても止められるものではないが。
この能力のおかげで、あの地獄のような訓練に近いことも可能になった。
この世界では、魔力を枯渇させた分だけ潜在的な魔力量を伸ばすことができる。
赤子の頃から魔力を使い続けている俺にとって、これは圧倒的なアドバンテージだ。
ただし、魔力量が多くても、それを運用する技術や才能は別途成長させる必要がある。量だけでは強くはなれない。
俺はミルディンに教えてもらったことを思い出しながら、今日も薪割りに励む。
丸太を土台に乗せ、魔法で一撃で割れる最適な場所を見抜く。
そして角度と力の伝え方を調整して斧を振り下ろす。
心地よい音を立てて、真っ二つに割れる。
それを薪のサイズになるまで繰り返し、割れた薪を円錐形に積み上げる。
両手をかざす。
『吸水』
一本一本に魔力を浸透させ、外へ引き上げながら薪の中の水分を八割ほど吸い取る。
手元に微細な水滴が集まり、大きな水の塊を形成し始めた。
『顕現』
水の塊がぐにゃぐにゃと動く。
しかし、それだけだった。
ぐにゃりと歪んだ後、地面に落ちてただの水溜まりになる。
「今日も失敗かぁ……」
ため息をついていると、機嫌の良さそうな足音が近づいてきた。
「パル君~、今日も薪割ってるのぉ?」
視線を向けると、そこには中性的な顔立ちをした美少年が立っていた。
クリクススだ。
この村では九歳になると村を出て学校に行く子が多いため、同年代の子供は少ない。
彼はそんな数少ない一人で、四歳の頃からやたら俺に話しかけてくるようになった。
「クリクススはお父さんと剣の稽古をつけてもらうんじゃなかったのか?」
「もぉ~、何度も言ってるけどクリスって呼んでよぉ!」
ムッとした表情で彼は言う。
毎回思うが、この喋り方と容姿が相まって、たまに性別を疑ってしまう。
「はいはい、クリスは稽古どうするの?」
ご満悦な表情でクリスは答えた。
「実はね、いつもパパと稽古するのは退屈だから、パルと一緒にできたら楽しいだろうなって思って、誘いに来たのぉ」
クリスは薪割りでできた豆だらけのゴツゴツした手を、俺の両手で引っ張る。
しかも上目遣いで訴えかけてくる。
相手は七歳で年上だが、精神年齢で見ればただの子供だ。
なのに、俺にはミルディンがいるというのに、なぜかドキドキさせるような仕草を平気でしてくる。
俺は引っ張る手を払い、投げやりに答えた。
「どうせ、俺が断っても簡単に諦めてくれないんだろ?
だったら、その誘いに応えるしかねぇな」
するとクリスは嬉々として俺の手を引っ張り、稽古場所へと連れて行った。
村から少し離れた場所。
地面には不自然な大きな凹みがある。
恐らく、俺がギルガメッシュを倒した時の跡だろう。
思わず感傷に浸ってしまう。
立ち尽くしていると、ガタイの良い隻腕の男性が現れた。
クリスの父だ。
王国近衛騎士団に所属していた経験を持つ、かなりの腕前の持ち主である。
他国との戦争で片腕を失い騎士を辞めたが、故郷に戻ってからも利き腕は残っているため、その強さは健在だ。
「君がパル君か」
「はい。コテュスの息子です。
いつもクリクススと仲良くさせてもらっています」
「そうか。コテュスの息子にしては随分礼儀正しいんだな!」
……やはり父はどこでもガサツな男だと再確認した。
「パル君、木剣だけど、扱ったことはあるかい?」
「軽くなら扱ったことがあります」
少し驚いたような表情をした後、彼は俺の目の前に木剣を差し出した。
俺はそれを受け取る。
どこか懐かしい感触だ。
クリスは察したのか、少し離れた場所へ避難した。
お互いに間合いを取る。
「開始の合図はどうしますか?」
「このコインが落ちたらにしよう」
クリスの父は袋からコインを取り出し、袋を近くに放り投げた。
コインを親指で弾き、真上に高く打ち上げる。
コインは何度も回転しながら落ちてくる。
地面にコインが接地した刹那
——俺は彼の死角であり最大の弱点である左側へ体を滑り込ませ、
本来なら上半身を狙いたいところだったが、まだ六歳で小柄なため、
膝関節に斜め四十五度の斬撃を放とうとした。
しかしその動きは読まれていたようで、
彼は体を瞬時に半身に反らし、
俺の剣は空を切る。
そこに隙が生まれた。
彼は反らした勢いを右足を軸にした回転に変え、
俺の側頭部へ高速のカウンターを放ってくる。
俺は小柄な体格を生かし、
後方へブリッジのように反らしてかわした。
起き上がる反動を利用して前方へ滑り込み、剣を突き刺すように繰り出す。
狙いは軸足の膝。
彼は気づいたものの、先のカウンターで腕を振り切りすぎており、
対応が遅れる。
俺は膝に当たる寸前で剣を止めた。
すると彼は「はぁぁ……」と大きく息を吐き、尻餅をついた。
「いくら片腕になったとはいえ、私が負けるなんて夢にも思わなかったよ。
本当に軽くしか剣を扱ったことはないのかい?」
俺は含みのある笑みで答える。
「はい。生まれてから剣を握ったことはほとんどありません。
斧なら三歳の半ばから毎日握ってますけど」
彼は起き上がり、俺の目線に合わせて言った。
「もし、君が九歳になってこの村を出る時に剣士になりたいと思うなら、私に一声かけてくれ。騎士時代のコネを使って全力でサポートするよ。君にはその才能がある」
俺は明るく返事した。
「はい! その時は遠慮なくお願いします!!」
その会話を聞いていたクリスが、驚いた表情で駆け寄ってきた。
「パル~君って本当に凄いねぇ!!! ボクともぜひ、一戦交えて欲しいなぁ~」
興奮した様子で決闘をねだってくる。
「いいよ。今の一戦で疲れてるから、手加減してね?」
俺は軽く冗談を言いながら、申し出を承諾した。
どうせ子供に負けるわけがない——そう思っていた。
クリスは父から木剣を二本受け取り、俺は違和感を覚えつつ距離を取る。
クリスも距離を取り、構えた。
その構えは独特だった。
右足を踏み出して半身になり、右手の剣を胸の高さに構え、俺の喉元を狙うように剣先を伸ばす。
左手の剣は左肩のやや高い位置に盾のように構え、剣先を斜め上に向けていた。
今度は俺がクリスの父からコインを受け取り、それを弾き上げる。
落ちた瞬間――クリスの実力が未知数であるため、俺はわざと大振りの一撃を放った。
右足を鋭く水平に踏み込み、
踵を浮かせていた左足のつま先でバネのようにさらに推進力を加える。
目線よりやや高めに振りかぶった剣を、クリスの脳天に向かって振り下ろす。
クリスは二本の剣をクロスさせ、振り下ろした斬撃を受け止めた。
そしてそのクロスさせた剣で俺の剣を時計回りに絡め取り、真下へいなす。
俺の剣先は強制的に下方へ向けられた。
クリスは回すように剣をいなした遠心力を利用し、
踏み込みの勢いを加速させ、
左右の剣を俺の両側頭部に向かって振り抜く。
経験したことのない攻撃に驚きつつも、
俺は真下にいなされた衝撃を利用して膝を屈曲させ、重心を沈めた。
本来なら側頭部に直撃するはずの剣筋は空を切る。
するとクリスは、剣先が両肩に向くほど振り切りすぎてしまった。
俺はこの好機を逃さず、クリスの斜め下方から、柄の向きを変えて脇腹を狙う。
この大振りを完全に振り切った状態で、下からの攻撃を防ぐのは不可能だと勝利を確信した、その刹那。
クリスの体表から蒸気が立ち上り、全身が赤みを帯びた。
クリスは振り切った状態から、再び真上へ剣を振り上げる。
もちろんそこに俺はいないので空振りになるが、その速度は尋常ではなく、遠心力で真後ろへバク転する。
舞うように、俺の不可避のはずだった攻撃を回避した。
(コイツ、無意識に身体強化魔法を使いやがった……)
別に俺も使ってもいいとは思うが、
こんな子ども相手に、
高校時代に剣道全国大会ベスト4入りし、それ以来一度も鍛錬を怠っていないこの俺が魔法に頼るなんて、
大人気ない気がしてならなかった。
だから俺は、純粋な技術だけで勝ちたいと強く思った。
クリスがバク転から着地する瞬間、
俺は滑り込むような足捌きで爆発的な推進力を生み出し、
さらに左足を真後ろに振り抜く。
その力を加えて、剣先を矢のように突き出した。
クリスが地面に足をつけた時には、
俺の突きはすでに鳩尾の寸前まで迫っていた。
しかしクリスは超人的な速度で、
下から上へ右手の剣で弾き上げ、
即座に左の剣で俺の側頭部を狙ってくる。
俺は真上に弾かれた剣に体を持っていかれないよう、すぐに剣を手放し、
重心を下方へ逃がして回避した。
すかさず弾き上げられて回転する剣を掴む。
運が悪いことに、掴んだ瞬間、剣先は前ではなく後ろを向いていた。
つまり、俺は刀身を握っている。
一か八か、両手で柄を剣先に見立て、後方へ大きく振りかぶる。
回避の勢いに乗せて、クリスの脳天を割り砕くつもりで振り下ろした。
クリスは重心をやや後ろにずらし、
体を反らすような体勢を取る。
左足を大きく後ろに下げ、衝撃に耐えるクッションを作った。
そして再び両剣をクロスさせ、俺の渾身の一撃を受け止める
――が、両者の剣が激突した瞬間、木剣は砕け散った。
互いの勢いは止まらず、前進する俺はそのままクリスにもたれかかる。
クリスは体を反らしていたため、その重みに耐えきれず地面に倒れ込んだ。
結果、俺はクリスを下敷きにする形で地面に叩きつけられた。
周囲に砂埃が舞う。
俺は唇に妙な感触を覚えた。
いや、正しくは思い出したというべきか。
そう、俺は今世でのファーストキスを、男であるクリスとしてしまったのだ。
俺は慌てて体を起こした。
「ク、クリス、ごめん!! これは事故だから!!」
必死に謝罪と弁解をするが、なぜかクリス
は恍惚とした表情を浮かべている。
嫌な予感がした。
「もしかしたら頭を打った衝撃で大事になるかもしれないから、クリスのお父さん呼んでくる!!」
そう言い残し、俺はその場から逃走した。
これを機に、クリスからの接し方は徐々に――いや、明らかに歪んでいったのだった。




