疑うお時間です。
俺は、自分の中に眠る何かがゆっくりと俺を蝕んでいくのを感じていた。
抗う気はなかった。
それに身を委ねることは、自分にとって良いことだと、心のどこかで感じていたから。
意識が朦朧としていく。
覚束ない足取りで、魔王のもとへと向かう。
氷のように固まり、微動だにしない魔王。
俺は剣を振り上げる。
柄を握り締め、爪が潰れるほどに力を込めた。
乱れた一撃を叩き込む。
しかし、びくともしない。
相手は反撃すらできないというのに、傷一つつけられない。
悔しさが胸を焼く。
再度、剣を振り上げる。
『スキル:憤怒の狂躁』
周囲が霧のように白く染まるほど、蒸気が噴き出した。
体表が赤く熱を帯びる。
振り上げた剣の刃に、俺の両頬と額、顎に刻まれたような印が、ぼんやりと反射していた。
瞳の周囲から火花が散り、口から泡を吹きそうになるのを必死に堪える。
もう一撃。
片方の角が回転しながら、荒野の彼方へと消えていった。
渾身の一撃でも、俺はただ一角を削り取っただけだった。
なんて無力なんだ。
悔しい。
己の弱さが。
憎い。
誰一人守れない自分が。
「……レオニダス、俺に力を貸してくれよ……」
『武技:不退の帝王』
この技はレオニダス専用のものだ。
厳密にはアイツ以外が使うと身体が持たないからだ。
心拍が信じられない速度で加速する。
体内を血流が駆け巡り、鼓動が耳の中でうるさく鳴り響く。
皮膚は赤みを増し、光さえ帯び始めた。
鼻血が垂れる。
だが、そんなものはどうでもよかった。
目の前の奴を八つ裂きにできるのなら。
剣を振るう。
剣を振るう。
何十、何百、何千という乱雑な斬撃が、俺の身体から繰り出される。
思考も身体能力も、血流が限界を超えたことで加速していた。
周囲から見れば、何十もの斬撃が一太刀に見えるほどに。
音速を越え、一撃ごとに地面が沈み込む。
手が摩擦で血塗れになろうと、
目から血の涙を流そうと、
末端から出血しようと、剣は止まらない。
魔王の身体に、微細なヒビが刻まれていく。
しかし、まだ決定打に欠けていた。
俺は身をもって知る魔法を重ねる。
「……ミルディン……借りるぞ」
『竜の息吹』
天高く振り上げた剣を、振り下ろす一撃に魔法を乗せた。
剣は音速を二段階超え、極超音速へと達する。
空気がまとわりつき、それを掻き分けるように剣筋が魔王へと迫った。
その一撃は魔王を真っ二つに切り裂き、湿地林まで斬撃が届いた。
周囲には数百メートルに及ぶ巨大なクレーターが刻まれていた。
さっきまでうるさかった心臓の音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
視界は真っ暗。
もはや自分が立っているのか、どういう状態なのかさえ感覚がない。
この感覚には覚えがあった。
死の前兆だ。
正直、ここで力尽きてもいいと、心のどこかで思っていた。
レオニダスとの盛大に弔う約束は果たせない。
ミルディンに警察官の話を聞かせる約束も、守れない。
しかし、勇者としての女神との約束、そしてミルディンやレオニダス、この王国の人々の悲願は、果たすことができた。
だから、俺は笑顔で逝ける――。
焼けるような痛みで、俺は目を覚ました。
「勇者様、気がお戻りになりましたか?」
枕元に座り、俺を見下ろすメイド姿の女性がいた。
顔に見覚えのないメイドだった。
城には多くの使用人がいる。
知らない人間がいても不思議はない。
そう思い、違和感を軽く流した。
「今、目が覚めたけど……
ここは城だよな?
誰が俺をここまで運んでくれたんだ?」
「はい。こちらは以前、勇者様がお過ごしになっていたお部屋でございます。
勇者様をお運びになったのは、王国近衛騎士団の皆様です」
「俺の怪我は……ポーションで治したのか?」
「最高級のポーションと、魔術師の皆様による回復魔法のおかげで、一命を取り留めることができました」
「そうか……今から礼を伝えに行けないか?」
「それはご遠慮願います。勇者様はまだお体が万全ではございませんので」
「俺の体のことは俺が一番わかってる。それでもダメか?」
「勇者様のご容態は、思っていらっしゃるよりも重症でございます。
いつお亡くなりになってもおかしくない状態です。どうか安静にしていてくださいませ」
「へっ、そうかよ。じゃあ、一人にしてくれないか? 魔王との戦いの後で、気が収まらないんだよ」
「承知いたしました」
メイドは足音も立てずに、静かに部屋を退出していった。
やはり、あの女は怪しい。
情報商材を「絶対に儲かる」と豪語する詐欺師並みに怪しい。
まず、今回の奇襲作戦は極秘中の極秘だった。
国王と数人の幹部、俺たち以外には知り得ない情報だ。
対外的には戦線の視察という名目になっている。
つまり、あの湿地林を抜けるルートは、外部には一切知らされていないはずだった。
次に、あの女は「王国近衛騎士団の皆さんが運んで来た」と言った。
これが最もおかしい。
その騎士団の面々は、もうこの世にいないからだ。
矛盾だらけだった。
気を失っている間に、何らかの細工を仕込まれていてもおかしくない。
俺は窓を開け、部屋を抜け出した。
目指すはミルディンの塔だ。
「勇者が脱走したぞぉぉ!!!」
「おい!! 早くあの女を呼べ!!」
逃走はすぐにバレた。
しかし、この場内で一息つける場所は一つしかない。
目の前に巨大な扉が現れる。
『解錠』
巨大な扉が独りでに開き、そして閉じた。
『起動』
仕掛けが作動し、長方形に地面が持ち上がり、下に暗闇が広がる。
『点灯』
連鎖するように灯りが点る。
俺は急いで階段を駆け下りた――が、足が縺れて何段も転がり落ちてしまった。
「いってぇ……」
幸い、怪我はなかった。
俺はミルディンの部屋に押し入る。
そこには、ついこの前まで二人で研究し、寝不足になるまで語り合った部屋が、そのまま残っていた。
どうも、この世界に来てから涙脆くなった。
前世では、家族を亡くして以来、涙など枯れ果てたと思っていたのに。
俺はミルディンの椅子に腰を下ろし、まずは落ち着くことにした。
懐からエメラルドを取り出し、机にそっと置く。
それを眺めていると、あの前夜のことが思い出された。
「……そういえば、部屋に入る前になんかドタバタやってたけど、ミルディンは一体何を隠してたんだ?」
俺の心に住まう悪魔が、そう囁いた。
魔が差したのか、俺は引き出しの奥にある分厚い紙束を取り出した。
(これも魔王が悪い)
そんなことを思いながら、皮でできた分厚い紙束を一枚一枚めくっていく。
そこに記されていたのは、魔王との戦いで俺が放ったあの封印魔法についての研究だった。
俺はミルディンの数年間の研究を追うようにして読み進めていった。
何時間も経過した。
ついに最後の一ページに辿り着く。
そのページの見出しには、こう書かれていた。
「これを盗み見る覗き魔のオーズさんへ」




