心臓を終わらせる方法
数日後。
私たちは、町の記録庫にある古い資料を前にしていた。
机の上には、魔女の家から持ち帰った小さな金属の札。
そして、その札と同じ紋章が描かれていた古い地図。
ここ数日、ノアはその二つを何度も照らし合わせていた。
「何か分かりましたか?」
私が尋ねると、ノアは手元の紙から顔を上げた。
「まだ、確かなことは言えません」
そう前置きしてから、彼は一枚の記録をこちらへ向けた。
「ですが、一つだけ気になる記述がありました」
そこに書かれていたのは、古い薬草園についての記録だった。
薬草園は、魔法を扱う者たちが使う場所でもあったらしい。
けれど、ある時期を境に、その記録から魔女の名前が消えている。
「名前が消えた?」
「はい」
ノアは別のページを開いた。
「この頃から、魔女についての記録そのものが極端に少なくなっています」
「どうしてですか?」
「分かりません。ただ――」
ノアの指が、ある一文の上で止まった。
「心臓について触れた記述があります」
胸の奥が、わずかにざわめいた。
「魔女の心臓?」
「おそらく」
ノアは慎重に言葉を選んだ。
「魔女が亡くなったあと、その心臓に残った魔力と感情を、いつか終わらせる方法がある……という記述です」
私は息を止めた。
「終わらせる……?」
「はい」
ノアは頷いた。
「ただし、具体的な方法までは書かれていません」
期待した直後に、肩の力が抜ける。
「なんだ……」
思わず呟いた。
けれど、ノアは続けた。
「ただ、一つだけ条件のようなものが書かれています」
「条件?」
「その心臓を宿している本人の意思が必要だ、と」
私は黙った。
指先が冷たくなる。
「……私の?」
「おそらく」
「私が、終わらせたいと思わなければいけないということですか?」
「そこまでは分かりません」
ノアは首を横に振った。
「ただ、継承者の意思なしに終わらせることはできない。そう読めます」
私は胸元に触れた。
ここにあるもの。
生まれたときから、私の中にあったもの。
魔女が抱いた感情。
何百年もの間、受け継がれてきた心臓。
それを終わらせる。
その言葉が、急に現実味を持った。
「……ノアさん」
「はい」
「どうして、そんなことを調べていたんですか?」
ノアが顔を上げた。
「心臓を終わらせる方法を、探していたんですよね?」
「……はい」
迷いのない返事だった。
私は少しだけ視線を落とした。
そのこと自体は、驚きではなかった。
ノアが私を訪ねてきた理由。
それが魔女の心臓にあることくらい、最初から分かっていた。
私が魔女の心臓を持っているから。
だから、彼は私の前に現れた。
分かっていた。
分かっていたはずなのに。
「……そう、ですよね」
自分でも驚くほど、小さな声が出た。
「リゼット嬢?」
「いえ……」
私は首を横に振った。
「ただ、改めて聞くと……少し寂しいですね」
ノアが黙る。
「私が魔女の心臓を持っているから、ノアさんは私を訪ねてきた」
「はい」
ノアは否定しなかった。
「そのことは、最初から隠すつもりはありませんでした」
「分かっています」
私は笑おうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
「責めているわけではないんです」
むしろ。
責めることなんてできない。
それがノアが私を訪ねてきた理由なのだから。
ただ――。
この数日間のことを思い出してしまう。
一緒に本を探したこと。
古い記録を眺めたこと。
魔女の家まで歩いたこと。
帰り道に話したこと。
何でもないことで笑ったこと。
私は、それが少しずつ好きになっていた。
ノアと一緒にいる時間そのものを。
だからこそ、怖かった。
もし全部が、魔女の心臓を調べるためだけの時間だったら。
「……ノアさん」
「はい」
「私に会うのは、心臓のためだけですか?」
ノアの表情がわずかに揺れた。
「違います」
すぐに返ってきた言葉だった。
けれど、そのあとに続く言葉を探すように、ノアは黙った。
私は彼を見る。
何を考えているのか、分からない。
「……すみません」
私は視線を落とした。
「変なことを聞きました」
「いいえ」
ノアは静かに答えた。
「聞いて当然のことだと思います」
その言葉に、少しだけ胸が痛んだ。
ノアが何かを隠している。
それは、たぶん間違いない。
けれど、それが何なのかはまだ分からない。
「じゃあ……一つだけ教えてください」
「何でしょう」
「心臓を終わらせたいと思ったのは、魔女との約束があるからですか?」
その瞬間。
ノアの顔から、わずかに余裕が消えた。
長い沈黙が落ちる。
やがて、彼は小さく頷いた。
「……はい」
「どんな約束ですか?」
尋ねても、ノアは答えなかった。
私はそれ以上、聞かなかった。
今の彼の表情を見ていると、無理に聞いてはいけない気がした。
けれど。
胸の奥には、新しい疑問が残った。
魔女は、ノアに何を約束させたのだろう。
そして――。
その約束のために、ノアは今まで何をしてきたのだろう。
私はまだ、何も知らなかった。




