胸の奥にあるもの
記録を調べたあと。
私たちは、町の小さな喫茶店にいた。
魔女がノアをどう見ていたのか。
それについては、少しだけ分かった。
けれど、心臓については何も分かっていない。
そして、あの家で感じたものについても。
「少し休みませんか」
ノアがそう言って、向かいの席に座った。
「最近、調べてばかりでしたから」
「そうですね」
私は頷いた。
テーブルの上には、ノアが頼んだ紅茶と、私の前に置かれた温かい飲み物。
窓の外では、人が行き交っている。
特別なことは何もない。
ただ、ノアと一緒に座っている。
それだけだった。
「今日見た記録ですが」
ノアが口を開いた。
「もう少し調べてみようと思います」
「まだ何か気になることが?」
「はい。あの紋章が、なぜ魔女の家に残っていたのか」
ノアは少し考えるようにカップを見た。
「それが分かれば、あの人が何をしていたのかも、もう少し見えてくるかもしれません」
「そうですね」
私は返事をしながら、ノアを見た。
記録を読んでいたときの顔を思い出す。
私はまだ、ノアのことをよく知らない。
けれど。
少しずつ知っていきたい。
そんな気持ちがあることには、気づいていた。
「どうしました?」
「え?」
「さっきから、僕の顔を見つめていますが」
そう言われて、私は慌てて視線を逸らした。
「……すみません」
「いえ」
ノアは少し笑った。
「何か変なところでもありましたか?」
「そういうわけではなくて……」
私は言葉に詰まった。
何と言えばいいのだろう。
あなたのことを知りたい。
そんなことを、突然口にするのは恥ずかしかった。
「……さっきのことを思い出していました」
「さっき?」
「はい。魔女がノアさんを子供として見ていた、という話です」
ノアは少し驚いたように瞬きをした。
「そのことですか」
「はい」
私は頷いた。
「魔女のことを知るほど、ノアさんのことも少し分かる気がして」
ノアはしばらく黙っていた。
やがて、照れたように笑った。
「僕のことまで調べられてしまうんですね」
「違います」
思わず笑ってしまう。
「そういう意味ではありません」
「分かっています」
ノアも笑った。
その表情を見ていると、胸の奥が温かくなる。
まただ。
私はそっと胸元に手を当てた。
この感覚は、以前にも何度かあった。
魔女の家にいたとき。
魔女の使っていたものを見たとき。
そして、ノアと一緒にいるとき。
同じように胸が温かくなる。
これは魔女の感情なのだろうか。
それとも、私自身の感情なのだろうか。
魔女の家で感じた「懐かしい」という気持ち。
今、ノアと話していて感じる気持ち。
この二つの想いは、違うものなのかもしれない。
そう思い始めていた。
ノアが笑うと、私も少し嬉しくなる。
ノアが困ったような顔をすると、どうしたのだろうと思う。
もっと話したいと思う。
もう少し、この人のことを知りたいと思う。
それは――。
「……リゼット嬢?」
「はい?」
「少しぼんやりしていますね」
「すみません」
「疲れましたか?」
「いえ、大丈夫です」
私は首を横に振った。
そして、少しだけ笑った。
「ただ……考え事をしていました」
「どんな?」
聞かれて、私は一瞬迷った。
けれど、今はまだ言葉にできなかった。
「秘密です」
「秘密ですか」
ノアが少し意外そうにしたあと、笑った。
「では、いつか教えてください」
「……はい」
その言葉に、胸がまた温かくなった。
私は目の前のノアを見る。
この感情が、魔女から受け継いだものなのか。
それとも、私自身のものなのか。
まだ分からない。
けれど。
ひとつだけ、以前とは違うことがあった。
私はもう、その答えをただ待っているだけではなかった。
自分で確かめてみたい。
ノアと過ごす時間の中で生まれるものを。
この胸の奥にあるものを。
少しずつでも、自分の目で見つけていきたい。
そう思いながら、私はもう一度、向かいに座るノアを見た。
ノアは何も知らない顔で、紅茶を飲んでいる。
その横顔を見ていると。
なぜだか、もう少しだけこの時間が続けばいいと思った。




