残された想い
翌日。
私たちは町の古い記録を扱っている建物を訪れていた。
昨日、魔女の家から持ち帰った金属の札。
それについて調べるためだった。
建物の中には、古い書物や記録が所狭しと並べられている。
「こちらです」
ノアが案内してくれたのは、古い町の記録がまとめられている棚だった。
「紋章について調べるんですよね?」
「はい」
ノアは何冊かの記録を取り出した。
けれど、すぐに札と同じ紋章が見つかるわけではない。
一冊。
二冊。
ページをめくっていく。
時間だけが静かに過ぎていった。
「ありませんね」
私が言うと、ノアは小さく息を吐いた。
「もう少し古いものを見てみましょう」
さらに古い記録を探す。
そして、何冊目だっただろう。
ノアの手が止まった。
「……これかもしれません」
開かれたページには、町の古い地図が載っていた。
その端に、小さな印がある。
昨日の札とよく似た紋章だった。
「この場所は……?」
地図には、町から少し離れた場所が記されている。
「昔の薬草園です」
ノアが答えた。
「今はもうありません。ただ、昔ここを管理していた人について記録が残っています」
ページをめくる。
そこには、魔女の名前こそなかった。
けれど、薬草や魔法に関する知識を持った女性について、管理人の日記のようなものが残されていた。
「この人……」
私は文字を追った。
何百年も前からの記録。
それでも、魔女がそこへ何度か足を運んでいたらしいことは分かった。
そして、その記録の中に。
「……子供?」
私が呟くと、ノアの指が止まった。
そこには、短い文章が残されていた。
薬草園を訪れた女性が、連れの少年について話した。
少年は魔法の才能を持っている。
けれど、自分の力を恐れている。
女性はその少年を案じていた。
ただ、それ以上に――。
「……外の世界へ出ていけるようになってほしい、と」
ノアが静かに読んだ。
私は彼を見た。
「これは……魔女が?」
「おそらく」
ノアは記録から目を離さなかった。
「僕のことだと思います」
しばらく、沈黙が続いた。
「……魔女は、ずっとノアさんの未来のことを考えていたんですね」
ノアは答えなかった。
ただ、ページを見つめている。
やがて、ぽつりと言った。
「……そうだったのかもしれません」
その声には、少しだけ戸惑いがあった。
「子供の頃の僕は、あの人のそばにいることが当たり前だと思っていました」
「はい」
「でも、あの人は違ったのかもしれません」
ノアが苦笑する。
「僕が成長して、いつか一人で歩いていくことを考えていた」
記録へ視線を落としながら呟く。
「……あの人は、僕を子供として見ていたんでしょうね」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。
けれど、昨日までとは少し違った。
ノアが今、目の前で過去を見つめている。
その姿を見ていることで生まれた感情だった。
「ノアさん」
「はい」
「魔女は、優しい人だったんですね」
そう言うと、ノアは一瞬だけ目を丸くした。
ほんの数行の文章。
それなのに、魔女がどんなふうにノアを想っていたかが伝わってくる。
「……そうだと思います」
記録を閉じる。
「子供の頃の僕は、きっと思ったよりずっと手がかかったんでしょうね」
「ふふ」
思わず笑ってしまった。
「どうしました?」
「いえ。ノアさんにもそんな頃があったんだなと思って」
「ありますよ」
ノアは少し恥ずかしそうに笑った。
「今よりずっと素直でした」
「今は素直じゃないんですか?」
「どうでしょう」
少し考えるふりをしてから、ノアは肩をすくめた。
「昔よりは、考えてから話すようになったと思います」
その言い方がおかしくて、私はまた笑った。
ノアもつられるように笑う。
その表情は、少し幼く見えた。
魔女のことを話しているとき、いつもどこか遠くを見ているように思っていた。
けれど今は違う。
自然体で話すノアを見ながら思った。
――この人は、本当にあの人を大切にしていたんだ。
そして。
――この人自身のことも、私はよく知らない。
そう思った。
私は胸元に手を当てた。
すると、心臓が小さく脈打った。
この感情は、魔女のものなのだろうか。
それとも。
今、目の前にいるノアを見ている私自身のものなのだろうか。
その答えは、まだ出なかった。
「もう少し、この先を調べてみます」
ノアが言った。
「はい」
私は頷いた。
まだ、分からないことはたくさんある。
それでも。
昨日よりほんの少しだけ、魔女という人の輪郭が見えた気がした。
そして同時に――。
ノアという人のことも、もう少し知ってみたい。
そんな気持ちが、胸の奥に小さく残っていた。




