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残された手がかり

 魔女の家を出てから、町へ戻る道を歩いていた。


 森の中は静かだった。

 来たときと同じ道を歩いているはずなのに、帰りは少しだけ違って見える。

 私は何度か振り返った。

 木々の向こうに、古い家の屋根がまだ見えている。


 あの場所にあったもの。

 古びた家具。

 棚に並んだ瓶。

 何度も開かれた魔法書。

 そして――胸の奥に残った、あの感情。


 懐かしい。

 帰りたい。

 大切にしたい。

 どれも私自身の記憶にはないものだった。


「……リゼット嬢」


「はい?」


 隣を歩いていたノアが、こちらを見る。


「先ほどから、何度も家のほうを見ていますね」


「……はい」


「気になりますか?」


 私は素直に頷いた。


「何かを忘れているような気がして」


 そう言ってから、少しおかしくなった。

 忘れているというより、そもそも私は知らないのだ。

 あの家で暮らしたこともない。

 あの魔女と会ったこともない。

 それなのに、そこにあったものを見ると、まるで昔から知っているような気持ちになる。


「これは、心臓の影響でしょうか」


 私が尋ねると、ノアはすぐには答えなかった。


「……まだ分かりません」


「そうですよね」


「ただ、あの家で感じたことは、調べる価値があると思います」


 その言葉に、私は少しだけ安心した。

 分からないことを、分からないままにしてくれる。

 ノアのそういうところは、不思議と嫌ではなかった。

 しばらく歩いたところで、私はふと思い出した。


「あ」


「どうしました?」


「そういえば……」


 私は鞄を開いた。

 中から取り出したのは、小さな布袋だった。

 家を出る前、机の引き出しの奥に落ちていたものだ。

 持って帰っていいものか迷ったけれど、ノアに確認すると、


「それくらいなら、構わないと思います」


 と言われたので、そのまま預かっていた。


「これです」


 布袋をノアに見せる。

 古いものだった。

 布は色褪せていて、端には細かな刺繍が入っている。


「中身は?」


「まだ見ていません」


 私は紐をほどいた。

 中から出てきたのは、古い金属製の小さな札だった。

 手のひらに収まるほどの大きさで、表には見慣れない紋章が刻まれている。

 その瞬間。

 胸の奥が、かすかに疼いた。


「……」


 懐かしい。

 けれど、今までとは少し違う。

 帰りたい、という感情ではなかった。

 どこかへ行ったことがあるような。

 誰かと一緒に、この札を見たことがあるような。

 そんな曖昧な感覚だった。


「ノアさん?」


 彼は札をじっと見つめていた。


「……これを、どこで?」


「家の机の引き出しです」


 ノアは札を受け取った。

 裏返し、刻印を確認する。


「この紋章……」


「ご存じなんですか?」


「いえ。紋章そのものを知っているわけではありません」


 ノアは少し考えた。


「ですが、似たものを見た記憶があります」


「どこでですか?」


「古い記録です」


 彼は札を指先でなぞった。


「魔女について調べていたとき、何度かこの紋章に似た印を見ました」


「魔女が使っていたものなのでしょうか」


「その可能性はあります」


 ノアは少し黙ってから、続けた。


「ただ……この札そのものが、何かの証明になるものだったのかもしれません」


「証明?」


「特定の場所へ出入りするためのものだったり、誰かとの繋がりを示すものだったり」


 私は札を見つめた。

 これが何なのかは分からない。

 けれど、ただの古い道具ではないらしい。


「もう少し調べてみます」


 ノアが言った。


「この町には、古い記録を保管している場所があります。そこなら、紋章について何か分かるかもしれません」


「行ってみましょう」


 私は頷いた。

 するとノアが、少しだけ意外そうな顔をした。


「よろしいのですか?」


「はい」


 私は胸元に手を当てた。


「知りたいんです」


 魔女のことを。

 心臓のことを。

 そして――この胸にある感情が、いったい誰のものなのかを。


 森を抜ける。

 遠くに町の屋根が見えてきた。

 手の中には、古い金属の札。

 たった一つの小さな手がかりだった。

 けれど、それが魔女の残したものなら。

 そこにはきっと、私の知らない何かがある。


「明日、記録を調べましょう」


「はい」


 ノアが答える。

 その声を聞いたとき、胸の奥がほんの少しだけ温かくなった。

 私はその感覚に気づかないふりをして、歩き続けた。


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