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心臓の声

 それから数日。

 私たちは、魔女の心臓を終わらせる方法について、引き続き調べていた。

 昨日の話をしてから、ノアとの間にあったぎこちなさは、少しずつ消えていった。

 けれど、私の中には一つの疑問が残っていた。


 ――みんな、こんなふうに感じていたのだろうか。


 魔女の家に入ったとき。

 古い家具に触れたとき。

 ノアと魔女の話を聞いたとき。

 胸の奥から、まるで自分の記憶のように感情が溢れてきた。

 懐かしい。

 帰りたい。

 誰かを待っている。

 大切にしたい。

 そんな気持ちを、私は何度も感じている。

 けれど、それがどれほど普通のことなのかは分からなかった。


「ノアさん」


「はい?」


 向かい側で本を読んでいたノアが顔を上げる。


「一つ、聞きたいことがあります」


「何でしょう」


「今まで、この心臓を持った人たちも……私と同じようなことを感じていたんでしょうか」


 ノアの手が止まった。


「同じようなこと、というのは?」


「魔女の感情です」


 私は自分の胸元に手を当てた。


「懐かしいと思ったり、悲しくなったり。誰かを大切にしたいと思ったり……」


 少し迷ってから、続ける。


「それに、ノアさんを見たときに感じるものも」


 ノアはしばらく黙っていた。


「……調べてみましょう」


 その日の午後。

 私たちは町の記録庫で、過去の宿主について残された資料を探した。

 魔女の心臓そのものについて書かれた記録は少ない。

 それでも、古い記録を辿っていくと、いくつかの宿主について書かれたものが見つかった。


 一人目。

 魔女の記憶と思われる夢を、ときどき見た。

 二人目。

 見知らぬ場所に、なぜか懐かしさを感じることがあった。

 三人目。

 魔女が大切にしていたものを見ると、胸が苦しくなった。

 私は一枚ずつ、記録を読み進めていった。

 確かに。

 みんな何かを感じていた。

 魔女の感情が、心臓を通して伝わっていたのだ。


「……感じていたんですね」


「はい」


 ノアが頷く。


「ただ……」


「ただ?」


「記録を見る限り、ここまで強く感情が現れている例は、あまりありません」


 私は手元の紙を見る。

 そこに書かれているのは、ほんの数行だった。

 夢を見た。

 懐かしく感じた。

 胸が痛んだ。

 どれも、私が感じているものと似ている。

 でも、私の場合はもっと強い。

 魔女の家にいるだけで、そこに帰ってきたような感覚になる。

 ノアの話を聞けば、知らないはずの魔女の感情が胸いっぱいに広がる。

 そして時には、自分の感情まで分からなくなる。


「……みんなも、同じだったのに」


 私は呟いた。


「私だけ、こんなに強く感じているんでしょうか」


「そうかもしれません」


 ノアはすぐには断言しなかった。


「ただ、記録が残っていないだけという可能性もあります」


「そうですよね」


 私は頷いた。

 記録に残されなかっただけかもしれない。

 そもそも、昔の人たちが自分の感情をどこまで言葉にしていたのかも分からない。

 だから、今ある記録だけで比べることはできない。

 それでも。

 私は少し不安になった。

 もし、この強さが普通ではないのだとしたら。

 私はどこまでが私で、どこからが魔女なのだろう。


「……最近、よく分からなくなるんです」


 気づけば、口から言葉がこぼれていた。


「何がですか?」


「自分の気持ちです」


 ノアは黙って聞いている。


「魔女の家にいると、懐かしいと思うんです。それはきっと、魔女の感情なんですよね」


「おそらく」


「でも、ノアさんと一緒にいると楽しいと思うこともあります」


 言ってから、少し恥ずかしくなった。


「それも……魔女の心臓のせいなのかなって」


 ノアの表情が、わずかに曇った。


「……分かりません」


「ですよね」


「でも」


 ノアは少し考えてから、言葉を続けた。


「すべてを心臓のせいにする必要はないと思います」


「え?」


「リゼット嬢が今感じていることまで、すべて魔女のものだと決めつけることはできません」


 私はノアを見る。


「でも、心臓が感情を伝えてくるのは事実です」


「はい」


「だから、分からなくなるんです」


 ノアは何も言わなかった。

 私自身、どうしてこんなことを話しているのか分からなかった。

 ただ、自分の中にあるものを誰かに聞いてほしかった。


 自分ではない誰かの悲しみ。

 誰かを待つ寂しさ。

 帰ることのできない場所への想い。

 それらが、自分の中にある。

 でも。

 そのすべてを魔女のものだと思ってしまったら。

 今、私がノアと一緒にいて感じる「嬉しい」まで、同じように否定してしまう気がした。


「……もう少し、調べたいです」


 私は顔を上げた。


「魔女が何を感じていたのか」


 そして、少しだけ言葉を迷う。


「私が感じているものが、どこまで魔女のものなのか」


 ノアは静かに頷いた。


「分かりました」


「それと……」


 私は資料の束に目を落とした。


「魔女自身が、心臓について何か残していないかも調べたいです」


 ノアが考え込む。


「魔女が、心臓をどう思っていたのか……」


「はい」


 もし、魔女自身が心臓を残すことを望んでいたのか。

 その答えを探すことが、今の私には必要な気がした。

 ノアも同じことを考えているようだった。


「まだ、調べていないものがあります」


「なんですか?」


「魔女が最後に残した記録です」


 その言葉に、私は顔を上げた。


「最後に……?」


「はい」


 ノアは一冊の古い資料を閉じる。


「そこに、あの人が心臓について何を考えていたのか。何か残っているかもしれません」


 私は頷いた。

 魔女が残した最後の言葉。

 それを知れば、この心臓が抱えている感情の意味も分かるのだろうか。

 そして――。

 私が今まで感じてきたものが、少しでも分かるのだろうか。


 その日の帰り道。

 私は胸元にそっと手を当てた。

 そこにあるものは、今も静かに脈打っている。

 魔女の心臓。

 知らない誰かの感情を、私の中へ運んでくるもの。

 けれど。

 その中にあるすべてが、魔女のものだとは限らない。

 そう思えるようになったことだけが、今は小さな救いだった。


 ――魔女は、最後に何を思っていたのだろう。

 私たちは、その答えを探し始めた。


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