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近すぎる部屋

「……ここ」


住宅街の一角。


桐生澪の家の前に立った瞬間、現実感が一段薄くなった気がした。


「普通の家だろ?」


「うん、普通だね」


いや普通かどうかの問題じゃない。


(なんで俺、女子の家来てんだ)


「入って」


当然みたいに言われて、玄関をくぐる。


中は静かだった。


生活音が少ない。整っている。

彼女そのものみたいな空気だ。


「リビングこっち」


案内されてソファに座る。


距離が近い。


近いというか、もう普通に隣。


(落ち着かない……)


「課題、数学なんだけど」


ノートを開きながら彼女が言う。


「ここが分からなくて」


覗き込む。


髪が少しだけ揺れて、視界の端に入る。


(やばい、集中できない)


「ここは……公式使えばいいだけだろ」


「んー、それは分かるけど」


彼女はペンを止める。


「こういうの、誰かに教えてもらうの初めてかも」


「……そうなのか?」


「うん」


何気ない返事。


なのに、その言い方が少しだけ引っかかる。


「友達とかは?」


「いるよ、普通に」


「じゃあそいつらに——」


「でも」


彼女が少しだけ顔を上げる。


「こうやって、ちゃんと教えてくれるのは初めて」


その目が、やけにまっすぐだった。


一瞬、言葉が詰まる。


(なんだこれ)


空気が変な感じになる。


距離が近いだけじゃない。


“静かすぎる”。


その時——


インターホンが鳴った。


「……誰だ」


彼女は少しだけ眉をひそめる。


玄関の方へ行く音。


少しして、声が聞こえた。


「澪いる?」


男の声。


低くて、慣れた感じ。


俺の中で、空気が一瞬変わる。


戻ってきた彼女は、少しだけ表情が違っていた。


「知り合い?」


「……まあ」


短い返事。


それ以上言わない。


玄関の方で、また声。


「誰か来てるの?」


沈黙。


そのあと、彼女が小さく言った。


「クラスメイト」


「へえ」


男の声が少しだけ変わる。


「珍しいじゃん」


リビングの空気が重くなる。


(なんだこれ)


俺は立ち上がるべきか迷う。


その時、彼女がぽつりと言った。


「……今日は帰って」


「え?」


「ごめん、ちょっとだけ」


その声は、いつもより少しだけ固かった。


俺は何も聞かずに立ち上がる。


玄関まで送られる。


靴を履く間、彼女は何も言わない。


ただ一言だけ。


「また明日」


それだけ。


ドアが閉まる。


外に出た瞬間、息が少しだけ軽くなる。


(……今の、何だったんだ)


ただの課題のはずだった。


なのに、妙に引っかかる。


翌日。


教室に入ると、いつも通りの空気。


そして——


桐生澪は、いつも通り俺の隣に座っていた。


「おはよう」


何もなかったみたいに。


でも。


その横顔だけが、少しだけ昨日と違って見えた。

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