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何もなかったみたいに

朝の教室は、いつも通りうるさい。


昨日と何も変わらないはずなのに、どこか落ち着かない。


俺はいつも通り席に座る。


そして——


「おはよう」


桐生澪は、いつも通り隣にいた。


何事もなかったみたいに。


(昨日のあれ、夢じゃないよな……)


家に呼ばれて、課題やって、途中で誰か来て、帰された。


それだけのはずなのに、妙に引っかかる。


「ねえ」


彼女が小さく声をかける。


「昨日の課題、ありがとう」


「……いや、別に」


それだけ。


会話は終わるはずだった。


でも彼女は少しだけ間を空けて続ける。


「助かった」


その一言が、やけに普通で。


逆に、違和感があった。


(ほんとに何もなかったのか?)


その時だった。


教室の後ろがざわつく。


「おい」


また、あの男子グループだ。


昨日も絡んできたやつ。


「桐生さ」


視線が集まる。


「昨日さ、家来てた奴いたよな?」


一瞬で空気が変わる。


(やっぱ見られてたか)


「誰?」


とぼける声。


「知らねーけどさ、男だろ?」


ニヤついた顔。


「お前、意外とそういうのアリなんだな」


教室が静かになる。


桐生澪のペンが止まる。


俺は動かない。


動かないはずだった。


でも——


「やめて」


彼女が言った。


静かに。


でも今までより、少しだけ強い声だった。


「関係ないでしょ」


男子は笑う。


「いや関係あるだろ。家に男呼んでんじゃん」


その瞬間。


空気が一段重くなる。


俺はゆっくり立ち上がった。


「……やめろ」


声は低い。


でも今度は、昨日より冷えていた。


視線が一気に集まる。


一歩。


近づく。


男子の笑いが止まる。


「それ以上言うなら、もう一回やるぞ」


静かな声。


その瞬間、教室が完全に固まった。


男子は舌打ちして席に戻る。


「……調子乗んなよ」


それだけ残して。


空気が戻る。


でも、戻りきらない。


俺は席に座り直す。


心臓がうるさい。


(まただ……)


横を見る。


桐生澪は、何もなかったようにノートを書いていた。


でも——


その手元だけ、少しだけ止まっていた。


放課後。


いつもなら「一緒に帰る?」とか言ってくるはずなのに。


今日は何も言わない。


校門を出る。


並ばない。


少し距離がある。


「ねえ」


彼女が初めて自分から止まった。


「昨日のこと」


やっぱりそこか。


「気にしなくていい」


そう言おうとした。


でも彼女は続けた。


「来てた人、ただの知り合い」


「……そうか」


「それだけ」


短い沈黙。


そのあと、彼女は少しだけ視線を落として言った。


「別に、何もないよ」


その言い方が。


なぜか一番引っかかった。


(本当に?)


聞けなかった。


聞いたら、何かが変わる気がした。


「……そうか」


それだけ返す。


歩き出す。


並ぶ距離はいつも通りなのに。


今日は少しだけ遠く感じた。


でもその帰り道で、彼女がぽつりと言った。


「ねえ」


「……何」


「明日も、一緒に帰る?」


その声だけは。


いつも通りだった。

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