距離がバグってる
放課後のチャイムが鳴ると、教室は一気に騒がしくなる。
帰るやつ、部活に行くやつ、誰かと喋るやつ。
それぞれの“日常”に散っていく時間だ。
俺はいつも通り、机の中身をゆっくり片付けていた。
すると——
「ねえ」
また、その声。
桐生澪が、当然みたいに俺の横に立っていた。
「今日、一緒に帰るって言ったよね?」
……言ったっけ。
いや、確かに言われた。昨日。
(マジで覚えてるのかこの人)
「別にいいけど」
断る理由はない。
というか、断れる空気でもない。
教室を出ると、夕方の光が廊下に差し込んでいた。
並んで歩く。
ただそれだけなのに、やけに落ち着かない。
距離が近い。
近すぎる。
(なんでこの人、普通に隣歩いてるんだ……)
「ねえ」
彼女がふと足を止める。
「さっきの、また見られてたね」
「……誰に」
「クラスの人たち」
そりゃそうだ。
桐生澪と一緒に帰ってる時点で、普通じゃない。
「気にしなくていいだろ」
「ふーん」
彼女は少しだけ笑う。
その横顔が、やけに静かだった。
その時だった。
校門の近くで、声が飛んだ。
「おい」
男子グループの一人。
昼間も絡んできたタイプのやつだ。
「桐生さ、マジでそいつと帰ってんの?」
空気が変わる。
「やめとけって」
ニヤついた顔。
「そいつ、地味すぎて釣り合ってないだろ」
一瞬、時間が止まる。
俺は反応しない。
関わらない。終わらせる。
そうするはずだった。
でも——
「やめて」
桐生澪が言った。
はっきりと。
静かな声なのに、空気が一気に締まる。
「そういう言い方、嫌い」
男子は笑う。
「え、なにマジで怒ってんの?」
一歩近づく。
その瞬間。
俺の中の“何か”が勝手に動いた。
「やめろ」
声が出ていた。
低い声。
自分でも驚くくらい、冷たい声。
一歩前へ出る。
距離が詰まる。
相手の腕を軽く引く。
バランスが崩れる。
それだけで止まる。
倒さない。壊さない。ただ止める。
——昔からやってきた動きだ。
「次はない」
短く言う。
男子は固まったまま動かない。
数秒後、俺は手を離した。
静寂。
周囲の空気が重い。
俺は何事もなかったように歩き出す。
心臓だけがうるさい。
(またやった……)
横を見ると。
桐生澪が、少し驚いた顔をしていた。
でもすぐに、その表情が変わる。
「……やっぱり」
「何が」
「強いんだね」
その言い方が、やけに自然だった。
まるで最初から知ってたみたいに。
「そういうの、ちょっと安心する」
「……安心?」
「うん。ちゃんと止めてくれる人がいるのって」
彼女は前を向いたまま言う。
その横顔が、少しだけ柔らかかった。
歩き出す。
並んでいるだけなのに、距離がやけに近い。
「ねえ」
まただ。
「今日さ」
嫌な予感がする。
「うち寄ってく?」
心臓が一瞬止まる。
「……は?」
「別に変な意味じゃないよ」
彼女は普通の顔で言う。
「課題、ちょっと分からなくて」
(いや、それでも距離近すぎるだろ)
俺の高校生活は、多分もう完全に壊れている。
でも——
断る理由も、なかった。




