第9話 やってみよう
翌朝。
「お兄様」
「やっぱり来たか」
朝食の席で、お兄様が言った。
「何で分かったんですか?」
「昨日のお前の顔を見れば分かる」
また。
思いついた顔?
私、そんなに分かりやすいんだろうか。
「昨日の話なんですけど」
「仕事にする話?」
「はい」
お兄様がカップを置いた。
今度は、からかわない。
「やりたいのか?」
聞かれて少しだけ考える。
仕事にするのが怖くないかと言われたら、よく分からない。
だって、何をしたらいいのかもまだ分かっていない。
でも。
アシュリーさんが鏡を見たときの顔。
クララさんが「小さなお花も使っていいんですね」と笑った顔。
ミレイユさんが、楽しそうに話を聞いていた顔。
思い出す。
「やってみたいです」
答えは、普通に出た。
◇
「なら、やってみればいい」
お兄様はあっさり言った。
「いいんですか?」
「俺が決めることじゃないだろう」
「伯爵令嬢が商売って、大丈夫なのかなと思って」
「珍しくはある」
やっぱり。
「でも、できないわけじゃない。家の名前を使うこともあるだろうから、その辺りは父上たちが戻ったら話した方がいいだろうけど」
両親は今、少し離れた領地に滞在している。
そうだった。
「ただ」
お兄様が私を見る。
「一人で勝手に全部決めるなよ」
「決めません」
「本当に?」
「……たぶん」
「エレナ」
「分からないことは聞きます」
これは本当。
「契約とか金の話は?」
「聞きます」
「俺か、詳しい人間に見せろ」
「はい」
「無理な数を受けるな」
「はい」
「思いついたからって、その日のうちに全部始めるな」
「…………」
「そこだけ返事がないな」
だって、思いついたら試したい。
「気をつけます」
「気をつける、ね」
信用がない。
でも。
「応援してるよ」
最後にそう言われて。
ちょっと嬉しくなった。
◇
その日のうちに私は紙を広げた。
仕事にするなら、何を決めればいい?
分からない。
だから書く。
誰に提供する?
何をする?
どこまで自分がやる?
服代は?
ルカには?
仕立屋さんには?
予約は?
時間は?
値段は?
どうやって知ってもらう?
「…………」
増えた。
一枚。
二枚。
三枚。
「お嬢様」
ローラが机の上を見る。
「これは?」
「分からないこと一覧」
「多いですね」
「うん」
でも。
分からないことが多いから、できない。
ではない。
分からないなら聞けばいい。
「ローラ」
「はい」
「ロイさんに連絡したい」
「本日ですか?」
「できれば」
「まずは、ご都合を伺いましょうね」
「……はい」
学習している。
少しずつ。
◇
数日後、私はロイさんの仕事場を訪ねた。
侯爵家の屋敷ではなく、街にある建物。
人が出入りしている。
帳簿。
書類。
商品の見本らしきもの。
現世の会社とは全然違う。
でもなんとなく、仕事場だ、ということが分かる。
「本当に来た」
迎えたロイさんが笑った。
「来ますよ」
「もう少し悩むかと思った」
「悩みました」
「何日?」
「一晩」
「早いな」
そう?
「やりたいって分かったので」
私は持ってきた紙を机に置いた。
「それで、分からないことを書いてきました」
ロイさんが一枚目を見る。
二枚目。
三枚目。
「…………」
「多いですよね」
「いや」
顔を上げる。
「いいと思う」
「本当ですか?」
「分からないのに分かったふりして始めるより、ずっといい」
よかった。
◇
一つずつ話していく。
私はこういう人に届けたい。
好きなものはある。
可愛くなりたい。
綺麗になりたい。
でも、自分に何が似合うのか分からない。
鏡を見ると、人と比べて落ち込む。
「そういう人に」
私は考えながら言う。
「自分のいいところって、ちゃんとあるんだって分かってほしいです」
ロイさんは口を挟まず聞いている。
「それで、自分で鏡を見て」
何だろう。
大げさな言葉じゃない。
人生が変わる。
とか。
世界一美しくなる。
とか。
そういうのじゃなくてもっと小さいもの。
「今日の私、可愛いなって思えたらいい」
言ってみて。
これだと思った。
「それが、やりたいこと?」
「たぶん」
「じゃあ、それを中心に考えればいい」
「中心?」
「君ができることを全部並べるんじゃなくて、その人をそこまで連れていくために何が必要か」
なるほど。
また話が整理される。
私の頭の中には。
服。
髪。
色。
素材。
メイク。
体型。
姿勢。
表情。
いっぱいある。
でも、売りたいのは知識の一覧ではない。
その人が、自分のことを、少し好きになれる状態。
「……ロイさん」
「何?」
「すごいですね」
「急だな」
「話してると、頭の中が整理される」
ロイさんが少し笑った。
「それはよかった」
◇
帰るまでに全部が決まったわけではない。
むしろ、新しく考えることも増えた。
でも昨日よりはっきり形が見える。
「エレナ嬢」
帰り際、ロイさんに呼び止められる。
「はい?」
「一つだけ」
「何ですか?」
「夢みたいだと思ってる?」
「え?」
「好きなことをやって、人に喜ばれて、それがお金になること」
図星。
「……ちょっと」
「なるよ」
あっさり。
「ただし」
ロイさんが笑う。
「夢で終わらせないように考えようか」
その言い方がなんだかすごく心強かった。
◇
帰りの馬車の中で私は紙を見る。
いっぱい書き足されている。
いっぱい直されている。
それでも最初よりずっと分かりやすい。
私は何を売りたいんだろう。
服?
違う。
メイク?
違う。
髪?
それだけでもない。
ロイさんに最後に聞かれた。
『エレナ嬢は、何を売る?』
答えはまだはっきりしない。
でも、もう少しで掴めそうな気がする。




