第2話 まずは髪から
自分を垢抜けさせよう。
そう決めて、最初に考えたのはメイクではなかった。
髪だ。
顔そのものを変えるより、顔の周りを変えた方が印象は大きく動く。
前髪、顔周り、長さ、艶、ボリューム。
髪は、顔の額縁みたいなものだ。
「ローラ」
「はい、お嬢様」
「髪を切りたい」
髪を梳かしていたローラの手が止まった。
「……切るのですか?」
「うん」
「ずいぶん急ですね」
「思いついたから」
「昨日まで、そのようなことは一言もおっしゃっていませんでしたが」
「昨日は思いついてなかったから」
ローラは少し黙った。
この数日で分かったけれど、彼女は私のこういうところにだいぶ慣れている。元のエレナも方向性こそ違えど、突然何かを言い出すタイプだったらしい。
「では、ルカさんにお願いしましょうか」
「ルカさん?」
「いつもお嬢様の髪を整えてくださっている方です」
いるんだ。
美容師。
素晴らしい。
「今日行ける?」
「……まずは、ご都合を伺いましょうね」
「あ」
そうだった。
予約。
この世界にも予約はある。
「お願いします」
「はい」
ローラが笑った。
なんとなく、少しだけ子どもを見守る顔だった。
◇
ルカは、想像していたよりずっと華やかな人だった。
三十歳前後だろうか。すらりとした男性で、長い指が綺麗だった。
「あら、エレナ。珍しいじゃない。あなたが自分から来るなんて」
会うなりそう言って、私の髪に触れる。
「切りたいの」
「へえ?」
鏡越しに、興味深そうな目が向けられた。
「どんなふうに?」
「まず、今より少し軽くしたい。長さは全部切りすぎないで、顔周りに動きが欲しいなって」
「ふうん」
「でも、ふわふわさせすぎるのは違う。私、顔自体は柔らかいから、髪まで全部柔らかくするとぼやける気がするの」
ルカの手が止まった。
「エレナ」
「何?」
「あなた、いつからそんなこと考えるようになったの?」
転生してから。
とは言えない。
いや、ローラには言ったけど信じてもらえなかった。
「最近?」
「何で疑問形なのよ」
ルカが笑う。
「でも、面白いわね。続けて」
私は鏡を見る。
この顔は派手ではない。だからといって、盛ればいいわけでもない。
むしろ、繊細なバランスを活かした方がいい。
「前髪も重すぎる。目元が隠れてる」
「それは私も前から思ってた」
「言ってよ」
「あなたが隠したがったのよ」
なるほど。
元のエレナ、壁の花になる気満々だったらしい。
「じゃあ、出す」
「急ねえ」
「今は出したいから」
ルカが、ふっと笑った。
「いいじゃない」
そこからは、本当に楽しかった。
私が理想を言い、ルカが実際の髪質を見ながら修正する。
「そこまで軽くすると、あなたの髪だと広がるわよ」
「じゃあ、広がらないギリギリは?」
「このくらい」
「それで」
「顔周りは?」
「頬の横に少し」
「だったら、もう少し上から繋いだ方が綺麗」
「それでお願いします」
現世の知識があるからといって、私がこの世界の技術まで知っているわけではない。
むしろ、目の前で髪が形になっていくのを見ていると、単純に感心する。
「すごい」
思わず口にすると、ルカが得意そうに笑った。
「そうでしょう?」
「うん。あなたがね」
「あら」
一瞬目を丸くしてから、ルカは楽しそうに笑った。
「エレナ、あなたちょっと面白くなったわね」
そうかもしれない。
◇
髪が終わったあと、私は化粧品を並べてもらった。
思っていたより、ちゃんとある。
粉、頬紅、口紅、目元に使う色。眉を描くものや、まつ毛を濃くするものまである。
十分。
かなり遊べる。
「この世界、優秀……」
「また不思議なことをおっしゃっていますね」
隣でローラが呟いた。
色も意外と多い。
ただし、使い方はかなり流行に左右されるらしい。
肌を白く見せる。目を大きく見せる。頬を華やかにする。唇を目立たせる。
そういう「美人の型」に近づけるために使われることが多く、個人に合わせるという発想は、あまり強くない。
もったいない。
「お嬢様、このお色がお好きでしたよね」
ローラが、小さな頬紅を手に取った。
少し青みのある、可愛いピンク。
「あ、好き」
現世でも、こういう色は好きだった。
頬に少し乗せてみる。
悪くない。
でも、今日の全体にはもう少し柔らかい色の方が馴染みそうだ。
「今日はこっちにしようかな」
別の、少しだけ穏やかなローズ色を取る。
ローラが首を傾げた。
「先ほどのお色は、お嫌いになったのですか?」
「ううん。好きだよ」
「では、なぜ?」
「好きだからって、毎回顔に使わなくてもいいでしょう?」
頬に使わなくても、リボンでもいい。小物でも、服の刺繍でもいい。もっと似合う濃さを探したっていい。
好きなものを諦めるために、似合うものを知るわけじゃない。
好きなものを、もっと上手に楽しむために知る。
私は、そういう方が好きだ。
「今日は、このローズの方が髪にも合うから」
「なるほど……」
「青みのピンクは、また別の日に使う」
似合わない。
だから禁止。
ではない。
じゃあ、どう使う?
そこを考えるのが楽しい。
◇
髪を整え、眉を少し整える。
肌は厚く塗りすぎず、頬と唇に柔らかい血色を足した。目元も濃く囲まない。
元々あるものを、少しだけ見えやすくする。
それだけなのに、鏡の中のエレナは朝とはかなり違って見えた。
「……可愛い」
口から出た。
ローラが笑う。
「はい。とても」
「いや、これかなり可愛いよね?」
「ご自分でおっしゃるのですね」
「だって可愛いもの」
自分しかいない部屋でくらい、好きに言えばいい。
可愛い。
嬉しい。
楽しい。
「お嬢様、楽しそうですね」
「うん」
これは、かなり楽しい。
現世でも、自分に似合うものを研究するのは好きだった。
でも、一からここまで変わる余地があるなんて。
ちょっと。
いや、かなり面白い。
鏡の中の自分に笑いかけると、表情まで変わった。
そう。これ。
服も、髪も、メイクも、全部整えても。
最後に人の印象を決めるのは、こういうところだったりする。
「次は服かな」
「次?」
「うん」
ローラが小さく息をつく。
「まだ続くのですね」
「もちろん」
髪だけで、これだけ変わった。
だったら。
全部やったら、どうなる?
考えただけで、わくわくした。




