第16話 ちょっと、回らなくなってきました
ヴィクトリア様の一件は、思っていた以上に大きかった。
アシュフォード侯爵夫人。
社交界でもよく知られた人である。
当然といえば当然なのだけれど、私はそこまで考えていなかった。
だって私が考えていたのは、銀色の髪に赤い口紅と大きな宝石が絶対似合う、ということだけだったから。
◇
「お嬢様」
朝食を終えたところで、ローラが手紙の束を持ってきた。
「今日はこちらです」
「今日はこちら?」
嫌な言い方。
手紙の束を見る。
多い。
「昨日もこんなになかったよね?」
「はい。昨日の倍ほどでしょうか」
「何で?」
「ヴィクトリア様が、先日の集まりでお嬢様のお話をなさったそうです」
「…………」
ヴィクトリア様。
楽しそうに話している姿が、簡単に想像できる。
銀色の髪を活かした装いはかなり評判になったらしい。
『年齢に合わせて地味にするのではなく、今だから似合うものを選んだ』
そんな話まで広がっているという。
それ自体は嬉しい。
すごく嬉しい。
ただ。
「これ、全部相談の申し込み?」
「はい」
嬉しい。
けど多い。
◇
最初の数日は、普通に受けた。
朝、一人。
午後、一人。
空いた時間に仕立屋さんへ行く。
ルカと相談する。
ノラさんから図案を受け取る。
夜に次の相談内容を考える。
楽しい。
ものすごく楽しい。
だから気づくのが遅れた。
「あれ?」
夜。
机の上を見る。
返事を書いていない手紙が三通。
明日確認しようと思っていた布も二種類。
ルカに伝えること。
ノラさんに確認すること。
セシリアさんの仕上がり確認。
新しい相談者の事前情報。
「……多い?」
横にいたローラが、静かに頷いた。
「多いですね」
「でも、できなくはない」
「お嬢様」
「何?」
「昨日も同じことをおっしゃいました」
そうだっけ。
「昨日は何時にお休みになりました?」
「…………」
遅かった。
「でも楽しいから」
「楽しいことと、疲れないことは別です」
正論。
ローラよ。
最近正論が鋭い。
◇
翌日。
ちょうどベルフォード家へ来たロイさんに、その話をした。
最近、定期的に帳簿や予約状況を見てもらっている。
正式に頼んでいるわけではないのだけれど、もはや定期視察みたいになっていた。
「一週間で何人受けてる?」
「今週?」
「うん」
数える。
「……九人?」
「多いね」
「そう?」
「そのほかに服の確認と、ルカとの打ち合わせと、仕立屋との調整もあるよね?」
「あります」
「じゃあ多い」
即答された。
「でも、断るのも悪い気がして」
せっかく頼みたいと思ってくれている。
できるならやりたい。
「全部受けるのが親切とは限らないよ」
ロイさんが帳簿を見ながら言う。
「忙しすぎて一人ずつちゃんと見られなくなったら、そっちの方が困るんじゃない?」
「…………」
それは嫌だ。
ものすごく嫌。
相談に来た人の話を急いで聞いて、何となく決める。
絶対やりたくない。
「じゃあ、受ける人数を決める?」
「そう。まず一日に何人までなら、君が質を落とさずできるか」
質。
なるほど。
今まで私は、空いているところに予定を入れていた。
でも。
空いている時間と、使っていい時間は同じじゃない。
「それから、君じゃなくてもできることを分ける」
「私じゃなくても?」
「例えば手紙の整理。予約の日程調整。支払いの記録。仕立屋やルカへの連絡」
私は横を見る。
ローラと目が合った。
「…………」
「…………」
何となく。
二人とも同じことを考えた気がする。
◇
その日の午後。
私はローラと向かい合った。
「ローラ」
「はい」
「仕事を手伝ってほしい」
「もう手伝っておりますが」
「そうなんだけど」
確かに今さら。
でも違う。
今までは、ローラがメイドとして私のそばにいる延長で、何となく手伝ってもらっていた。
手紙を持ってきてもらう。
予定を確認してもらう。
連絡してもらう。
でも、それ普通に仕事じゃない?
第十二話で学んだ。人の時間を勝手に無料にしてはいけないのだ。
それなのに。
一番近くにいるローラには普通にやってしまっていた。
「ちゃんと仕事としてお願いしたいの」
ローラが少し驚いた顔をした。
「私に、ですか?」
「うん。予約とか、手紙とか、支払いの記録とか。私、そこまで全部やると多分また何か飛ばすから」
「それは……そうかもしれません」
否定して。
少しくらい。
「もちろん、お屋敷の仕事もあるでしょう? だからそっちも調整して、私の仕事をやってもらう分はちゃんとお給金も別にしたい」
ローラはしばらく黙っていた。
「嫌?」
「いえ」
首を振る。
「ただ、少し驚いて」
「何で?」
「お嬢様が、そこまで考えてくださっていたので」
……第十二話の私に聞かせたい。
「ローラと一緒にやりたいの」
これは本当。
元のエレナの頃から、ずっとそばにいた人。
この世界で私が一番最初に話した人。
仕事を始めてからも、ずっと見ていた人。
「お願いしてもいい?」
ローラが笑った。
「もちろんです」
よし。
ローラ正式加入。
◇
仕事を整理し始めて数日。
今度は、別のものが気になった。
ローラの制服。
「ローラ」
「はい?」
「その服、動きやすい?」
「制服ですか?」
「うん」
見る。
可愛くない。
いや仕事着なので、可愛さが最優先でないのは分かる。
でももっとできる。
動きやすくて。
清潔感があって。
ちゃんと仕事向きで。
それでいて着たときに少し嬉しいもの。
「好きな色ある?」
「急ですね」
「ある?」
ローラは少し考えた。
「落ち着いた青は好きです」
「青」
似合いそう。
「動くとき困るところは?」
「袖が少し長いことと、裾はもう少し軽くてもいいかもしれません」
なるほど。
好き。
実用性。
本人の意見。
全部聞く。
これいつもの仕事と同じじゃん。
◇
オスカーさんとノラさんにも相談して、まずローラの制服を作った。
落ち着いた青を基調にした、動きやすい形。
袖は邪魔にならない長さ。
エプロンも重すぎない。
襟元とリボンに、ほんの少しだけ可愛さを残す。
完成した制服を着たローラは、鏡の前で何度か身体を動かした。
「楽です」
「本当?」
「はい。それに」
鏡を見る。
「少し、仕事に行くのが楽しみになる気がします」
「…………」
それ。
いい。
すごくいい。
仕事って長い時間を使う。
だったら仕事をする自分のことも、少し好きでいられた方がいい。
◇
一着作ったら当然他の人の分も気になる。
厨房。
掃除。
庭。
仕事内容が違えば、必要な形も違う。
「お嬢様」
ローラが察したような顔をした。
「全部変えるおつもりですか?」
「……駄目?」
「まずは旦那様に――」
「あ」
父。
いない。
わけない。ただ転生してから会ったことがない。
そうだった。いるんだった。父。
「帰ってきてから相談した方がいい?」
「本来でしたら」
本来。
「でも、試作くらいなら」
「お嬢様」
とりあえず数種類だけ。
試しただけ。
◇
そしてその制服が、なぜか噂になった。
『ベルフォード家で働くと、可愛い制服が着られるらしい』
「…………」
私はローラを見る。
「何で?」
「若い使用人の方々の間で、お話が広まったようです」
「制服で?」
「はい」
「そんなことある?」
「あるようですね」
最近ベルフォード家では、働き手を募集していた。
特に若い人がなかなか集まらないと、家令たちが話していたのを聞いたことがある。
それが、制服を変えただけで応募が増えた。
「…………」
そんなことある?
あるらしい。
◇
そして、そのタイミングで両親が帰ってきた。




