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蓮の月 —愛する人を遺そうとした尼・貞心尼—  作者: 細川 雅堂
第二章 剪

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第七話 宛名の一片と火

編纂の作業を続けるうち、誠の手元には、世に出すにはあまりに生々しい反故が幾葉か残っていた。


老いと病を嘆く和尚自身の弱音。弟子への愚痴めいた一言。

あるいは、貞心一人にしか見せなかった、迷いや弱さの滲む走り書き。


そのどれもが、誠にとっては、和尚の人間らしさそのものであった。

だが同時に、それらは「美しい和尚」という誠の中にある像とは、相容れないものでもあった。


(これを、後の世に残すわけにはいかぬ)


誠は文机の傍らに火鉢を引き寄せ、一枚一枚、反故を選り分けていった。

世に渡すべき歌、渡すべき言葉――それらは丁寧に文箱へ。そして、渡すべきでないもの――それらは、迷うことなく火鉢の炭の上へと投じられていく。


紙が炎に舐められ、端からゆっくりと黒く縮れていく。

老いの嘆きが、迷いの言葉が、熱に炙られて歪み、一瞬だけ赤く浮かび上がっては、やがて灰へと変わっていく。


その様を、誠はただ静かに見つめていた。


不思議と、胸は痛まなかった。

むしろ、選び抜かれた言葉だけが残っていくことに、ある種の清々しさすら覚えていた。


一枚、また一枚。火の粉が、行灯の灯りの中に小さく舞い上がっては消える。


すべてを灰にし終えた後、誠は懐紙の中から、あの小さな紙片――「貞心」の二文字が記された、宛名の一片――を取り出した。


これだけは、燃やせない。


誰にも渡さず、しかし決して手放しもしない。

世間には本文という「普遍」を差し出し、自分の手元には、この一片という「秘密」だけを残す。


誠はその紙片を、幾重にも重ねた懐紙で丁寧に包み直し、文箱のさらに奥、他の何物とも紛れることのない場所へと納めた。


火鉢の炭は、まだ小さく赤い光を灯していた。

誠はしばらくその残り火を見つめてから、静かに灰をかぶせ、火を落とした。


部屋には、二度と誰の目にも触れることのない言葉が燃えた匂いだけが、かすかに漂い続けていた。


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