第四話 私だけの和尚
初七日を終えてなお、誠は島崎の里を去りかねていた。
木村家の一間に間借りし、和尚の遺した反故紙を一枚一枚、確かめるように広げていく作業に、誠は没頭していた。詩、歌、書きさしの経文、子供へ宛てた覚え書き――そのどれもに、和尚の息遣いが染み込んでいるように思われた。
弟子筋の者や、生前親しかった文人たちが、噂を聞きつけては訪れた。
誰もが一様に、和尚を偲ぶ言葉を口にし、遺された書の一葉でも譲り受けられぬかと、遠慮がちに切り出す。
「和尚様の御歌は、もはや世に広く知らしめるべきものにございましょう」
そう告げた一人の老僧に、誠は静かに、しかし揺るぎない声で答えた。
「いいえ。この方の言葉を、あちらこちらへ散らすことは、いたしませぬ」
老僧は怪訝な顔をしたが、誠はそれ以上、説明を加えなかった。
夜、行灯の灯りの下、誠は一枚の反故紙を胸に抱くようにして座っていた。
世間の口の端に上り、好き勝手に語られ、都合よく切り取られていく和尚の姿――それを思うだけで、腹の底から得体の知れぬ焦燥がこみ上げてくる。
(渡してなるものか)
誰にも。どの寺にも、どの文人にも。
世間の雑音に紛れさせてしまえば、和尚はきっと、生前とは似ても似つかぬ姿に変えられてしまう。あの霙の夜、誠だけに向けられた声も、指の温もりも、誰にも分かるはずがない。
(私が、残すのだ)
その決意は、誠自身の耳にも、ひどく清らかに響いた。
私心のためではない、和尚のためだ、と。
行灯の灯りが、誠の膝の上に広げられた反故紙の束を、淡く照らしていた。
誠はその一枚一枚を丁寧に撫でつけ、文箱の中へとしまい込んでいく。ちょうど、幼子を寝かしつけるときのような、慈しみに満ちた手つきであった。
文箱の蓋をぴたりと合わせ、微かな音を立てて閉ざしたとき、誠の口元には、ほとんど気づかれることのないほどの安堵の笑みが浮かんでいた。




