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蓮の月 —愛する人を遺そうとした尼・貞心尼—  作者: 細川 雅堂
第一章 泥

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第二話 手まりの波紋

閻魔堂の暮らしに、五年の歳月が流れた。


村人たちの噂は、もはや誠にとって何の刺激ももたらさなくなっていた。

「姉さ庵主」という物語は、あまりに手に馴染みすぎて、演じることすら億劫になるほど、日常の一部に溶け込んでいたのである。


(誰も、見てはいない)


托鉢の道すがら、ふとそんな思いが胸をよぎることが増えていた。

村人たちは彼女の悲しみを消費こそすれ、その奥にあるものを本当に見ようとはしない。噂はいつも表面をなぞるだけで、彼女という器の深さには決して届かない。


その空虚さに、誠自身、名をつけられずにいた。

その年の秋、島崎の木村家に、一人の老僧が身を寄せているという噂を耳にした。


良寛。


飄々と村々を歩き、子供らと手まりをついて戯れるかと思えば、書に向かえば何人も及ばぬ境地を示すという。欲もなく、名利もなく、ただ在るがままに在る――そう語られるその人物の噂を聞いた時、誠の胸に兆したのは、憧憬でも同情でもなかった。


(その眼は、何を見るのだろう)


村人の目とは違う目。物語の表層だけをなぞらない目。

もしその老僧が、自分という器を――型どおりの「悲劇の尼僧」の奥にあるものまでも見透かすとしたら。


その夜、誠は文机に向かい、一つの手まりを縫い上げた。絹糸をきつく、きつく引き絞る指先に、微かな熱が宿る。そこに一首の歌を添えた。


 これぞこの 仏の道に 遊びつつ つくや尽きせぬ 御法なるらむ


(私を見なさい、和尚様)


筆を置いた誠の胸の奥に、甘い痺れが広がっていく。

長らく空いていた舞台の暗がりに、ようやく望みうる「たった一人の観客」を見出した者の、密やかで毒を帯びた昂ぶりであった。


だが、島崎の庵を訪ねたその日、和尚は留守であった。寺泊の密蔵院に仮寓しているという。誠は手まりと歌を木村家の者に託し、島崎を後にした。


会えなかったことへの落胆よりも、誠の胸には別の感情が疼いていた。姿を見せぬ相手にこそ、自分の物語を最も鮮やかに届けられるのではないか、という――ほの暗い期待である。


数日後、良寛が庵に戻ったという報せとともに、返歌が届いた。


 つきてみよ 一二三四五六七 八九の十とおさめて――


歌を見た誠は、思わず息を呑んだ。手まりをつく童のような無邪気さの奥に、すべてを見透かした者だけが持つ、底知れぬ静けさが滲んでいたからである。


拒まれたのでも、迎えられたのでもない。

ただ、あるがままに、受け止められていた。


その静けさに、誠の胸の奥で、何かが小さく波紋を立てた。


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