第一話 姉さ庵主
文政三年の霜月。
福島の里に、うっすらと雪の気配が忍び込んでいた。
薪を背負い、山道を下る一人の尼僧の姿があった。
編笠の下からわずかに覗く横顔は、まだ二十五という若さに似合わぬ静けさをたたえている。すれ違う村人たちは、誰からともなく声を潜め、その背をやり過ごしてから、ようやく息を継ぐように囁き合った。
「あれが、姉さ庵主さまじゃ」
「若うして殿御に離縁され、この里の閻魔堂にお入りなすったとか」
「なんとまあ、お労しい……」
囁きは、風に混じって彼女の耳にも届いていた。
だが誠――貞心という法名を得たその人は、振り返りもしなかった。振り返る必要が、なかったのである。
灰色の空から、粉のような雪がひとひら、またひとひらと落ちてくる。吐く息は白く、すぐに宙へ溶けて消えた。
薪の重みに肩を軋ませながらも、その足取りにはどこか、演者が舞台の上を歩むときのような、抑えた品位があった。悲しみに沈む女、という型を、彼女はもう長いこと、寸分の狂いもなく演じ続けてきたのだ。
(労しい、か)
胸の裡で、その言葉を静かに転がしてみる。
労しいと言われることに、もはや痛みはない。むしろ、その言葉が村人の口から発せられるたび、彼女の輪郭は一段と鮮やかに縁取られていくような、奇妙な充足があった。
夫との離縁。二人の子との死別。仏門への逃避――と、村人たちは語る。
だが彼女自身、その物語のどこまでが真実で、どこからが自分の手で丹念に磨き上げた意匠であるのか、もはや判然としなくなっていた。
閻魔堂に戻り、薪を土間に下ろす。狭い庵に、夕刻の薄闇が満ちていく。
囲炉裏の灰をならしながら、誠はふと、自分の指先を見つめた。灰にまみれてなお、血の気を失ったその白さは、暗がりの中で仄かに浮き上がって見える。
美しい、と思う。
悲しみに磨かれた指だ、と。
彼女はただ静かにそう納得し、何事もなかったかのように再び灰を均しはじめた。
村人たちが語る「姉さ庵主」の悲劇――それは彼女が誰かに強いられたものでは、決してなかった。




