中編① 第二の朝
リファーリアが静かに扉を開けると、廊下で待機していた侍女たちが一斉に頭を下げた。
銀の盆には、湯気を立てる野菜のスープ、小さくちぎられた白パン、温められた牛乳、そして蜂蜜を少量添えた果物が並んでいる。
五歳の王子には十分すぎるほど栄養を考えられた朝食だった。
「失礼いたします。」
音を立てぬよう慎重にワゴンを押し、ベッド脇の丸いテーブルへ運ぶ。
王宮では、王族が食事をするだけでも決められた作法がある。
器を置く位置。
スプーンの向き。
ナプキンの畳み方。
全てが長い歴史の中で受け継がれてきたものだった。
アルベルトはその一つ一つを眺めながら、小さく息を呑む。
(……すごい。)
(映画のセットじゃない。)
(本当に生活として根付いている。)
木製だと思っていたテーブルは、美しい木目に細かな彫刻が施されている。
銀食器には王家の紋章。
椅子一つ見ても職人の技術が伝わってくる。
前世での頃の癖なのか、自然と「どう作られているのか」を考えてしまう。
(この椅子……全部手彫りか。)
(量産なんてできない。)
(一脚作るだけでも何週間かかるんだろう。)
思わず指先で彫刻をなぞる。
少しだけ歪みがある。
機械加工ではない、人の手で削られた証拠だ。
(……いい仕事してる。)
そんなことを考えていると、
「アルベルト様?」
リファーリアが不思議そうに首を傾げた。
「お気に召しましたか?」
「あ……うん。」
「この机ですか?」
「……きれいだなって。」
それだけ答える。
本当は、
『のみの刃幅は何センチだろう』
『この継ぎ手なら釘を使っていない』
『乾燥期間はどれくらいだ』
そんなことばかり考えていた。
だが五歳児が言うには不自然すぎる。
リファーリアは柔らかく微笑んだ。
「こちらは先王陛下の時代から使われている家具だそうですよ。」
「そうなんだ。」
「職人たちが代々修復しながら大切に使っております。」
アルベルトは驚いた。
(修理しながら使う文化か。)
(なるほど。)
現代日本では壊れれば買い替えることも多い。
しかし、この世界では違う。
一つの家具を何十年、何百年とかけて使い続ける。
それだけ木材も、職人も貴重なのだ。
その事実だけで、この世界の生産力がぼんやりと見えてくる。
(まだ何も知らない。)
(でも、少しずつ見えてくる。)
アルベルトの胸は、不思議な高揚感で満たされていた。
知らない世界。
知らない文明。
知らない文化。
それらを一つ一つ知っていくことが、今は何より楽しかった。
リファーリアはスープを目の前へ置く。
「少し熱いので、お気を付けください。」
立ち上る湯気からは、玉ねぎによく似た甘い香りが漂う。
他にも、人参に似た根菜。
芋。
香草。
肉は入っていない。
質素だな。
だが、丁寧に時間をかけて煮込まれていることは香りだけで分かった。
ゆっくり口へ運ぶ。
優しい味だった。
塩気は控えめ。
素材の甘みがよく分かる。
「美味しい。」
自然と口から漏れる。
リファーリアの表情がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます。料理長も喜びます。」
「料理長?」
「はい。アルベルト様は好き嫌いが少し多くていらっしゃいましたので……。」
(ああ。)
(五歳らしい。)
思わず笑いそうになる。
前のアルベルトは野菜が苦手だったのだろう。
しかし前世では、仕事帰りにコンビニ弁当やカップ麺で済ませる日も少なくなかった。
温かい手料理をゆっくり味わうことなど、いつ以来だろうか。
一口。
また一口。
噛みしめるたび、胸の奥が少しだけ熱くなる。
(……うまい。)
(本当に。)
豪華だからではない。
誰かが自分のために作ってくれた食事。
それが、こんなにも心に沁みるとは思わなかった。
ふと、前世の朝を思い出す。
まだ暗いうちに起き、急いで支度をし、コンビニで買ったパンを車の中で流し込む。
現場へ向かい、一日中走り回る。
夜遅く帰宅して、また眠る。
それを繰り返す毎日。
(あれも悪い人生じゃなかった。)
(でも……。)
心のどこかで、ずっと空白を抱えていた。
誰かの役には立っていた。
いろいろな建築物を造った。
それでも最後に残った感情は、
「俺は何かを成し遂げたのだろうか。」
その問いだけだった。
だからこそ。
アルベルトはスープを見つめながら、小さく拳を握る。
(この人生では。)
(急がない。)
(焦らない。)
(まずは、この世界を知ろう。)
(知って、学んで、人と向き合って……。)
(その先で、誰かの未来に残るものを築こう。)
その決意を口にすることはない。
まだ五歳の少年には、大きすぎる夢だからだ。
しかし、その瞳には、幼子とは思えない静かな光が宿り始めていた。
その様子を見つめるリファーリアは、胸の奥で小さな違和感を覚えていた。
(……本当に、不思議なお方。)
目を覚ましたアルベルトは、以前とはどこか違う。
言葉遣いも、物事を見る目も。
けれどその変化は、不安よりもどこか温かなものに感じられた。
まるで、小さな灯火が静かにともったように。
彼女は気づいていない。
この朝が、後にヴァルデリア王国の歴史書で「賢王誕生の日」と語られる長い物語の、最初の一歩であったことを。
初投稿になります。
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