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私創 三国志異聞奇譚〔本編〕「銀の黄昏に、白玉の龍が哭く」〜戦乱世を凌駕した美しき龍人の鎮魂歌  作者: 若沙希
第二章 冥漠を裂く赤き鉤月 〜後編「水琴哀鳴(すいきんあいめい)」
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第91話 冤罪

「収賄罪……!?」


 聞かされた話の衝撃に広元は唖然とするばかりである。

 まだ息の整わぬ徐福が、見聞きした状況を語った。


「つい先ほどだ。突然、県尉《けんい》(県の警察長官)の小吏どもが崔邸に押し掛けてきて、有無を言わさず州平を引っ張っていってしまった」


 徐福《じょふく》の居宅は、崔邸と隣り合わせている。騒がしさに気付いた徐福が駆けつけてみると、崔衡《さいこう》はすでに後ろ手に縛り上げられて、強引に引かれていく姿だったという。


「崔家当主の叔父君と従兄も、先に役所で捕らえたと役人は喚いていた。詳細は不明だが……上計《じょうけい》帳簿の一部を詐称した上に、便宜の報酬賄賂を受け取っていたのだと」

「馬鹿な!」


 広元が珍しく語気を張り上げる。

 崔衡の叔父と従兄、広元はふたりの人柄を深く知るというほどではない。とはいえ、少なくとも不正を企んだりする人物とは思えなかった。


「だいたい、どうして州平までが連坐させられる。彼は官吏でも何でもないんだぞ」

「わたしもそう言ったが、よくわからんのだ。ただ、州平は外部者でも役所に身内として出入り出来ていた。つまり逆に便利な立場であったと……」

「そんな勝手な理屈があるか!」 


 広元は卓を掌《て》で強く打った。徐福に当たる話ではないとわかってはいるものの、怒りの感情が前に出てしまう。


 崔衡のことを広元はよくわかっているつもりだ。

 世間から『銅臭』と指を刺され、理不尽な人生を背負わされ続けてきた崔衡は、金権などという世界から誰よりも遠い位置にいる。仮に命を売ったとて、そんな道を、あの男は絶対に選ばない。


 ともあれ、ここで議論していても始まらなかった。

 漢律《かんりつ》が瓦解《がかい》している今、まともな査問が執り行われるとは限らないのだ。

 取り返しが付かぬ事態となる前に、何か手を打たねば。


「元直《げんちょく》、水鏡先生へ急ぎ報告に行ってくれ。何か知恵を貸していただけるやも知れん」


 広元の言葉に頷いた徐福は、即、立ち上がると、身をひるがえし、飛ぶように表へ駆けていった。

 見送る間も置かず、広元も出掛けるための支度を整え始める。


「広元、どこへ行く」


 一連を不思議なほど黙って見守っていた珖明が、背から呼び止めた。徐福が来る前まで広元に見せていた厳しさは、もう消えている。


「石家だ。石の父に願って……実父に、取次いでもらう」


 漢律《かんりつ》での刑罰は、基本として「死刑」と「労役刑」に分かれているが、殺人などといった大罪でない限り、死罪には通常ならない。


 だとしてもこの世相、絶対にそうならぬとは言い切れなかった。

 荊州の実力者である実父の口添えがあれば、取り敢えず無謀な執行は留め置けるかもしれない。まずは少しでも間を稼ぐことが先決だと、とっさ、広元は考えたのだ。


 珖明は右手指を顎に当てて思案する姿を見せた後、眼を上げた。


「それも有効な動きだが、樊亭候《はんていこう》(広元実父の称号)への取次には、どうしてもある程度時間が掛かかってしまうだろう」


 広元は実父と、疎遠と言わぬまでも長らく会っていない。そもそも荊州高官の実父は、公務で今、襄陽にいるとは限らないのだ。


「確かにそうだが……かと言って他に」

「冤罪を晴らすのに必要なのは証拠だ。それを示せねば、石公にも樊亭候にも、決定的な動きは取っていただけまい」

「……」


 理路整然、こんな場面でも、変わらず珖明の思考回路は冷静であった。

 ちなみに『石公』とは、広元の養父に対し、珖明だけが使っている尊称である。


「広元、先に龐《ほう》士元《しげん》に会いにゆけ」

「え……?」


 それは広元の発想には浮かばなかった名であった。

 意を汲みかねている広元に珖明が説く。


「時宜《じぎ》よく、士元どのはすでに功曹《こうそう》の任についている。獄関係は功曹の直接職務ではないが、功曹は人事を精査評価する権限の強い役職。この件は彼の協力が得られれば、早く、効果が大きい」

「……!」


 蒙《もう》が啓《ひら》かれるとはこのことか。

 ただ同時、広元は別の懸念に気付いた。


「士元どのは、州平のことをほとんど知らないんだ。それに……あまりに着任仕立ての立場で、このような大事に手を貸してくれるか……」


 上計までが絡んだ事件など、新任には大き過ぎる案件ではないだろうか。


「新任だから都合がいいんだ」


 珖明の頰が上がる。


「彼は充分に野心家だ。勝算のある話には乗る。手柄は誰も欲しいものだからな」


 自信ありげに光る眼。


「広元。あの男の能力は頼りになるぞ」

「……」


 周瑜《しゅうゆ》や司馬徽《しばき》の見解に、珖明もまた同意しているのか。

 広元自身はそのあたり、正直まだいまひとつ実感できておらず、可否の判断は出来ていない。


 ともあれ、逡巡《しゅんじゅん》している時間はなかった。珖明も身支度に立ち上がる。


「石家へは取りあえずわたしが向かおう。わたしからでも、石公は話を聞いてくださるだろう」


 ふたり共支度を終えて宅を出る際、珖明は広元を励ますつもりか、柔らかな微笑を送った。


「大丈夫だ、広元。士元はきみの話ならよく聞き入れる。きっと、力を貸す」


◇◇◇


 龐統《ほうとう》が通常勤務をしている郡府を広元が訪れてみると、龐統はたまたまこの日、母の看病都合により早退したとのことであった。


 足を龐家に向けた広元は、邸で面会した龐統に事の次第と真相調査依頼を願い、真摯に懇請した。

 広元の希望としては、当然ながら『崔家の無実の罪をはらす』ことを第一としている。


 事情を聞き終えた龐統は、顎をさすりつつ。


「ふむ。崔州平どのと話したことは無いが……崔氏の過去事情はわたしも聞き及んでおり申す」

「士元どの、それは」

「だからといって金銭不正に結び付くとは、確かに、どうも安易に出来過ぎ話な気もしますな。そも、崔氏二名の仕事ぶりや人柄は、勤勉で評判も良いと聞き及んでおります」


 龐統は瞳をくるくると動かし、考えを巡らせた。やがて呟く。


「今の上計掾《じょうけいえん》は、張氏の縁者であったか」


 上計掾は、崔衡の叔父と従兄の上官である上計部門の長。功曹掾と同じく、上計掾もその郡出身者が担うのが規定であり、自然、地元有力氏縁故の者が多くなる。


 ―――― 張氏……。


 広元の脳裏に、いつかの列肆《れっし》主人との経緯が思い出された。

 崔衡を蔑視したあの主人、張湯《ちょうとう》も張一族だ。しかしまさか、関係はあるまい……?


「話は相分かり申した、広元どの」


 龐統は広元に目線を固定する。


「かなり難しい案件でもあり、結果が広元どのの願う形に行くとは言い切れぬが、崔州平どのも同門生、水鏡先生への恩返しでもある。早急に出来る限りのことはするとお約束しよう。少なくとも不確かな罪で、無謀な刑執行などはさせませぬ」


 龐統は力強く首肯し、両口端を上げた。

 お世辞にも見目良いとは言えぬ容貌の龐統だが、今これほど頼もしい笑貌はない。


「おお……心から感謝します、士元どの。何卒よろしくお願いします」


 ひとつ射した希望の光に、広元は深々と礼を返した。


 身近にある大切な命を、不本意に死なせるようなことはさせない。

 妹の楸瑛《しゅうえい》を失ってから持ち続けているその念いを、広元は今も強く、心に誓っていた。



<次回〜 第92話「熱夢」>

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