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私創 三国志異聞奇譚〔本編〕「銀の黄昏に、白玉の龍が哭く」〜戦乱世を凌駕した美しき龍人の鎮魂歌  作者: 若沙希
第二章 冥漠を裂く赤き鉤月 〜後編「水琴哀鳴(すいきんあいめい)」
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第87話 周瑜の目的

 三月の鳥とされる秭鳺《ほととぎす》は、鋭く忙しない鳴き声で知られ、その生態や伝説から、一般にあまり縁起よく思われていない、少々気の毒な鳥である。


 晩春となるこの月の中旬、その鳥声も黙らせるような荒天が三日間続いた。

 まるで、まもなく訪れる高気温と、長雨によって人の生活を脅かす時期を迎えることへの、警鐘のようでもある。


 そんな嵐がやっと静まってから二日後、まだ雲を多く残す夕刻前。広元は襄陽《じょうよう》界隈の景勝地である檀渓《だんけい》を、そのほとりの岩上に坐して眺めていた。


 壇渓水は、西側の近くにある柳子山《りゅうしさん》を源流とする。そこからの清流と他からもくる湧水とが合流し、『鴨湖(おうこ)』と呼ばれる大きな湖沼を成していた。

 鴨湖から流れは北と東のふたつに分かれ、檀渓水は北へ流れて、本流の沔水《べんすい》に注いでいる。


 鴨湖から出てすぐのこの場所で、川幅は急に狭くなる。そのせいと、ここ数日の雨による増水とで生まれた激流が、両岸にそびえる岩壁を荒々しく洗っていた。


「何やら浮かない顔だな。どうした」


 掛けた声は、崔衡《さいこう》。

 未刻《みこく》(14時)頃に広元宅を訪ねてきた崔衡とともに、広元はこの場所へ来ている。


「別に、何も」


 眼下の急流に視線を落としたまま、広元は気の抜けた返事をした。


 いや……違う。『何も』など嘘だ。返事とは逆しま、今の広元は気が抜けているどころではない。

 龐氏邸での宴から六日。この間に起きた一連の出来事を、広元は胸中で懸命に咀嚼《そしゃく》してきたものの、まだ、処理しきれないでいる。


 そんなとき、崔衡が突然訪れた。

 崔衡が事前の約束も無く顔を出すなど珍しいというのに、広元は訪問の理由も尋ねず、逆に崔衡を壇渓に誘った。

 自身の抱える気分を押し流す渓流の流れでも見たかったのが、正直な心境だったのだ。


 勇ましい景観を眼下に、広元は六日前の場面を、脳裏に繰り返し再現している。


 ――――『大胆不敵』ってのは、周瑜《しゅうゆ》のためにあるような言葉だな。


 現今情勢のさなか、荊州、しかも劉表《りゅうひょう》膝下《ひざもと》の襄陽に単身潜入するとは、度胸を通り越して無謀に近い。


「襄陽でわたしの人相を知る者など、特におるまい」


 あの折、驚愕しっ放しの広元に見せた周瑜の余裕貌。言外に『この場に居合わせる者の他には』と付け加わっていた。広元達が他言しないことを、周瑜は見越している。


 むろん広元はこの秘密を明かすことなど出来ない。周瑜は命の恩人なのだ。

 なれど、石家父は荊州官吏であり、広元個人が荊州臣下でないとにしても、そこには強い関係性があった。


 広元は龐統《ほうとう》を一瞥《いちべつ》する。 


 ―――― 龐統は、これから南郡官吏になる身だ。


 龐統の直属上官は南郡太守、その上は荊州牧・劉表である。

 龐統が周瑜といくら縁深い間柄とはいえ、これは、直近の敵将ともいえる者を自邸に匿っているという、危うすぎる形ではないか。


 矛盾した立ち位置にいる龐統は、いったいどういうつもりであろう。そして龐統を推挙した師匠・司馬徽《しばき》は、このことを承知しているのか。


 不可解さを隠せぬ広元の面様を、周瑜がとらえた。


「案ずる必要はない、広元。きみらの師は何も知らぬ」


 有無を言わせぬ強い気。もとよりそういう性格要素を持つ周瑜だが、この二年間に、将としてより確固たる実績を積み重ねてきたことで、その精悍ぶりは数倍増していた。


「取り逃がした黄祖《こうそ》が、孫氏の仇敵であるのは変わらん。が、それはそれ。呉候《ごこう》(孫策《そんさく》)は、もう荊州と事を交えない。呉候の目下最大の敵は、陳登《ちんとう》に移っている」

「陳登?」


 出た名の意想外さに、広元が反復する。


 広陵太守の陳登は、善政者としての評が高いと聞こえる一雄である。陳登の力添えにより、曹操《そうそう》はそれまで手を焼いていた猛将、呂布《りょふ》を討伐出来たとの風聞だった。


 ここで、珖明がこの日初めて政治的な話題を口にした。


「そういえば孫候と陳登とは、最近、江南の覇を争う敵対関係にありましたね」


 どこから得ているのか不詳なのだが、珖明が語る情報は基本的に常、精度が高い。

 広元は腕を組む。


 ―――― 周瑜の説明が真実なら……孫策は荊州侵攻を諦めた、ということか?


 宿敵黄祖を打ち払った、あれほど勇往邁進な若い将が、そう簡単に方向転換をするだろうか。


 周瑜は美麗な口角を上げてみせた。


「為《せ》ん方無いが、呉候と陳登とは相性が悪い。そちらの戦は避けられんだろう。ゆえに今一度、士元《しげん》を迎えたいと考えて来たのだが……ひと足遅かったようだな。荊州に仕官してしまったとは」


 諦笑。受けた龐統は、手を後頭部に当てて顎を引いた。


「申し訳ございませぬ、公瑾《こうきん》様。これも若造の経験と、寛大にお許しいただきたい」

「是非も無い。……だがこの先、こちらの敵にはなってくれるなよ」

「まさかまさか。身のほどはこの龐統、わきまえておりまする」


 聞いている方は笑えぬ会話だ。にもかかわらず、ふたりの空気感は居巣でのそれと変わりなかった。


 広元は改めて感じ入っている。

 周瑜の人材蒐集(しゅうしゅう)意欲が並でないのは、周知の事実。魯粛《ろしゅく》の例しかり、周瑜は必要とあらば、身分や距離にかかわらず、自ら出向く。

 龐統を得にはるばる来たという説明に、嘘はないと思えた。それこそ、周瑜らしい行動だ。


 ……確かに、らしい、のだが。


 ―――― 本当に、龐統だ(・)け(・)が目的か。


 そんなはずはないだろうことを、そのときすでに、広元は察知していた。



<次回〜 第88話「崔衡《さいこう》」>

【用語解説】

◆太守:郡の長官。

◆呂布:三国時代随一の猛将として恐れられた人物。

◆陳登:時流の中で多くの将に仕え、文武と胆志を兼ね備えた名臣と称される。

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