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私創 三国志異聞奇譚〔本編〕「銀の黄昏に、白玉の龍が哭く」〜戦乱世を凌駕した美しき龍人の鎮魂歌  作者: 若沙希
第二章 冥漠を裂く赤き鉤月 〜後編「水琴哀鳴(すいきんあいめい)」
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第85話 龐家の祝宴〈2〉

周瑜しゅうゆが再び合流したことで、孫策そんさく軍は一層力を増したわけか」


 龐統の貴重な体験話に強い関心を示したのは、徐福。


袁術えんじゅつ死後の孫策の破竹ぶりは、それまでにも増して凄まじいようだからな」 

「ははあ、袁術か。人騒がせな男でしたな」


 龐統は、周瑜や孫策側ではなく、そちらを拾った。


「自業自得とはいえ、一度は皇帝を名乗った名門御曹司。あのようにわびしい末路を迎えるとは」


 孫策や周瑜の元主人であった袁術に、微少の感傷を含んだ息をつく。

 その嘆息には広元もつられた。居巣きょそうを発つ直前に周瑜から明かされた、袁術動向に驚いた場面を思い出す。


「袁術一派は、とうとう滅んだのでしたね」


 曹操そうそうに挑み敗れた袁術は、その後も負け戦を重ね、急速に追い詰められていった。

 援けを求めた部下にさえ見放され、あげく、あれほど険悪だった従兄弟の袁紹えんしょうにまですがろうとしたのだ。


 だが、時すでに遅し。

 最期は、己が皇帝僭称(せんしょう)をした本拠地・寿春じゅしゅんに近い、江亭こうていという小さな村で、ひとり寂しく病死したのだという。

 昨年の六月のこと。


「後講釈のようですが……袁術は自身を客観視できなかったのでしょうか」


 広元の声色に哀れみがみえるのは、面識のない、しかも死した者を評することに気が引けているからだ。

 徐福は的確に諭す。


「そんな機会は袁術にも多々あったろう。孫策とて、真摯しんしいさめたというではないか」


 皇帝即位という袁術の野心を知った孫策は、その愚を思いとどまるようにしたためた文を、袁術に送ったとされる。

 

「置かれた立場に不相応な気質の総帥そうすいは、己に不都合な響きに耳を塞いでしまうものだ。忠言耳に逆らうはまことだな、広元」


 『忠言耳に逆らう』とは、孔子の格言である。

 孫策、そしておそらく他にもいたであろう忠臣の言に耳を貸さなかった袁術は、結果的に、孫策、周瑜という重要配下を失った。


 主従関係とは、主君側に一方的な選択肢があるわけではない。下も上を見極める達眼を持つ必要がある。


 続いて、龐統の弟の龐林ほうりんが会話に参加した。


「袁術とは対照的に、昨年の孫策軍の勢いたるや、もはや手がつけられないと言えましょう。わが荊州にまでも、侵略してしてくるとは」


 話が身近な戦の件にふれた。

 

 広元は若干の緊張を覚える。徐福と龐林の関心は軍事路線に重きがあるようだが、現今それは、あまり声高にしてよいような話題ではないからだ。


 荊州では ―― この様な内輪場ではよしとしても ―― 孫策という名自体、まして戦事を、大っぴらに語ることがはばかられていた。

 昨年末のこと。ついに孫策は荊州に攻め込んできたのである。


 迎え撃ったは、劉表の配下・黄祖こうそ。昨今の荊州においては大戦となった。

 そして……劉表側は、大敗したのだ。


「黄祖の失態ぶりも情けないが、孫策があそこまで強いとは。正直、驚いた」


 予想を超えた結果に、徐福がうなる。

 戦場は襄陽よりずっと南東、襄陽城を囲んでいる沔水べんすいが江水に流れ込む、水上交通の要地点、荊州江夏(こうか)夏口(かこう)


 孫策は、劉表の派遣した援軍の長矛ながほこ部隊五千人を蹴散らし、敵兵2万人余りの首級を挙げるほど大勝したという。

 黄祖は家族さえも置き去りにして、身ひとつで敗走した。


 広元は胸中で憂いる。


 ―――― これで荊州と孫策は、完全な敵対関係になってしまったな。 


 そもそも黄祖は、孫策の父・孫堅を横死させた、孫家からすれば不倶戴天ふぐたいてんの敵。復讐を誓う孫策が許す訳がない。


 黄祖を追い落とした孫策の荊州侵攻は、現今は一旦停止されている。

 しかれど、飛ぶ鳥を落とす勢いの若い孫策に灯っているのは、復讐だけでないだろう。覇者としての版図拡大を、ここでとどめさせるとは思えなかった。


 孫策と劉表の関係は一触即発度が増すばかり、という現況である。

 安全を求める難民が今も絶えず流れ込んでいる荊州とて、一寸先はわからない。欠片も、予断を許す状態ではないのだ。


「ともあれ、兄上が孫策に仕官などしないでくれて、本当に良かったのです。でなければ此度のような名誉も、得られなかったのですから。ね、兄上」


 龐林の満面の笑み。その態に、広元も徐福も戸惑い顔をする。

 『名誉』? 母堂の快癒には、ちと合わぬ表現だが……。


 ふたりの反応を認めた龐林は、満を持し背筋を伸ばした。


「兄上はこの度、南郡の功曹属こうそうぞくに抜擢されたのです」

「功曹!?」


 小皿の肴を取ろうとしていた、広元の箸が止まった。


 功曹とは、郡吏の人事・任免賞罰を司るという、極めて重要な役職のことである。

 組織の長が功曹(えん)。功曹属はその下を務める吏人だ。

 在地勢力者が務める事が多く、人事を預かることでおのずから権限も強大なため、客観性と観察眼が求められた。

 当然、分相応の人物でなければ任命に値しない。


 功曹属に抜擢ということは、この先、長である掾の後任第一候補となる可能性を示唆している。そこからより上級官に昇進する例も、珍しくないのだ。


「水鏡先生のお力添えは無論ですが、兄の若さで、これは異例のことだと……」

士黎しれい、そのくらいにせんか」


 龐統がとがめた。

 『士黎』は龐林の字。誇らし顔をしていた龐林は、肩をすぼめる。


 ―――― そうか……それで水鏡先生が。


 広元は合点がいった。

 宴座にほとんど足を向けることのない司馬徽しばきが、今回珍しく招待に応じたのは、司馬徽が二重の龐統案件に関わっていたからなのだ。


 この宴、龐家の内心情としては、龐統の就任祝いも兼ねているのだろう。

 先にその話を出さず、龐統本人が愉悦気分に浸る様子も見せないのは、同じ水鏡門下生である、広元達への配慮と思われた。


 広元は姿勢を正し、拱手を示す。


「おめでとうございます、士元どの。立派なことではないですか」


 素直に祝言を贈った。龐林の見解は正しい。支配階級子息は別として、まだ二十一という年歯でのそれは、間違いなく大抜擢だ。

 同歳の広元が仮に仕官したとて、無論、いきなりそのような重職には就けない。


 もう一点。

 司馬徽が珍しく人材を推挙、しかもそれほどの重職にあてたということは、師として、龐統に、任への剴切がいせつを見出していることを示している。


 広元の祝辞に、当の龐統はいたって気負う風もなく、


「若輩者としてここはまず、未知の経験を積んでみようかと。官職が勤まるかどうかは、それこそ未知でありまするが」


 朱を帯び始めている顔をあらわに、明笑する。大仰さもへりくだりさもない、自然体だ。

 広元に再度、居巣での記憶が甦る。


 ―――― 周瑜も龐統を見込んでいた。……たぶん、魯粛ろしゅくと同等なほどに。


 故に手放さず、孫策の許にまで連れて行ったのだ。


 龐統と龐一家に対し、一同はあらためて温かな祝杯を贈った。龐統もまた、左右口端の水平位置がずれた独特の笑み顔で、礼を返す。

 龐統にはこれからの職務に自信があるのか、もしくは単に呑気に構えているのか、悠揚とした雰囲気があった。


 ―――― さすが、自ら行動して桁違いの経験をしてきた貫禄か。


 我と同齢なのにな、と、広元は感じ入る。


 けれども同時に……なぜであろう。

 ふと、龐統の瞳奥がどこか笑っていない風にも、広元には映ったのであった。



<次回〜 第86話 「舞姫」>

【用語解説】

孫策(そんさく):破竹の勢いで江東地方に覇を唱えている若武者。

袁術(えんじゅつ):後漢時代の名門袁氏一族出身の実力者であったが、皇帝を自称し、曹操に敗れて死した。

曹操(そうそう):後漢最後の皇帝・献帝を保護した実力者。後に三国時代の一国、魏の始祖となる。


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