第74話 私塾の異端児〈2〉
足を痛めてから二日経って、崔衡はようやく自邸から外へ出た。
晴天、初夏に差し掛かる適温な気候が心地良い日和。目の前を流れる檀渓水が、いつもの水音を発している。
水流れの多いこの地域は、その恩恵も得る一方で<水害>という宿命を負っていた。
その害を避けるために、崔衡の邸も若干、高台にある。
坂を下った河岸に崔衡は腰を下ろした。
この辺りの水流は、ここから少し先にあるひときわ激流の箇所、檀渓に向かっているために比較的早く、流水音も低くない。
襄陽に住まうようになってから、崔衡は常、この水音を耳に起居していた。
話相手のいない川辺……崔衡は想いに耽る。
―――― 襄陽に来てもう四年か。早いといえば、早いな。
崔衡は荊州人ではない。彼が生まれたのは、ここ襄陽から遠く北東、冀州中山国博陵(河北省衡水市)である。
彼の父・崔烈は、若い頃から北洲で名声ある学者だった。
要職を歴任し、やがて現在の天子・献帝の父である霊帝の御代には、漢王朝最高官位、三公の一つである司徒にまで上り詰めた男だ。
という生い立ちからすれば、崔衡は破格の名門子息になるわけだが、現実はそう平俗ではない。
霊帝は『暗愚帝』の代名詞として名高かった。末期症状であった後漢王朝にとどめを刺したのは霊帝である、と人々は伝える。
その悪政の代表例が〈売官制〉だった。
貨殖に熱心だった霊帝は、驚くべきことに、官職を銭で売ったのである。
実際、一時的に王朝の財政は豊かになった。
しかるに中央施政がそんな事をしては、もう救いようが無い。
そして……どういうつもりであったのか、悲しいことに崔衡の父、崔烈が、その制度に乗ってしまった。
崔烈は司徒の位を、五百万銭の大金で買ったのである。
結果、崔烈のそれまでの名声は一気に地に落ちてしまった。
その一件から『銅臭』、すなわち『銅銭の臭いが酷い金権政治』という成語さえ生まれた。
崔衡は当時まだ幼く、その頃の記憶はおぼろげでしかない。
ひとつ、父親のその行為を崔衡の兄•崔鈞が酷く嘆き、父と大喧嘩した場面は覚えている。
大人となった現在の崔衡もまた、
―――― 父上はいったい何故、そんな愚行に走ってしまったのか。
皆目、理解できないでいる。
父の考えはどうであれ、以来の崔衡は兄の崔鈞と共に、『出世したさに三公の位を金で買った崔家の子』として、世間から後ろ指をさされる人生となってしまったのだ。
霊帝の死後も朝廷に仕え続けた父は、董卓死後の残党が起こした乱で、多くの官吏と共に殺された。
西河太守だった自慢の兄も、父親の復讐に燃えながら、それを果たすことなく病死。
生き残った崔衡が親族と共に各地を流れた末に、この荊州・襄陽へと辿り着いたのは四年前だ。
―――― 董卓がやっと死んでくれたというのにな。
朝廷を私物化し、暴虐の限りを尽くした董卓が六年前に暗殺された後も、世の混乱は益々激化するばかりである。
いったい天下は、どんな終着を目指して進んでいるのか。
流行りの讖緯(呪術的未来予言)思想に傾倒している学者達も、上に報告する解釈選びに、頭を抱えているに違いない。
崔衡は今、己の意思とは無関係で起きた過去と現今世情一連を憶いながら、独り、見慣れた川の流れを見つめている。
この流れはいつ頃から此処に存在し、どれほど生命の盛衰を見届けてきたのだろう。……
彼は坐った姿勢で右足を伸ばし、痛めた足首を少し動かしてみた。
すでに腫れもひき、痛みもほとんどない。
―――― この二日間、おとなしく冷やしてしていたからな。
実のところ、怪我の翌日にはそこまで患部の痛みを感じなくなっていたのだが、送ってくれた諸葛珖明とかいう青年の言葉に、結局、従ってしまった形になる。
―――― まあ、ひとまずそのお陰か。
早い快癒は『たかがと思って侮るなよ』と念押ししてきた相手の、奇妙な説得力に順じた結果だと認める。
―――― 彼も荊州人ではなさそうだったな。広元と同じ穎川関連だろうか。
この二日動かずにいた間書物に耽っていた脇で、崔衡は、いきなり近く接した諸葛青年のことをしばしば考えていた。
あの容貌のせいもあろうが、青年の一風変わった空気は、なんとも印象に残って離れない。
諱(本名)が確か『亮』だったことも思い出す。
『広元の居候』
そう言っていた。
同門生の石広元といえば、水鏡先生にも認められていて、塾内の若手内でも人望ある人物のひとりとされている。
優秀でありながら、本人は別段目立つ型でなく穏やかな気質で、人柄にもまあまあ好感が持てることには、崔衡も同意できていた。
その広元とは、崔衡もこれまで幾度か短い会話はしているにせよ、それほど深く接してきた認識はない。
というより崔衡という男、対広元に限らず、常に他人との距離を意識的に置いていた。これという親しい友なども、当然ながらこれまでいない。
会話をしたこともない諸葛青年の諱を知っていただけでも、崔衡とすれば結構珍しいのだ。
「お〜い、出すぞおぉ〜」
水流音に混じり、遠くへと呼びかけるような人声が川岸方角からした。
対岸との間を往来する小さな渡し船が、此方岸を出るようとしているのが見えた。声は、竿を水中に立てた船頭の出発合図だ。
その眺めから崔衡は思い起こす。
―――― そう言えば広元は昨年、水鏡先生の依頼で、江東方面への長旅に出ていたとかいう話があったか。
ここから遥か東にある江東は、無数河川の恩恵による広大な肥沃地帯だと聞く。
襄陽も水運盛んな地ではあるものの、江東江南のそれは、より発達しているだろう。
―――― あの居候も、一緒に江東まで行ったのかな。
これまで流れ旅をして来た崔衡でも、主に知るのは北方から河水(黄河)流域にかかる地域止まりで、東や南方面とは無縁である。
とはいえ昨今の世間動乱から、そちら方面に対する多少の興味が、彼にも無いではなかった。
諦観を決め込んでいるつもりでも、そこはさすがに政治官吏家系の血か。
―――― 諸葛亮……珖明、か。
塾で会おう、と言ったつくり良い貌。
崔衡は字しか名乗らなかったのに、珖明は最後『崔州平』と言った。こちらを同門生の崔衡と認識していたわけだ。
「珖明……ね」
学習を糧と出来る質の崔衡は、私塾通いを苦にしていない。
されどその興味はあくまで学び自体にしかなく、付随する交流やら将来の可能性などには、まったく情熱たるものを持ってこなかった。
その崔衡がほんの少しだけ、通塾について別意識を持つ。
―――― もう数日我慢して完治したら、早めに塾へ行ってみるかな。礼も言わねばだし。
行けば、あの者と会えるかもしれない。
それは崔衡が襄陽に来て初めてほのかに持った、他人への関心であった。
<次回〜 第75話 「石家の事情」>




