08話 最初の試練
はるか昔、ネッビオーロ大帝国では領主間の争いが止まず、血で血を洗う泥沼の戦争が繰り返されていた。
事態を憂慮した当時の大帝は、ネッビオーロ家の軍事力だけでは争いを収められないと考え、調停機関としてひとつの組織を創設した。
それが国土統一省だった。
ネッビオーロ大帝国の帝都にあって、官庁街でひときわ輝く5階建ての庁舎。
白レンガのその建物は、「白鳥」という呼び名で親しまれている。
百年続いた内紛を収めると、しばらく平和な時代が続いた。
国土統一省の功績を忘れ、一時は解体論まで出たほどだ。
しかし、今度は近隣諸国を巻き込んだ大規模な戦争が始まった。後世に名高い「酒とバラ戦争」だ。
圧倒的軍事力を持つネッビオーロ大帝国は戦争を優位に進め、各国に対して有利な条件で終戦協定を結んだ。
戦後、このような戦争を事前に防ぐため、国土統一省は対外的な交渉も任されるようになった。
国土統一省・交渉部・対内交渉課第2係。
フランの配属先は、かつて領主同士の戦争を調停した栄光のある、国土統一省の……窓際部署だった。
花形は専ら近隣諸国と渡り合う「対外交渉課」であり、帝国内の問題を扱う「対内交渉課」は平和な時代には閑職となっていた。
ある朝、対内交渉課の課長補佐、ボトリティス・シネレアの机の前に3人が立っていた。
ひとりは係長のリース・リング。栗毛色の長い髪を束ねて、シネレアを尊敬のまなざしで見つめている。
もうひとりは主査のマル・ベック。大きな図体に髭で覆われた顔、それでいて心は誰よりも乙女。
そして、入省して間もない新人、カベルネ・フラン。
シネレアは書類から目を上げた。戦場を経験した者特有の、光のない座った眼をしていた。
彼女は寡黙な人だった。右袖が中身のないままゆらりと垂れている。
かつて「万人殺し」と呼ばれた剣士の面影は、今なお健在だった。
「セレーノ峡谷の件で調停依頼があった」
それだけ言うと、彼女は書類をリースに寄こした。
「アマロ家とヴェルデ家の徴税権争い、ついにきましたね」リースが言った。「去年くらいから話には聞いていましたが、まさかまだ解決してないとは」
「リース」
「はい!」
「この件はリースに任せる。マルのほかに、サブとして新人も連れて行きなさい」
「し、新人もですか? 別に私とマルだけでも十分だと思いますが……」
「経験を積ませるにはちょうどいいだろう」
そう言われて、リースはすこし不服そうな表情を浮かべた。
それを察してか、シネレアは少し優しい表情で、諭すようにして言った。
「リースなら新人の面倒もみれるだろう。任せたぞ」
「はい!」
リースは、期待されたのが嬉しかったのか、元気に返事をした。犬だったらしっぽをブンブンと振っているところだった。
フランは、このふたりのやりとりを見て、そろそろ事情がわかってきたところだった。わかったが、触れないほうがいい。
シネレアは、フランをまっすぐ見た。
「フラン」
「は、はい!」
「念のために断っておくが、我々は裁判所ではない」
「……はい」
「どちらが正しいか決める権限はない。両者が納得すること、それを第一と心得ろ」
初任務を迎える新人への訓戒としては、あまりにも淡白なものだった。
* * *
「セレーノ峡谷って急に有名になったのよね」
リースは馬車に揺られながら、事前資料をペラペラとめくっている。
もうひとりの先輩であるマル・ベックは、馭者として手綱を握っていた。
「私は飲まないから知らなかったんだけど、昔からワインの名産地だったらしくて。ただ、知る人ぞ知るって感じのマニア向けの場所らしいの」
フランも同じく資料をめくっていたが、用語が難しくて一度には理解できない。
そこで、リースにかいつまんで教えてもらっていた。
「ところがいきなり有名になった。なぜだと思う?」
質問を受けたフランは慌てて該当箇所を探す。
ところが、そこまでの情報は書いていなかった。
「まあいいわ。理由は『新道』よ」
リースが添付の地図を指差す。
去年の始めに帝国の一大事業として開通した、国道3号だった。
「資料には書いてないけど、他の情報も考慮してよくよく観察すること。資料だけに頼ると敵に足を掬われるよ」
はい、とフランは返事をしたが、内心理不尽だと思っていた。
「新道ができる前、セレーノ峡谷のワインは荷馬車で山を越えていたの。大量に運べないから、帝都に届くのはほんの数本だった」
「……それと新道がどう関係するんでしょうか」
「安全・安心・最短ルート。荷運びの理想を全部新道が叶えてくれた。大量輸送が可能となって、年の税収は100万から1000万になった」
「10倍……!?」
「税が10倍になれば、峡谷に興味がなかった領主も気づくでしょ。峡谷を挟んで隣り合う両家が全面的な支配を主張し始めたの」
リースは資料を指さした。領主たちの主な主張の箇所だった。
「アマロ侯爵家は、醸造家への技術支援や金銭面での援助をしてきたの。だから、侯爵家が徴税すべきって言っててね」
「たしかにそうですけど、その主張なら全面的に指示されそうですが……」
「それがね、ヴェルデ男爵家はブドウの作付けを指導してきたの。質のいいブドウが採れるようになったのは、ヴェルデ家が面倒を見てきたことも関係している」
「それで、両家とも徴税権を主張しだしたんですね」
「厄介なことに、ヴェルデ男爵は新道の関所の管理も任されていてね」リースはため息をついた。「通行料を10倍にするって脅しているのよ。新酒の出荷を控えてるってのに」
「それは困りますね」
「もうお互い引けないのよ。プライド同士のぶつかりあい、どう収めるか悩みどころね」




