06話 初めての成功
堰の管理。この所在がはっきりしない以上、この争いは永遠に解決しないかもしれない。
そう思ったフランは家に帰ると、すべての問題を洗い出し、解決策を考え始めた。
どうすれば丸く収まるか。いや、どうすればみんなが争わずに暮らせるか。
食事もとらず、机とにらみ合うこと丸一日。ようやく一筋の光が見えてきた気がした。
次の日。村の集会所に、カルメとネイル、そして農家たちを集めた。
作業が滞る、こちとら暇じゃないんだ、そんな声がどこからともなく聞こえてくる。
それでもフランはノートを広げた。昨日、思いつく限りの考えを書きだしたノートだ。
膝は震えていたが、これまでとは違う。恐怖だけでなく自信があった。
「みなさん、きょうはお忙しいところお集まりくださりありがとうございます」
フランがそう言うと、「もう帰っていいかい?」なんて声がする。
泣きそうになるのをこらえながら、まっすぐ前を見て彼女は声を張り上げた。
「堰の補修と泥さらいの分担について、双方人手を出さないと聞きました。そこで、解決策として次の2つを提案したいと思います」
これまでの弱々しい姿と打って変わったフランの態度に、集会所が静まりかえる。
「まずは費用です。麦農家が堰の修理のために多額の費用を負担していると聞きました。ブドウ畑は費用面での負担はないそうですが、これに相違ないですか? ネイルさん」
すこしきまりが悪そうにしながら、ネイルは「そのとおりだよ」と言った。
「この領内、ひいてはこの村で麦はお金になりません。主食であり、納税手段でもあるからです。それなのに、堰の修理費を捻出するのは酷だと思います」
フランは続けた。
「一方、ブドウ畑は特産品として、ブドウやワインを販売して金銭に変えています。よって、今年から修理費用はブドウ畑側が負担することとします」
なんで俺たちが、私たちがという声が、ネイルの背後から聞こえてくる。
反発は必至だ。お金が絡むと人は取り繕うことができなくなる。
「聞いてください。もちろん、ブドウ畑が修理に人手を出していることは知っています。しかも、繁忙期ゆえに対応が厳しいとも伺っています。そこで、堰の修理は今年から麦畑側のみで行うこととします」
「金と人手を分ける、ということかい」カルメが尋ねた。「私らが人手を負担して——」
「ブドウ畑は金を出す」ネイルがつぶやいた。
「そうです。お互いに足りているもの、足りていないもの、それぞれを補い合うことが最善の道だと考えます」
「泥さらいはどうする」ネイルが言った。「これはうちだけがやるのかい」
「いえ、泥さらいも分担です。ブドウの収穫後、麦畑とブドウ畑で人を出し合います。ただ、ブドウ畑は年々作付け面積が広まっているので、6対4などすこし多めに負担してもらいます」
それを聞いて、カルメとネイルは考え込んだ。
「そして何より重要なのが、余水吐の当番をこれまで決めていなかったことだと思うんです。去年の損害は、そのつけが回ってきたんです」
余水吐? 余水吐ってなんだ? そんなのあったのか?
そんな疑問が次々と出てくる。
「余水吐は、堰の横についている木戸のようなもので、豪雨のときなど川の増水が見込まれるときには開放して水を分散させる……でしたっけ、ネイルさん」
そうだよ、とばかりにネイルはうなづいた。
「余水吐は長年使われていないように見えました。誰も堰を監視してこなかったからでしょう。これでは決壊するのも当然です」
カルメとネイルが互いににらみ合う。お前のせいだろ、と言いたげな視線だった。
「そこで、大雨の際には麦畑とブドウ畑から1人ずつ選出し、2人で余水吐を開けるようにします。いわゆる当番制です」
「記録は?」カルメが身を乗り出した。「ブドウ畑のやつらが、やってないのに『やった』と言い張ったらどうする」
フランは冷静に答えた。
「余水吐のそばに2本の杭を立てるのはどうでしょう。当番の方は布に日付と名前を書いて、杭に巻き付けます。後日、それを相手側が確認して帳面に記載するのです」
「確認を、相手がやるのかい?」ネイルが目をまるくした。
「やったやらないを未然に防ぐためです。帳面はカルメさんとネイルさんの家に1冊ずつ置きましょう。当番を果たせなかった場合は、過怠金を相手に支払います」
しばらく誰もしゃべらなかった。長い沈黙が続く。
フランは次第に焦りを覚えた。しかし、ネイルが頭をかいて言った。
「……いやお嬢様、いいんじゃないか。前の提案よりずっといい。だが……」
「だが?」
「ブドウ畑の収入源はワインだが、それも酒税で取られちまう。だから、修理費用を全面的出すというのはちょっとね。今はいいけど、やがて立ち行かなくなると思うんだ」
フランはしまったと思った。
ブドウ畑側に収入があると言っても、どれほどなのかは確認していなかった。
ネイルの指摘ももっともだ。なにかほかにいい案は……。
彼女が考えを巡らせていると、「それなら」と声がした。カルメだった。
「それなら麦畑は費用の3割を持つよ。その代わり、修理の時には昼ご飯を作ってきてくんないかな」
「……え?」ネイルは驚いたような表情を浮かべた。
「あんたらのワインで作る煮込み料理、たまには食べておきたいしね」
ネイルは黙ってうなづいた。カルメの目を見つめていたが、もう睨んではいなかった。
ふたりは、2冊の帳面の最初のページに署名し、拇印を押した。
帳面にはフランの言った提案に、ネイルの手で「昼飯を作ること」が書き加えられた。
「これからもよろしくね、ネイル」カルメが手を差し出した。
「なんだい恥ずかしい。でもまあ、その、よろしく」ネイルはその手をぎゅっと握った。
そのとき、集会所の戸の陰から、ずびずび鼻をすする音が聞こえた。
……野獣のような嗚咽とともに。
「……お父様、いらっしゃいますよね」
フランが尋ねると「い、いない! ここにはいない!」と声がした。
「泣いていますよね」
「泣いてない!」
カルメもネイルも、集会所のみんながクスクスと笑った。
「そろそろ姿を見せてください。どのみち立会人の欄に署名していただくので、いま、お父様に書いていただいた方が早く済みますし」
「……そうだったな」
ゲルニシュトは咳払いをして、領主の威厳を保ちながら堂々と入ってきて、堂々と署名した。その目と鼻は真っ赤だった。
夜。フランは自室の窓辺に座っていた。
今ごろになって手が震えだした。
聞いて、見て、ひとつずつ解決した。
剣を使って脅すこともなかった。お金の力で解決することもなかった。
それでも、来年から堰が壊れることもないし、互いに争うこともなくなる。
「……私にも、できた。できたんだ……」
声に出すと、涙が出た。士官学校でこぼした涙とは、違う味がする。
目元をぬぐいながら、フランは鞄の底から1枚の紙を取り出した。
すこし皺のついた、国土統一省の入省用の願書。
ランプの光の下で、潤んだ目のまま、それをいつまでも見つめていた。




