05話 争いの根
フランは双方の家を訪ねて、それぞれの主張に耳を傾けた。
まずはカルメから。食堂に通されると、お茶と一緒に、小さな玉ねぎを丸ごと酢につけたようなものを出してくれた。
臭いがきつく、とても手をつける気分にならない。
カルメは同じく酢漬けの玉ねぎをボリボリかじっていたが、フランはさすがに遠慮した。
「以前、脱穀にも人手がかかると言っていましたが、どのくらい必要なんでしょうか」
「そうねぇ」カルメは指を折って数えると、「まあ大体3割くらいじゃないかね」と言った。
「それなら、半分ほど人を出してくれてもいい気がしますが」
フランがそういうと。
「……去年のことさ」
カルメの声が低くなった。怒っているようだった。
「去年の秋に大雨が降ったんだけど、夜中に堰が壊れて川の水が激流になって押し寄せてね。麦畑の取水口が壊れちまったんだよ」
「……なるほど」
「堰を直すには石も材木もいるけどさ、その費用は全部うちが出したんだ。それなのにブドウの方は知らん顔でね」
「知らん顔、ですか」
「『麦畑のことは麦畑で』ってことさ。そんときに費用がかかりすぎて、うちらの儲けは無いに等しいよ」
たしかに堰の修理には莫大な費用がかかる。
補修に使う石はこの村で採掘できないため、隣村まで行って買い求めなければならないからだ。
麦はほとんどが領主に税として取られ、みんなに分配される。自分たちの儲けにはなりにくい。
なけなしの蓄えから修理費を捻出するのは、死活問題ともいえそうだ。
「水は私らだけが使っているわけじゃない。ブドウ畑のやつらも使っているんだろう? 金を出さないなら、堰の修理くらい手伝ってくれても罰は当たらないと思うんだがね」
カルメはフランの分の玉ねぎにまで手を出して、ボリボリと貪るようにして食べていた。
しばらくして、そろそろ仕事だから、とカルメが言った、
丁寧にお礼を言って、フランはネイルの家に向かうことにした。
一方のネイルは、居間で剪定ばさみを研いでいた。研ぎながら、ぽつりと言った。
「私らブドウ農家にとって、水は命なんだよ」
「それは、そうだと思いますが……」
「ブドウ畑は下流にあるからね。上流の機嫌を損ねて水を止められたら文字通り干上がっちまう。だから、上流のご機嫌取りで泥さらいも堰の補修もこれまでたくさんの人を出してきたんだ」
そこまで言ってネイルは手を止めた。
「でもさ、はっきり言って地獄だよ。収穫時期はどうしても人手がいる。ブドウは虫とか獣が食うし、なにより病気にかかりやすい。だから、この時期になったらさっさと摘んでしまうんだ」
ネイルが立ち上がった。どこかに行くと、すぐに戻ってきた。
手には瑞々しいブドウの房。皿に載せて、フランに出してくれた。
「聞くだけじゃつまらんだろうから、これでも食べてくんな」
ありがとう、とフランは言った。
一粒食べてみると、これでもかというくらい甘く、思わず歯が浮きそうだった。
「甘いかい。それは食用で、ワイン用は別に作っているんだが、どっちも時期を逃せばゴミ箱行き。よくて肥料かブタの餌だよ」
ネイルは大きくため息をついた。
「そんな時に堰の補修とかで人手を出したら、誰が収穫するんだい。摘んだって、そこで終わりじゃない。圧搾したり出荷用に磨いたりするんだ」
ゲルニシュトが勧めてきたワイン。あの美味しさは、ネイルたちの手によって作られていた。
「麦はいいよね、ちょっとやそっとじゃ腐らないから。一緒にされたらたまらないよ」
ネイルはそれだけ言うと、あとは黙ってしまった。
なにを言っても返事がない。
フランはお辞儀だけして、ネイルの家を後にした。
家に帰ったフランは、話を聞いて気づいたことをノートに書きとめた。
カルメは、麦畑の農家だけが莫大な費用を背負わされることに憤っていること。
ネイルは、忙しい時期に人手を出すことに苦労してきたこと。
ふたりは、相手を憎んでいるのではないのかもしれない。
そう思うと、昨日までの怒鳴り声が少し違って聞こえた。
翌日。フランは、カルメとネイルを連れて用水路を歩いた。
下流から上流まで見回って、実際の堰の様子を見るためだった。
「お嬢様、息があがっているけど大丈夫かい」
「だ、大丈夫です。体力には、自信があり、ます、ので」
「とてもそうには見えないんだけどね……」
足は棒のようになり、一歩を踏み出すのさえ苦労した。
ただ、そのおかげで見えたものがあった。
川と用水路をつなぐ堰は、経年劣化だろう、ところどころ石積みが崩れていた。
田畑だらけのこの地域では石は採掘できない。隣村から買ってくるので莫大な費用がかかる。
一方、さきほど見てきた下流のあたりには泥が広範囲に厚く溜まっていて、こちらも人手が要る仕事だ。
どれもカルメとネイルから聞いたとおりだった。
ふと、フランが用水路を見ると、その脇に苔むした木戸がついていた。
「これは何でしょうか?」
「これは……余水吐だね」ネイルが言った。「たぶん余水吐だ」
「余水吐?」
「水があふれそうになったら、それを開けて他所に逃がすのさ」
こんな風に、とネイルが持ち上げようとしたが、癒着しているのかビクともしない。
やれやれと言いながらカルメが手伝うと、「バギッ」という音を立ててようやく開いた。
「しばらく使われていないように見えますが」
「本当だね」カルメが言った。「ネイル、あんたら堰が決壊する前に余水吐を開けてないのかい」
その一言で、空気が凍った。
ネイルを見ると、今にも殺しそうな目でカルネを睨んでいた。
「なんだいそれ。あたしらのせいだって言うのかい!」
「堰の監視はあんたらがやっているんだろうが!」
「なんで私らが! 麦畑の方が近いだろうに、なんでそっちが監視しないで下流が世話するんだ!」
「堰の費用はこっちが負担してんのに、そのうえ管理までしろってか!」
カルメとネイルは胸ぐらをつかみあった。目線はそらさぬまま、ぎりりとお互いを見つめていた。
「ちょっとちょっと!」フランが間に入る。「喧嘩なんてしないでください!」
フランに制されて、鼻息荒くふたりは手を放す。
よほど強くつかんでいたんだろう、お互いの襟元がすっかり伸びきっていた。
「それで、大雨の日はどっちが管理しているんですか?」
フランが尋ねると、カルメとネイルは息ぴったりに指をさしてこう言った。
「『こっち!』」




