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03話 さらば学び舎

「国土統一省……ですか」


 フランは差し出された願書を、両手でそっと受け取った。

 国土統一省の入省願書。推薦人の欄には、セミヨンの名が記されていた。


「……国土統一省というのは、国内外との争いごとをまとめるところだと聞いていますが」


「私の戦友がそこで課長をしているんだけど、あなたの話をしたらえらく興味を持ってね」


 セミヨンの戦友ということは、彼女と同じかそれ以上の豪傑だ。

 そんな人が、非力で臆病なフランに興味を持つことがあるのだろうか


「私、その、見ての通り生来の無能ですし、きっとご迷惑になると思うのですが……」


 フランの弱気な発言に、セミヨンは眉をひそめた。


「生来の無能? 誰がそんなことを」


「いえ、でも、だって……」


「いいかしら」セミヨンは嗜めるように言った。「まず、あなたは無能じゃないわ」


「でも、剣は持てないし、馬にも乗れないし……」


「それは士官学校での話でしょう。世界は広いわ、フランさん」


 セミヨンはソファに深く座ると、冷めてしまったお茶を飲みほした。


「……すこし難しい話をしましょう。士官学校は、士官を育てる場所。そして士官は、戦争があれば兵を率いて戦うのが役目」


「はい」


「では」セミヨンが一拍置いた。「戦争はなんのために行うのかしら」


 とつぜんの問いに、フランは固まった。

 考えたことがなかった。戦争は、国と国、領主と領主の争いとばかり思っていたからだ。

 黙っていると、セミヨンがふっと笑った。


「ま、わからなくても無理はないわ。いいかしら、戦争とは、国家の目的を達成するための、手段のひとつに過ぎないの」


「手段の、ひとつ……」


「戦争なんかよりもっと大事なのは、利害関係を調整してお互いの目的を達成すること。これを、世の中では『交渉』というわね」


「……戦争は、交渉が決裂してから起きるもの。そう仰りたいのでしょうか」


 おや、とセミヨンは思った。


「なかなか鋭いわね。つまり、その交渉さえ上手くいけば軍人なんて必要ないのよ。その交渉を担っているのが——」


「国土統一省、ということですね」


「……最後まで言わせなさいな。まあいいわ、話を戻しましょう」


 セミヨンは空いたカップの縁をなぞりながら、フランの目をじっと見つめた。


「フランさんには、周りを見て、すべてが円満にいくように動いている節があると思うの。それが必ずしもいいこととは限らないんだけど」


「そ、そうでしょうか……」


「そうよ! そもそも今回の自主退学だって、他の貴族や留学生とかに迷惑をかけないように身を引く、ってことでしょ」


「それは、まあ」フランは俯いた。「私さえいなくなれば、と思いまして」


「誰にでもできることじゃないわ。その自己犠牲の精神、利他の精神。そして、いじめられても耐え抜く我慢強さ。それをシネレア、ああ戦友のことね、彼女に伝えたらぜひ会ってみたいって」


 フランは、そんな理由で……と言いそうになったが、すんでのところでとどまった。


「……私の目の傷はね、先の戦争でついたのよ。向こう傷は武人の本懐と言われてもてはやされたけど、本心は嬉しくなかったわ」


「教官……」


「戦友は腕を失ったし、他のみんなも同じ。戦争さえなければ、不自由ない生活が送れていたのに! 私だって! もっと恋とかしたかった!」


 セミヨンはぎりりと奥歯をかんだ。


「だからね、フランさん。私はあなたに、戦争のない世界を築いてほしいの……」


 腹の底から聞こえてくる、セミヨンの願い。本音。

 フランは初めて見る彼女の表情に戸惑いを隠せなかった。

 戦争のない世界。そんなものが本当に生み出せるのだろうか。


 フランは何か言おうとしたが、セミヨンにさえぎられた。


「ちょっと格好悪いところを見せたわね。無理に何か言わなくていいし、国土統一省に入るかどうかもあなたの自由よ」


「……はい」


「だから、この願書は形だけ。校長を説得するための道具だと思ってもいいわ。でも」


「……でも?」


「でもね、私はあなたが戦争のない平和な世界をつくってくれると嬉しい。私たちみたいな人を生み出さない世界をね」


 セミヨンは微笑みながらそう言った。


「受付は初雪の頃までよ。ま、それまで故郷でゆっくり考えなさいな」


 セミヨンは窓の外の、まだ朝靄の残る校庭に目をやった。

 フランもつられて校庭を見る。もう二度と、あそこで恥をかくこともない。

 色々なことが思い出されて、すこし泣きそうになる。


 セミヨンはうつむくフランの肩に手を置くと、「さーて!」と声を張り上げた。


「これから朝ごはんを食べて寝るわね! 寝不足でこれ以上婚期が遠のいたら困るもの」


 元気づけようとウインクするセミヨンに、フランもにこりと微笑んだ。


* * *


 朝食をとらずに荷物を持って校舎の外に出ると、校門の前でメルが何かを抱えて立っていた。


「道中、お腹が空きますでしょ?」メルが言った。「一週間分はありますわ」


 差し出されたのは、これでもかというほどお菓子が詰められたかごだった。


「私、馬車に乗るだけなんだけど……」


「そんな! なにが起こるかわかりませんもの」


「……メルさんは本当に優しいね」


 フランは泣きそうになるのをこらえて、無理に笑った。

 メルも笑ったが、すぐに唇をかんだ。


「……本当に、行ってしまうんですね」


「……うん。ごめんね、メルさん」


「……やっぱり校長に抗議して、フランさんの退学を取り消させようかしら」


「ええっ」


「……冗談です。もちろんやりませんわ」メルはふっと息をついた。「退学しても、心までは離れませんもの」


「……そうだね。そうだよね」


 ふたりは顔を見合わせて、照れくさそうに笑った。


「ところで」メルが切り出した。「『メルさん』ではなく『ロー』と呼んでいただける日は、いつでしょうか」


「えっ?」


「ついに最後まで、お名前で呼んでくださいませんでしたねってことです!」


 メルは拗ねたように頬をふくらませた。


「え、えっと……いつか、かな」


「いつか、ですの?」


 メルはフランをじっと見つめたが、「楽しみにしてますわね」とだけ言って手を握った。

 フランはその手をぎゅっと握り返して、「またね」とだけ言って馬車に乗り込んだ。


 ゆっくりと馬車が動き出す。徐々に走り出した窓の向こうで、士官学校が小さくなっていく。

 フランはメルの姿が見えなくなるまで手を振っていた。

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