02話 創立初の退学希望者
退学希望の告白から3日後の夜。
フランはセミヨン主任教官の部屋に呼ばれた。自主退学の件で話し合うためだった。
セミヨンは書き物をしていたが、フランが入室すると応接間に案内してソファを勧めた。
彼女はかつて「酒とバラ戦争」で活躍した名将で、右目には大きな刀傷があった。
よく冗談で「昔は美人だったが、この傷があるから結婚できなかった」と言っていた。
厳しい担当教官らとは違って気さくで話しやすく、候補生たちの憧れでも癒しでもある人物だった。
最初は当たり障りのない話をしていた2人だったが、頃合いを見計らってセミヨンが退学の話を切り出した。
「フランさん、本当に退学の決心は変わらないのかしら」
フランは出されたお茶をすすりながら、こくんと頷いた。
「士官学校はね、3年に1度しか生徒を募集しないの。一旦やめて、やっぱり戻りますってことができないのよ。訓練は大変だと思うけど、もう少し頑張ってみない?」
「……教官には申し訳ないですが、退学を希望する次第です」
「もしかしてサン・ジョベーゼさんが原因かしら。それなら普段あまり関わらないように対策するわよ」
いいえ、とフランは首を振る。
「私の体力では皆についていくことができません。訓練で迷惑をかけることも忍びないです。いまはまだいいですが、今後郊外演習などでケガ人や死人が出た時、その原因が私だったらお詫びのしようもないです」
そんな先のこと、とセミヨンは言いかけたが、科目の担当教官からは近年まれに見る劣等生だと聞いている。
フランの言うとおり、彼女が原因で他の候補生、それも名門貴族出身の子が死亡でもしたら腹を切るだけでは済まない。
生徒の中には留学生もいる。万が一でも事故があれば外交問題になりかねない。
「……お父様やお母様はなんて仰っているのかしら」
「あれから速達で手紙を送りました。退学しようと思っていると書きました。でも、返事には『愛する娘よ、自分の人生は好きに生きなさい』とだけありました」
セミヨンは心の中でため息をついた。本人の意志は固く、両親も放任主義ときた。
士官学校の創立以来、初の自主退学というのはセミヨン自身の経歴にも傷がつく。
しかし、教育者として本人の希望を尊重してあげたい。
「……わかりました。私から校長を説得してあげましょう。あなたは今夜のうちに身支度をして、退校願をしたためておくこと。明日の朝、沙汰を伝えます」
「セミヨン教官、ありがとうございます。今まで大変お世話になりました」
フランは立ち上がると、最後になるであろう挙手の礼をした。
セミヨンも立ち上がってそれに応えると、フランと握手を交わした。
フランが宿舎に戻り廊下を歩いていると、同室のメル・ローが駆け寄ってきた。
彼女は半ば泣きそうな声で尋ねた。
「フランさん、お噂で聞きました。退学されるって本当なのですか?」
「……今日までに荷物をまとめなきゃ。退校願も書かないとだから、書式を調べないと」
「そうですか……」メルは一層泣きそうな顔になった。「生まれて初めてできたお友達だったから、いなくなられるのは本当に寂しいです」
「私もだよ。……その、メルさん」フランは軽く笑った。「でもね、皆に迷惑はかけられないから」
自室に戻ったフランは、荷物をまとめた。
もっとも、士官学校ではほとんどが官給品だったので、持ち帰る私物はごくわずかだった。
メルはフランの身支度を手伝いながら尋ねた。
「……フランさん、学校をやめてから行くあてはあるの?」
「しばらくは実家でゆっくりしようかなって思っているよ。そろそろ実りの季節だし、領民が麦やブドウを収穫しているところを見るのもいいね」
「あら、たしかにいいですね。あれを見ると、もうすぐ冬が来るのねって気持ちになりますものね」
荷物をまとめ終わると、ふたりは床についた。
お互いにしばらく黙っていたが、フランがぼそりと呟いた。
「ねえ、メルさん。また、どこかで会えるよね」
メルはしばし考えていたが、普段どおりのおっとりした口調で答えた。
「……ええ、また会える気がしますわ。それも、わりと近いうちに」
その夜、フランは声を殺して泣いた。
退学しなければならない不甲斐ない自分に。
こんな不甲斐ない自分に接してくれた友人の優しさに。
そして、そんな優しい友人と別れなくてはならない自分に。
フランの泣き声はメルにも届いていたが、ただ瞳を閉じて聞くだけだった。
翌朝。フランは朝食前にセミヨンの部屋に呼ばれた。
セミヨンは目の下にくまをつくり、髪は乱れ、まるで一晩中野戦でもしてきたのかというふうであった。
「……さきほどまで校長と喧嘩、もとい議論をして、あなたの退学を認めてもらいました」セミヨンは笑いながら言った。「人は寝不足になると判断力が鈍るのです。相手を寝かさなければ勝ちと心得なさい」
「あ、ありがとうございます、セミヨン教官」
フランが礼を言うと、セミヨンは「ただし」と付け加えた。
「退学にあたって条件があります」
「条件、ですか……?」
どんな条件なのか心配そうなフランの前に差し出されたのは、1通の願書だった。
「フランさん、あなた、国土統一省に入省しなさい」




