01話 剣を振れない役立たず
「フラン候補生! 馬に乗るなんぞ子供にでもできるぞ!」
豪雨の校庭。一騎打ちの訓練のために集められた士官候補生たちは、槍を片手に馬上で待機していた。
——ただひとりを除いて。
「騎乗は貴族として当然の嗜みだぞ。それともフラン候補生は徒歩で戦場に向かうのか!」
涙なのか雨なのかわからない。
ぐしょぐしょの顔を袖で拭いながら、フランは左手で手綱と馬のたてがみをつかんだ。
雨音に交じってクスクスと笑う声がする。ようやくの思いで左足を鐙にかけ、右足で地面を蹴った。
しかし……。
「もういい! おい誰か、フラン候補生を救護室に連れて行ってやれ」
どちゃ、という水音とともに背中を強打したフランは、そのまま気を失ってしまった。
薄れゆく意識の中で、彼女は遠方の地にいる姉のことを思い出していた。
カベルネ・フランは下級貴族「カベルネ家」の次女として生を受けた。
優秀で快活、領民からも慕われる姉の姿を見ながら成長した彼女は、姉と同じく親衛隊に進み、国の英雄として大活躍するつもりだった。
そのためにはまず、士官学校を卒業して辺境軍の小隊長として任官し、実績を重ねて親衛隊の選抜試験に呼ばれる日を待つ必要がある。
しかし、姉にあって、フランには圧倒的に足りないものがあった。体力と勇猛さである。
生まれつき非力で臆病な彼女は、訓練初日の剣技科の模擬戦で勝つことはおろか、剣を持つことすらできなかったのである。
自身の未熟さを知るための模擬戦とはいえ、ここまで酷い候補生はいなかったのだろう。
担当教官はフランの肩に触れ、やや憐れみをもった瞳で校庭の隅で見学するように言った。
その日から彼女は、落第生の烙印を押されることとなったのである。
* * *
「フランさん! ようやく目を覚ましてくださいましたのね!」
うっすらと天井が見えたかと思うと、誰かが寝ているフランに覆いかぶさった。
おっとりした口調。土のようなホッとする香り。
「重いよ、メルさん……」
「あら、ごめんなさいフランさん」
メル・ローはフランから離れると、彼女の顔をじっと見た。
メル・ローは伯爵家の「メル家」の一人娘で、フランよりも格上の出自にあたる。
しかし、なぜかフランに何かと尽くしてくれるのであった。
「……よかった、顔色は良くなりましたわね」
メルは胸に手を当てて、そっと息をついた。
訓練の邪魔になるといって結んでいた豊かな黒髪をほどき、傍にあった木製の椅子にゆっくりと腰をかけた。
「まったくフランさん、心配したんですからね。それと、私のことはローと呼んでください。メルなんてよそよそしいです」
すこし不満げなメルに、フランは申し訳なさそうにお礼を言った。
「ありがとう、メルさん。おかげで風邪をひかずに済みそう。……乗馬訓練は?」
呼ばれ方が変わらなかったことにますます不満げなメルだったが、しかたがないといったふうに答えた。
「……さきほど終わって、いまは座学の時間ですわ。念のためフランさんと私は欠席願を出しておりますけど、参加できそうですか?」
「うーん、無理そうかな。起き上がろうとすると背中が痛むし。それと、巻きこんじゃってごめんね」
「私がしたくてしたことですから、お気になさらないでください」メルは立ち上がった。「お水と、なにか食べるものをお持ちいたしますね」
ひとりになったフランは、天井の木目を見つめながら考えた。
このまま士官候補生として学校にいてもいいのだろうか。ほかの生徒に迷惑をかけてまで、騎士になる必要はあるのだろうか。
メルさんは優しい。なぜここまで、と思うほど親切にしてくれる。でも、きっと私のせいで白い目で見られているはずだ。
実家に一生住んでいた方が、人様のためになるのではないか。
幸いカベルネ家は穀物が豊富に穫れる土地にある。上納分を差し引いても食料には困らない。
姉のようにならなくても、お父様は笑って許してくれるかも……。
そんなことを考えていると、クスクスと笑いながら女子候補生が数人、救護室に入ってきた。
フランは慌てて掛け布団を頭まで被ったが、女子候補生たちは布団を取り囲むと掛け布団を引き剝がした。
「あら、誰かと思えばフランさんじゃない。こんなところにいたのね」
「どうも、サン様……。ざ、座学は終わったんですか?」
声をかけたのは、リーダー格の候補生、サン・ジョベーゼだった。
サン伯爵家の長女で、メルと同格の家柄で、フランより格上の貴族である。
もっとも、バッサリと落とした赤毛は貴族の娘とは思えないほど乱雑だったが。
サンはフランの問いには答えず、寝ている彼女の鼻を指でつまむと耳元でささやいた。
「あなたのせいで今日は寒かったわ。雨の中、動くことも許されずに待つだけの身を想像できるかしら」
鼻をつまむ指に力が入る。フランは涙目になった。
「あのね、泣きたいのはこちらの方なの。わたくしのお友達のシルヴァーナなんて、鼻水が止まらなくて大変なのよ。だから、これはその報いと思ってね」
サンはつまんでいたフランの鼻を持ち上げる。あまりの痛みにフランは体を起こそうとした。
しかし、訓練でのケガで痛む背中をかばうと起き上がれない。二重の責め苦だった。
「あなたたち、なにをしているんですか?」
救護室の入口から声がする。食事と水の載ったお盆を持ったメルだった。
サンが鼻を離すと、フランの頭は枕に沈んだ。
「なにって、お見舞いに来てあげたのよ。大事なご学友のフランさんのために」
にやにやと話すサンに、メルはお盆の上の水を顔から浴びせた。
驚く周囲。じっとサンを見据えたまま、メルは言った。
「そうですか。サン・ジョベーゼさん、辞書でありがた迷惑という言葉をひいたことは?」
しかし、さすがは上級貴族。サンも顔色ひとつ変えずに切り返した。
「……役立たずという言葉なら調べたことがあるわ。カベルネ・フランを指す、なんて文章があったけど」
にらみ合う両者。メルはお盆を捨てると、腰にさげた木刀の柄に手をかけた。
サンもそれに応える。一触即発ともいえる空気を破ったのは、離席していた救護担当官だった。
「貴様ら! 校内で決闘とは何事だ!」
メルとサンは平等に殴られ、平等に怒られた。ふたりは言い訳をしなかったが、フランのことも理由に挙げなかった。
サンは去り際、床に散らばった鹿肉のソテーを踏みつけながら、フランを見てこう言った。
「フランさん、剣は持てないくせに、ナイフとフォークなら一丁前に持てるんですのね」
ふたりはこの後、校舎内のトイレ掃除を分担することになるのだろう。
サンに至っては自業自得だが、メルは巻き込まれたにすぎない。
フランは、さきほどの決闘についての報告書を作成している救護担当官に声をかけると、はっきりとした意思でこう言った。
「私、士官学校をやめます」




