第27話
彼女は、俺の言葉が聞こえていないかのように、ふらふらと部屋に入ってきた。その足取りは、まるで自分の意思を持っていないかのようだった。
俺のデスクの前にたどり着くと、崩れ落ちるように椅子に身を投げ出した。
「はぁ……っ、はぁ……っ……」
荒い呼吸だけが、部屋に響く。彼女は両手で顔を覆い、その指の間から、嗚咽ともつかない押し殺したような声が漏れた。
「……どう、したんですか。落ち着いて……」
俺は戸惑いながらも声をかける。
(何があった? ついに、人事の調査で追い詰められたのか?)
俺が状況を分析しようとした瞬間、佐藤はバッと顔を上げた。涙とマスカラで黒く滲んだ瞳が、狂おしいほどの光を放ちながら俺を射抜いた。
「……あなたが、やったんでしょう」
その声はか細く掠れていたが、容赦のない非難が込められていた。
「あなたが、人事にあんな報告書を上げた。私が、畠中さんをいじめてるって。私が、不正の主犯だって。新聞社から連絡があったって……あなたが、私を……私を、殺そうとしてる……!」
「待ってください。僕は、ただ事実を……」
「事実⁉」
佐藤は、金切り声を上げた。それは彼女がこれまで見せてきたどんな怒りとも違う、魂の底からの絶叫だった。
「事実ですって⁉ あなたは、私の話を、一度でも、一度でもまともに聞こうとした⁉
あなたは、最初から、私を犯人だと決めつけて、私の言葉を、全部、全部『加害者の言い訳』だって、そうやって聞いてたんじゃないの!」
言葉に詰まった。その通りだったからだ。
「もう、終わりよ……。私のキャリアも、人生も、もう全部……。社内では、パワハラ社員だって噂されてるし、毎日、針の筵のような視線で見られて……。それに調査委員会にかけられるって……。記者が嗅ぎまわってる………最悪世の中に出るわ……。懲戒免職は、免れないって……。どうして……。私が、何をしたっていうの……。私は、ただ、正しく仕事をしようとしていただけなのに……!」
彼女は、デスクに突っ伏し、子どものように泣き始めた。その背中が、絶望の重さに耐えきれず、痛々しく震えている。
俺は、その光景を前に立ち尽くすしかなかった。脳裏に、遠野が語った田中さんの最後の姿が重なる。『誰も俺の言うことを信じてくれない』――-。
(いや、違う。彼女は加害者だ。今更、被害者のふりをしても、もう騙されない。社内に居場所がないだって? それはあんたが畠中さんにやってきたことじゃないか)
俺は信念が揺らぎそうになるのを必死で押しとどめた。これは追い詰められた加害者が見せる、最後の演技だ。
「佐藤さん」
俺は心を鬼にして、冷徹な声で言った。
「今からでも、遅くはありません。木戸部長の指示だったと、すべてを話せば……」
その言葉が、最後の引き金になった。
佐藤は、弾かれたように顔を上げた。その瞳から涙は消え、空虚な、恐ろしいほどの静けさが宿っていた。
「……木戸、部長……?」
彼女は、まるで初めて聞く言葉のようにその名前を反芻した。そして、ふ、と壊れたように笑った。




