第21話
経理部のフロアは、キーボードを叩く音と空調の低い唸りだけが響く、静かな戦場だった。俺はその静寂を切り裂くように、まっすぐに佐藤のデスクへ向かった。
俺の尋常ではない雰囲気に、何人かの社員が訝しげに顔を上げる。モニターの数字に集中していた彼女は、あの時と同じく、寸分の隙もないパンツスーツ姿だった。フレームの細い眼鏡の奥の横顔は、一切の妥協を許さないという強い意志を物語っている。
俺がデスクの前に仁王立ちになっても、しばらくは気づかない。
「佐藤さん」
俺が声をかけると、佐藤は迷惑そうに顔を上げた。その視線が俺を捉えた瞬間、表情が険しくなる。
「……またあなたですか。何の用です? カウンセリングなら、もう十分受けましたけど」
「カウンセリングに来たんじゃありません。警告に来たんです」
俺の言葉に佐藤の眉がぴくりと動いた。周囲の社員たちが、遠巻きにこちらを窺っているのが分かる。だが、構わなかった。むしろ、この公衆の面前でこそ、彼女の化けの皮を剝がしてやる必要があるとさえ思っていた。
「あなた方が畠中さんにしていること。全て分かっているんです。これ以上、彼女を追い詰めるのはやめていただきたい」
佐藤の顔からすっと血の気が引いた。しかし、それは罪悪感からではなかった。次の瞬間、彼女の顔は怒りで真っ赤に染まった。
「……あなた、一体何を言っているの?」
その声は、怒りと侮辱で震えていた。
「あの仕事のできない女の尻拭いをさせられて、こっちがどれだけ迷惑してると思ってるの! それを今度は、あなたが根も葉もない妄想で、私を犯罪者扱いするわけ⁉」
佐藤は勢いよく椅子から立ち上がった。彼女の甲高い声が、フロア全体に響き渡る。
「いい加減にして! あなたに、私の何がわかるって言うのよ!」
彼女の激昂は、俺にとって「図星を突かれた悪人の典型的な反応」にしか見えなかった。遠野が語った、追い詰められ声も出せなくなった田中さんの姿。それと、目の前でヒステリックに叫ぶ佐藤の姿。二つのイメージが頭の中で鮮やかな対比を描き、俺の確信を揺るぎないものへと変えていく。
「分かりますよ。あなたは自分の立場を守るためなら、弱い人間を犠牲にすることに何の躊躇もない。木戸部長の指示なんでしょうが、共犯であることに変わりはない! あなた方は、架空のペーパーカンパニー「イノベート・フォワード・アカデミー」を使って不正な資金を動かし、その事実に気づいた人間を、排除しようとしている!」
「木戸部長……? あなた、本当にどうかしてる!」
二人の感情的な応酬は、完全に平行線を辿っていた。周囲の社員たちは仕事を止め、固唾を飲んで成り行きを見守っている。その異様な雰囲気の中、冷静な声が割り込んだ。
「――そこまでにしましょう」
木戸部長だった。彼はいつの間にか俺たち二人の背後に立っていた。その表情は穏やかだったが、目は笑っていない。
「仁木さん、ここは仕事場だ。何か業務上の申し立てがあるのなら、正式な手順を踏んで人事部に報告してください。このような形で、従業員を詰問することは許されない」
彼は佐藤の方に向き直った。
「佐藤くん、君も落ち着きなさい。少し頭を冷やせ。話は後で聞く」
木戸は有無を言わせぬ態度で、興奮状態の佐藤を自分のオフィスへと連れて行こうとする。俺はその光景を、まさに「口封じ」と「隠蔽工作」の現場として目に焼き付けた。
木戸が去り際に向けた一瞥には、明らかな敵意と警告の色が混じっていた。




