第2話
帰り道は、天王州アイルの運河沿いを歩いた。潮の匂いを含む風が湿ったスーツの襟元にまとわりつく。整った街並みを歩くほど、今日の仕事の泥臭さが浮き彫りになった。
ライトアップされた赤レンガ倉庫跡がオレンジ色に浮かび上がり、対岸にはガラス張りの高層ビル群がそびえる。
俺が派遣されているディープストラテジーも、あの光の一つだ。
天王州アイルに本社を構える社員数六千人を超える上場ITサービス企業。世間では「働きがいのある会社」ランキングの常連として知られている。
俺はEAP(従業員支援プログラム)の専門家として、この会社に派遣されている。
カウンセラーとして従業員のメンタルヘルス不調を予防・改善する役割だが、俺にできるのは、結局のところ話を聞くことだけだ。彼らが抱える問題の根源は、ほとんどが組織構造の歪みや不公平さにある。俺がたった一時間話を聞いたところで、何が変わるわけでもない。
肺腑に鉛を流し込まれたように呼吸を浅くする。俺は、重くなった胸を無意識に擦った。
生まれは奈良県。父が勤める白水物産の本社に近いという理由だけで、山を切り開いた新興住宅地に両親は家を買った。バブルの頃で、値上がりを信じて疑わなかったらしい。
だが、バブルは弾けた。商業施設もまばらな、典型的なベットタウンで俺は育った。
幼い頃の記憶をたぐりよせると、決まって、ひやりとした寂寥感に行き着く。
一番古い記憶は五歳の頃。二部屋しかない託児所で、誰とも言葉を交わさず、積み木を積んでは壊していた。周りの子たちが母親に手を引かれて帰っていくのを横目に、俺はいつも最後の一人になった。チャイムが鳴るたび、母か、と顔を上げる。だが、そこにいるのはいつも違う誰かの母親だった。
やっと母が迎えに来たとき、俺は声をあげて泣いた。
託児所の園長が、困ったように眉を下げた。
「さっきまでは、静かに一人で遊んでいたのにね」
聞き分けのいい子を演じていた。そうしなければ、二度と迎えに来てもらえないのではないか、本気で思っていたからだ。けれど結局、誰も俺のことなど気にかけなくなっただけだった。
幼稚園も嫌いだった。
母はしばしば寝過ごし、俺は空の弁当箱を渡されて登園した。
昼の時間が怖かった。空っぽのアルミの弁当箱を手に、教室の隅で一人立ち尽くす。誰もが、見て見ぬふりをする。
周囲が賑やかに笑う中、うんざりしたように先生が、皆にそっと声をかける。
「あきらくんに、おかずを一つずつあげてね」
その優しさに心が痛んだ。施しは、自分が皆と違う欠けた存在だと、全員の前で証明する儀式に思えた。
手には灰色のおかずで埋まった弁当箱。本当に欲しかったのは、ウィンナーやチーズに刺さったカラフルなピックだったのかもしれない。
もう一つ、無力さを痛感した記憶がある。俺があまりに泣くので、母が託児所に預けるのをやめ、外出先に俺を連れていくようになった頃のことだ。
マンションの一室。チャイムを鳴らすと男が出てきた。顔は覚えていない。覚えているのは、部屋に染み付いたタバコの匂いと、電気を消した薄暗い部屋で延々と流れ続ける『ドラえもん』の映像だけだ。
俺はその男を「ドラえもんのおじさん」と呼んでいた。
小学校中学年になる頃には、その男が母にとってどういう存在なのか、おぼろげに理解していた。早すぎる母への反発と、見捨てられたくないという寂しさ。二つの感情が渦を巻き、俺は自分でも持て余すほど荒れていった。
今、当時の母の年齢をとっくに超えて思う。
母は、きっと寂しかったのだ。
その寂しさの原因は、父の不在にあったのだろう。父は典型的な仕事人間だった。真面目で堅物。帰宅はいつも深夜で、スーツには街の喧騒と無数の会議の匂いが染みついていた。たまに顔を合わせても、家族にかける言葉はいつも無関心で冷たかった。
「お前の人生なんだから好きにしろ」
その一言が、胸に突き刺さった。言葉にならない苛立ち。深い失望。それだけだった。
出世競争に心血を注ぎ、家族を顧みなかった父は、去年、副社長の座に上り詰めて定年を迎えた。今もなお、週に二度は相談役として会社に顔を出す。
家族という狭い世界より、広大な組織の中に自分の居場所を求めた男――それが父だった。
俺もまた、家の外に必死で居場所を求めた。先輩には可愛がられ、後輩の面倒を見ることで、「あいつはそういう奴だ」という役割を演じきった。失敗しつつ一生懸命な道化を演じること。それが俺の生存戦略だった。
初めて太宰治の「人間失格」を読んだとき、その孤独と自己欺瞞に強く共感し、愕然とした。まるで自分の内面を覗き見られたかのようだった。
後に心理学を学び、それが社会性不安障害の一種だと知ったが、こうした人間は珍しくないらしい。機能不全家族で育ち、家の外の世界に救われて生き延びた――それだけのことだ。特別でも恥ずかしくもない、ただの現実。




