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それから、また数ヶ月が過ぎ春が来た。


ある日、彼女は浮かない顔をしていた。


「何かあった?」


僕は、そっと声をかけた。


彼女は目を丸くし、少し迷ったあと、口を開いた。


「……告白されて、どう返事をするか考えているうちに、“待つから”と言われてしまって」


聞けば、文化祭のあとから、少しずつクラスメイトとも話せるようになったらしい。


以前の彼女なら、自分から誰かと関わろうとはしなかっただろう。


けれど、最近は僕と話すときにも、自分の考えや気持ちを少しずつ口にするようになっていた。


その変化が、学校でも表れていたのかもしれない。


「相手は……幼馴染で」


その言葉に、文化祭の日の光景が頭をよぎる。


教室の入口からちらりと見えた、彼女と話していた男子がいた。


あのときは、ただのクラスメイトだと思っていた。


「小さい頃は家が近かったから、話すこともあったんだけど……気づいたら、話さなくなってたんです」


彼女は少し視線を落とした。


「文化祭の時に、お母さんのことで気にかけてくれて……それから少しずつ話すようになって」


そこで言葉を切り、小さく息をつく。


「この前、『ずっと好きだった』って言われて……」


そう言って困ったように笑う彼女の表情には、戸惑いが色濃く浮かんでいた。


心の中がざわつき落ち着かなくなる。


彼女にそんな感情を抱く資格なんてないと思っていた。


それでも、誰か別の人の隣にいる彼女を想像すると、胸の奥が苦しくなった。


動揺を隠しながら彼女に訪ねた。


「どうするの?」


「……嫌いではないんです。でも、良く分からなくて」


彼女は、悩んでいるようだった。


「それなら、一度付き合ってみたら?」


僕は、平静を装いながら言った。


彼女は、ハッとした顔でこちらを見た。


まるで、そんなことを言われるとは思っていなかったと、言うように。


そのまま僕の顔を見つめていた。


しばらくして、ぽつりと呟いた。


「断ろうと思います。よく分からないまま付き合うのは……その人にも失礼だと思うから」


その言葉に僕は、ホッと胸を撫で下ろした。


彼女の家庭教師を始めてから一年が経った。


大学三年になり、将来に向けゼミや就活で徐々に忙しくなっていく。


彼女も高校三年になり、受験生としての日々が始まっていた。


「夏期講習とか、受けてみてもいいと思います」


ある日、僕は彼女の母親へ提案した。


彼女の成績は悪くない。むしろ、同年代の中では良いほうだと思う。


けれど、受験というものは学校の勉強だけで乗り切れるほど簡単ではない。


「必要ありません」


返ってきた答えは、迷いのないものだった。


「雪野君と同じ大学を目指しているんですから。雪野君に見てもらうのが一番いいと思うのよね。永久も雪野君には心を開いているようだし」


その言葉に、少しだけ引っかかりを覚えた。


彼女のためなのか。


それとも、彼女を自分の望む場所へ進ませるためなのか。


僕には、分からなかった。


そして、夏休みに入った。


いつものように勉強を終えたあと、彼女は少しだけ時計を気にしていた。


「どうしたの?」


そう聞くと、彼女は少し迷ってから答えた。


「……夏祭りがあるんです」


「そういえば、今日だったね。行きたいの?」


彼女は一瞬驚いたような顔をした。


それから、小さく頷き、残念そうに言葉を溢した。


「友達……に、誘われてたんです。でも、お母さんが夜出歩くのは駄目だって」


彼女は、勇気をだして母親に尋ねたのだろう。


だが、すでに却下されており諦めていた。


「じゃあ、もう一度聞いてみようか」


僕たちは彼女の母親に許可をもらうことにした。


彼女が自分から行きたいと言ったことを伝え、僕も一緒にいること、遅くならないこと、帰りは送ることを説明した。


しばらくの沈黙のあと、


「……分かりました。ただし、ちゃんと見ていてくださいね」


そう言われた。


許可をもらった彼女は、少しだけ嬉しそうに笑った。


浴衣ではなく、普段より少しだけおしゃれをした私服。


それでも、彼女にとっては大きな一歩だった。


勉強を教えるためではなく、ただ一緒に夏祭りへ行く。


そんな時間を過ごすのは、初めてだった。


彼女のクラスメイトが来ているのは予想がついていた。


きっと、あの幼馴染もいるのだろう。


そう思った瞬間、自分でも嫌になるほど子供じみた考えが浮かんだ。


僕と一緒にいる彼女を見てほしい。


そんな気持ちを、完全には否定できなかった。


僕はわざと彼女と恋人に見えるように振る舞った。


「逸れないように、手をつなぐ?」


一瞬、別の言葉に言い換えようとした。


けれど、口から出たのはそんな言葉だった。


そう声をかけると、彼女は戸惑いながらも僕の手を掴んだ。


僕は、彼女の小さな手、細い指をしっかりと握った。


彼女は、りんご飴が気になっているようだったので一つ買ってあげた。


「ありがとう御座います」


そう言って、棒に刺さったりんご飴に小気味良い音を立て齧りついた。


「美味しい……こんな感じなんですね」


そう言って僕の顔を見て微笑む。


僕の心が満たされていくのを感じていた。


「一口貰っても?」


甘いものは好きでは無いのに、思わずそんな言葉が口をついで出ていた。


彼女は目を見開き、照れたように顔を逸しながらりんご飴を差し出してきた。


彼女の手から、そっと一口食べる。


「うん、甘い……」


僕も彼女にはつられて照れてしまい、それ以上何も言えなかった。


文化祭を一緒に歩いたときと同じように、今も彼女は目を輝かせ楽しそうにしている。


彼女の思い出に自分が刻まれていく。


それが嬉しいと思う一方で、いつか彼女が誰か別の人と同じような時間を過ごす日が来るのだと思うと、胸の奥が痛んだ。


夏休みが終わり、学校が始まった。


久しぶりに会った彼女は、また少し浮かない顔をしていた。


「何かあった?」


そう尋ねると、彼女は少し迷ってから口を開いた。


「……夏祭りの日のことなんですけど」


「あの日?」


「はい」


彼女は視線を落とした。


「クラスの子に見られていたみたいで……」


話を聞くと、どうやら僕と一緒にいるところを見た友人から、


「やっぱり家庭教師のお兄さんと付き合ってるんでしょ?」


「彼氏なら、そう言ってくれればよかったのに」


と言われたらしい。


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。


僕と彼女が、そう見えたことが嬉しかった。


けれど、彼女の表情は晴れなかった。


「ごめんね」


僕はそう言った。


「勘違いされて、嫌だったよね」


すると、彼女は慌てたように顔を上げた。


「そんなことないです」


その返事に、少し驚いた。


「嫌……ではなかったです」


その言葉を聞いて、胸の奥に小さな期待が生まれた。


けれど、今まで隠してきた気持ちを口にすることには、まだ迷いがあった。


それでも、このまま曖昧な関係を続けたくはなかった。


彼女が困っているのに、僕はどこかで期待していた。

そんな自分が嫌だった。


「……永久ちゃん」


「はい」


「僕のこと、好き?」


彼女は目を丸くした。


すぐには答えなかった。


俯いて、しばらく考えている。


自分の気持ちを確かめるように。


やがて、小さく頷いた。


「……はい」


その一言で、胸がいっぱいになった。


「僕も好きだよ」


彼女は顔を上げた。


互いに見つめ合う。


言葉より先に、自然と距離が近づいた。


触れるだけの、短い口づけ。


それだけだった。


でも、僕にとっては何より大切な瞬間だった。


それからも、僕たちの日々は大きく変わらなかった。


家庭教師の日には勉強を教える。


帰り際に少し話をする。


ただ、以前より少しだけ距離が近くなった。


ある日のことだった。


「雫さん」


彼女が珍しく、自分から話題を出した。


「これ……」


そう言って、彼女は小さなぬいぐるみを取り出した。


「友達が、テーマパークに行ったみたいで……お土産にもらったんです」


嬉しそうに、ぬいぐるみを眺めている。


「雫さんは、ここ行ったことありますか?」


「あるよ」


そう答えると、彼女は少し目を輝かせた。


「どんなところでした?」


「写真あるから見る?」


そう言って、僕はスマホを取り出した。


以前、友人たちと行った時の写真を探す。


画面を遡っていく。


そして、その途中で。


見覚えのある写真が表示された。


夏祭り、去年の文化祭など彼女が写っている写真が画面を流れていく。


さらに遡る。


彼女が廊下を歩く姿、教室で本を読んでいる姿、一年生の文化祭など色んな姿が並ぶ。


彼女の表情が変わった。


「……これ」


小さな声だった。


僕は画面を見て、息を止めた。


「永久ちゃん、これは……」


言い訳をするように、言葉を探す。


でも、隠すことはできなかった。


「ああ、これは……一昨年の文化祭で、君を見かけた時のものなんだ」


彼女は何も言わなかった。


ただ、画面に映る自分の姿をじっと見ていた。


「気になって……後輩に聞いたんだ」


「……」


「その時は、名前を知りたかっただけで……写真は後輩に貰った」


「今考えると、君の知らないところでそんなことをしていたんだよね」


「怖いと思われても仕方ないと思う」


僕は続けた。


「お母さんと知り合ったのは、本当に偶然なんだ」


彼女の表情を伺う。


「家庭教師になったのも、君とこうして話すようになったのも……全部、その後のことだから」


「信じて」


しばらく沈黙が続いた。


やがて、彼女はゆっくりと頷いた。


「……分かりました」


その声は、いつもと変わらないように聞こえた。


僕は、それで大丈夫だと思ってしまった。


彼女が何を考えていたのか、僕は聞こうとしなかった。


その沈黙の中で、彼女が何を決めていたのかも知らずに。


それが間違いだったと気づくのは、もう少し後のことだった。


数日後、彼女は静かに姿を消した。


母親から連絡が来たのは、その日の夜だった。


取り乱した声で、彼女が帰ってこないことを告げられた。


僕も必死に彼女を探した。


けれど、どれだけ探しても見つけることはできなかった。


僕は、窓辺で夜空を見上げながら、過去を思い出していた。


失ってから気づいたもの。


届かなかった想い。


それでも、諦めることだけはできなかった。


長い時を越えて、何度生まれ変わっても、ただ一人を探し続けた。


そして――


願い続けて、叶った。

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