16.
ちょうど階段を降りたところで、宿の入り口から勢い良く若い娘が入ってきた。
「お母さん!フウカが家から出て来ない。どうしよう」
女将に駆け寄る娘は、困ったように眉を下げていた。
「出て来ないったって、今年はあの子の番なんだから。最後の確認くらいはしてもらわないと」
「分かってる。でも……」
娘は言葉を濁す。
「やっぱり嫌なんだと思う」
「私だって、去年は嫌だったよ」
「黒い頭巾に、あの衣装。みんなが怖がる役なんて、好きでやる子なんていない」
そう言ってから、娘は小さく息を吐いた。
「でも、だからって舞がなくなるのも困るし……」
「このままじゃ、奉納の舞ができない」
困り果てていた娘は、ふとこちらへ視線を向けた。
その視線が彼女の黒髪へ向いた瞬間、僕はわずかに身構えた。
けれど、娘の表情にあったのは恐れではなく、驚きだった。
そのままズカズカと娘がこちらに向かってくる。
トワは、その勢いに押されたのか一歩後ろへ下がった。
気付けば、僕はトワの前に立っていた。
「お兄さん、その子と少し話をさせて」
「別に黒髪だから何かしようってんじゃないわよ。祭りに協力して欲しいの」
娘は僕の後ろにいるトワへ真っ直ぐ視線を向けた。
「悪いけど、彼女を困らせるようなことはさせられない」
僕は退かなかった。
「お兄さんが、決めることじゃないでしょ?私はこの子に聞きたいの。この子が嫌だと言うなら諦めるわよ」
娘のその言葉に、僕はハッとした。
「……そうだね」
「決めるのは、僕じゃない」
そう言うと、僕の後ろからトワがそっと顔を覗かせた。
僕の服の裾を、そっと握る感触がした。
「良いよ。協力……してあげる」
その声は小さく、震えていた。
「本当に嫌なら、断ってもいいんだよ」
無理をして引き受けようとしているのではないか。
僕は、それが気がかりだった。
「大丈夫」
トワは小さく首を横に振ると、娘へ視線を向けた。
「私は、何をすれば良いの?」
「感謝するわ。日が暮れて祭りが始まったら、祭司が豊穣の祈りを捧げたあとに、舞が始まるの」
娘はそう言って、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「その舞の主役をお願いしたいの」
「……と言っても、勇者に討たれる魔女役なのよね」
「私が代われたら良かったのだけど……去年、私がやったの」
娘は困ったように笑った。
「一度魔女役を務めた子は、もう一度はやらない決まりなの。魔女は倒されても、また蘇るでしょう?だから、同じ子がもう一度魔女になるのは良くないって」
娘のその頼みに、僕は怒りを覚えた。
顔が強張る。
娘がトワをその魔女だと知らないことくらい、分かっている。
けれど、その呼び名のせいで彼女がどれほど傷ついてきたのかを知っている僕には、簡単に彼女をその役へ向かわせることはできなかった。
「悪いが、やはり――」
僕がそう言いかけたとき、トワが指先で背を突いてきた。
「私は、平気だから」
「セイトが怒ることじゃない」
僕が何か言う前に、トワは娘へ視線を向けた。
「魔女の役をすれば良いのね。教えてくれる?」
「良かった。私の名前はココ、よろしく。」
「あなたの名前は?」
ココは、ほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「シロ……」
トワは少しだけ躊躇ってから、僕が決めた名前を名乗った。
「シロ、分かったわ。私に付いてきて」
「お兄さんは、本番の彼女を見たほうが良いと思うわ」
「心配なのは分かるけど、過保護すぎるのも良くないわよ」
ココは僕に意味深な笑みを浮かべると、トワの手を引いて外に連れ立って行った。
僕は、何も言い返せないまま、その場に立ち尽くしていた。
彼女を守りたいと思う気持ちが、いつの間にか彼女の意思を奪うものになっていたのではないか。
そんなことを、見透かされた気がした。
食堂の奥から、陽気な声が飛んできた。
声を掛けてきたのは、先ほどから酒を飲んでいた村人や旅人たちだった。
「兄ちゃん、さっき荷馬車を助けたって聞いたぞ」
「祭りの日にそんな出会いがあるとはな」
「おう、もう話題になってるのか」
酒樽を運び終えた商人が笑いながら入ってくる。
「酒を守れたのも、この兄ちゃんのおかげだ」
「一杯くらい奢らねぇとな」
「兄ちゃん、こっちで飲もうや」
「いや、僕は――」
断ろうとしたが、商人の勢いに押され、気付けば同じ卓についていた。
「祭りの日くらい、堅いこと言うなって」
「葡萄酒を二つ」
商人は近くを通った給仕の女性に声をかけた。
ほどなくして、二つの木杯が卓へ置かれる。
少し戸惑いながらも、受け取った木杯に口をつけた。
甘い葡萄の香りが広がった。
「しかし、珍しい組み合わせだな」
向かいに座った男が、ちらりと僕の方を見る。
「貴族様が黒髪の子を連れて旅なんて、そうそう見ねぇぞ」
「……少し事情がありまして」
曖昧に笑うと、男はそれ以上深くは聞かなかった。
「まあ、訳ありなのは分かるさ」
「でも、可愛い子だったな」
別の男が笑う。
「兄ちゃん、あの子とは長い付き合いなのか?」
「……そう、ですね」
一瞬迷ってから、そう答えた。
「ただ、外を一緒に歩くのは初めてで」
「へぇ」
男たちは顔を見合わせる。
「それなら余計に気を付けた方がいいかもしれんな」
「何をですか?」
「祭りの舞のこと、聞いたか?」
「勇者に討たれる役だとだけ」
「そうか」
男は木杯を置いて、少し笑った。
「あれはただの芝居じゃない。今年の勇者役は、本物の勇者候補だぞ」
「国に選ばれて、王都で訓練を受けてる奴だ」
「そうなんですね」
「顔も良いし、腕も立つ」
周囲から笑い声が上がる。
「村の娘たちが騒ぐのも無理ねぇ」
「兄ちゃんとはまた違った男前だぞ」
「取られんように気を付けた方がいいかもな」
冗談めいた言葉に、僕は苦笑した。
「……そういう関係ではありませんよ」
口にしてから、不思議な違和感を覚えた。
否定したはずなのに、胸の奥が少しだけ痛んだ。




