14.城の外へ
城を出る直前、セイトは足を止めた。
私も扉へ伸ばしかけた手を止め、振り返る。
彼は何か言いたげに口を開きかけたものの、そのまま視線を伏せた。
「どうか……した?」
私が尋ねると、彼は首から下げていた細い鎖を服の中から引き出した。
胸元に隠されていたのは、小さな銀細工のペンダントだった。
硬貨ほどの大きさで、波を象った紋様が円を描くように刻まれ、その中央には一匹の魚が泳いでいる。
さらに中心には、小さな青い石が嵌め込まれていた。
彼はそれを外すと、私へ差し出した。
ただの装飾品ではないのだろう。
彼がそれを扱う手つきには、大切なものを預けるような慎重さがあった。
「これは?」
「……外では、これを身に着けていてほしい」
「君を守るために必要だから」
私が聞き返すと、彼は困ったように笑っていた。
「理由は……後で話すよ」
その言葉には、何かを隠しているような響きがあった。
けれど、問い詰める気にはなれなかった。
理由は分からなかったけれど、私は小さく頷き、ペンダントを受け取る。
鎖を首へ回し、留め具を留めた。
まだ少し彼の温もりが残っている気がした。
それを確認すると、セイトは扉へ手を伸ばした。
風が城の中へ流れ込んできた。
草木の匂いを含んだ空気と差し込む光に、思わず目を細める。
城の前に広がる庭も、その先へ続く森も、何百年と見続けてきた景色だった。
あの日、この城へ連れてこられてから、私はほとんど山を下りることはなかった。
下りるつもりもなかった。
「道が分かりにくいから、僕の後についてきて。足元には気をつけて」
セイトがそう言って、庭の先に続く山道の藪を進んで行く。
歩き出してすぐ、私は振り返る。
古い城が見える。
それは、私が何百年も過ごしてきた場所だった。
彼は私が歩きやすいように、伸びた草を払い、崩れた足場を確かめながら進んでいた。
時々、彼は振り返り、私がちゃんと付いてこれているか確認していた。
「ここ滑るから」
「……手を、貸そうか?」
セイトが躊躇いがちに言う。
「大丈夫」
私はその優しさを断った。
その手を取ったら、離せなくなる気がしたから。
木々の間をしばらく下ると、ようやく山の裾野へ出た。
そこから先は草木は低く、緩やかな傾斜が続き、歩きやすかった。
私が最後に山を下りた時、そこには人で溢れた街があった。
王都を囲む高い石壁は、もう跡形もなかった。
一面に草原が広がっているように見えた。
「レンギョウが、自分は捨てられたと言っていたのは本当だったんだ」
思わず私は呟いていた。
「捨てられた?」
私の呟きを聞いたセイトが、歩みを緩めずに聞き返した。
「私が城に入れられることになった時、監視役を決めることになった」
「この世界で最初に会ったのがレンギョウだったし、他の人間のことなんてよく知らなかった。レンギョウも責任のある役目を任されて、喜んでいた」
「定期報告のために山を下りていたレンギョウが、ある日、怒りながら帰ってきた」
「王宮に裏切られたって」
「自分はもう必要とされていないんだって、そう言っていた」
「それから……食料を手に入れるためっていう理由もあった。でも、本当はそれだけじゃなかったんだと思う」
「……たぶん、腹いせだったんだと思う」
「それで、人里を襲うようになった」
セイトは一瞬だけ言葉を失ったようだった。
「それが、今残っている噂になったというわけか」
彼は小さく息を吐いた。
そんな話をしていると、いつの間にか街道に入っていた。
城壁は無いが、門扉があった場所には二本の柱が立っていた。
このさらに先に、現在の王都があるのだろう。
セイトの後に続いて柱の間を通った。
先程、草原のように見えた王都の跡地は、まだ実が黄金に色づく前の麦の穂だったらしい。
水車が川の水を畑に引いている。
吹き抜ける風が風車を回している。
王宮があった形跡は今や全く無く、時の流れを感じた。
ちらほらと民家は残っているが、集落と呼ぶには些か少なすぎる。
そんな事を考えていると、背後からガタガタと何かが揺れる音と地面を蹴る足音が聴こえてきた。
それは荷馬車だった。
微かに甘い香りがする樽を幾つも載せていた。
御者が一瞬だけこちらへ視線を向けた気がした。
過ぎ行くその馬車を見送っていると、荷馬車の音に驚いたのか、麦畑から鳥の群れが飛び立つ。
その羽音に反応した馬が、突然大きく身を震わせる。
御者の男が慌てて御者台から降り、馬を宥めようと手を伸ばした。
けれど、興奮した馬は男の制止を聞かず、勢いよく身体をぶつけた。
私たちの目の前で、男はその場に倒れ込んだ。
セイトはまず倒れた男へ駆け寄った。
意識があることを確認すると、今度は暴れる馬へ向かい落ち着かせ始めた。
私も、彼に続こうと思った。
けれど、すぐには動けなかった。
私はこの人を助けることはできる。
誰であっても、助けるべきなのだろう。
でも、助けようとは思えなかった。
目の前で苦しんでいる人を見ても、心は少しも動かなかった。
馬を宥め終えたセイトが、男と話している。
身体が痛むのか男は苦しそうだ。
セイトは何か考えている様子だった。
私は、そっと男に近づいた。
男は、額に汗を浮かべていた。
私を見ると、一瞬だけ表情を強張らせた。
その視線は私の髪へ向かい、それから胸元へ移る。
「……黒髪か」
掠れた声で呟いた。
私の姿を知らないはずなのに、なぜそんな反応をするのか分からなかった。
セイトは一瞬だけ黙った。
「彼女は僕の連れだ。怖がらなくて良い」
そう言って、男へ穏やかに声をかける。
「あそこに見える民家に、助けを呼びに行こうと思う」
「ここで、待っていてくれないか?」
彼が私に向けた言葉には、少しだけ迷いが滲んでいた。
この人を助けられなければ、彼はきっと自分を責める。
そんな顔は見たくなかった。
私は首を横に振った。
私から、彼に付いて行くと言ったのだ。
足手まといにはなりたくなかった。
誰かを助けるために、この力を使ったことなどなかった。
けれど、自分の力の使い方だけは、不思議といつも分かっていた。
私は男の側に膝をつく。
両手を翳すと、若葉色の光が身体を包み込んだ。
男は苦しそうに歪めていた顔を上げる。
痛みが消えたことに驚いたように、自分の身体を確かめていた。
ゆっくりと身体を起こし、立ち上がる。
「痛く……ない」
男は恐る恐る腕を動かし、足を踏みしめる。
「……動ける」
そして、改めて私を見る。
「嬢ちゃんが、治してくれたのか?」
私は小さく頷いた。
「黒髪の嬢ちゃんに助けられるとはな……」
男は苦笑する。
「いや、助けてくれた相手にそんなこと言っちゃいけねぇな。ありがとう」
頭を掻きながら笑った。
「黒髪?」
私は聞き返す。
男の視線が私の胸元で止まった。
銀のペンダントを見つめ、それからセイトへ目を向けた。
「その家紋……西のマリス伯爵家のもんだろう」
「まさかと思うが、伯爵家の人間が黒髪の嬢ちゃんを連れて旅してるとはな」
「……何も知らん子なら、なおさら気を付けてやらねぇと」
セイトは曖昧な笑みを浮かべた。
「一地方の貴族なのに、良く知ってますね」
「はん、馬鹿言うな。マリス伯爵家と言ったら、西の海運を支えてる名家だ。商売してる奴が知らないわけないだろう」
男は胸を張って答えた。
「商人なら、そうかもしれませんね」
セイトは納得したようだった。
「この先の村に行くのか?」
男は御者台へ戻りながら尋ねた。
「はい、今日は村で休んで、明日王都へ向かおうかと」
セイトは言った。
「そうか」
男は少し考えるように顎へ手を当てた。
「村なら今夜は祭りだ。宿も混むかもしれねぇな」
男は一度、私とセイトを見比べた。
荷台へ視線を向ける。
「俺は村まで酒を運ぶ途中だ。さっき助けてもらった礼だ。後ろの樽の間でよければ乗っていきな」
「歩くよりは楽だろう」
男は笑った。
これから、今の二人の物語に入ります。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
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