みっつめ(走ってた正直者)
俺は未だかつて経験した事の無い程の鋭い眼光で睨まれている。
蛇に睨まれた蛙というのはこういう事を言うのだろうか?
俺の両手はサドルを掴んだまま顔だけをあの子の方に向けて金縛りにあった様に固まっている。
ーーーいや俺の中にある生存本能みたいなものが命の危険を感じて動けないのだ。
せめて何か反論でもしたいところだが呂律も回らない。
絞り出す様に口から出た言葉は「あわわ…。」だった。
こんなマンガみたいなセリフを本当に言う事があるとは自分でも驚きである。
「それで、あたしの自転車に何かご用ですか!?」
「…いや…ちが…。」
駐輪場の中に埃っぽく少しひんやりとした一陣の風が通り抜けた。
その風に煽られるかの様に俺はそのままぺたんと尻餅をついてしまった。
そろそろ中腰が辛かったのだ。
しかしこうなってしまっては当初の目的である、こっそりどんな子か探るどころでは無い。
いっそ包み隠さず言ってしまった方が良いんじゃないのか?
「…実は今朝、俺の自転車を追い抜いていった人を探していたんだ。」
「探してどうするつもりだったのよ?」
「あっ…エト…。」
そりゃそうだ。理由としては弱すぎる。
一瞬たじろいで仰け反った瞬間、ポケットの中で何かが引っ掛かった。
ーーー道端で拾った赤いボールペンだ。
俺はややふらつきながらゆっくり立ち上がるとポケットからボールペンを取り出した。
「これが落ちてたんだけどもしかして持ち主では…?」
「ないわね。これを届けようとしていたの?」
…ど、どうする?そういう事にしたら全て丸く収まりそうだけど。
「いや、これはたまたま拾っただけ。」
「なによそれ。」
呆れられてしまったけど嘘を吐くよりは余程良い。
「これ道端に落ちていたから可哀想かなと思って拾っておいたんだけど。」
うんうんと頷くあの子。
「俺は小学生の頃、正直者ケンちゃんと呼ばれていた位だからさ。持ち主が見つから無かったら後で交番に届けようかなと思って。」
「ケンちゃ…。」
ずっと睨んでいたあの子の顔が一瞬真顔になってそして何故かぱっと綻んだ様に見えた。
「ま、まぁ良いわ。じゃあたし忙しいので。」
そう言うとそそくさと自転車を出し走って行ってしまった。
ーーー何だか知らんが助かった。
そして一瞬見えたネームシールに「いがらし」と書いてあるのを見逃さなかった。
五十嵐さんか。そういえば小学生の頃そんな名前の友達が居たっけ。
確かお母さんが亡くなって、家業の都合で転校したんだったかな?お葬式に出た覚えもある。
…でもあいつ男だったよな?女の名前でも無かったし。
じゃやっぱ違うか。




