第70話「完璧な女の子は疲れるのです」
「分身??」
都から帰ってきた桔梗が、すっとんきょうな声を上げた。
「はい。サチさんと栞さんが、どうやらお兄ちゃんにとって特別だった女の人の……記憶というか、心というか、そういうものを二人で分け持っていたみたいなんです」
予定より少し早く都での仕事を切り上げ、お土産の菓子を抱えて帰還した葵と桔梗。しかし、留守の間に起きたあまりにも突拍子もない報告を受け、大商会の長である葵でさえ、扇を持ったまま固まっていた。
「前世の記憶が、二人に分かれて転生……? そんな絵巻物のような変事が、本当に起こり得るのですか?」
「俺も医学を学んだ身としては信じがたいけど、起きたことは事実みたいだ」
吉平は縁側に座り、奥の襖をちらりと見やった。
「おそらく……情報量の多さと、自分たちが一人の誰かとつながっていたっていう衝撃で、二人とも知恵熱みたいに倒れちゃってさ。今は奥の部屋で寝てる…」
容態は安定しており、生命に別状はない。吉平が処置をして寝かせているため、あとは本人たちが目を覚ますのを待つしかなかった。
「なるほど……それは倒れたくもなりますわね。お二人とも、ゆっくり休ませてあげましょう」
葵が呆れつつも微笑む中、縁側の端っこでは、言い出しっぺである結衣がぺたんと座り、ぽりぽりと気まずそうに頬を掻いていた。
普段なら「ラノベ展開キター!」と大騒ぎするはずの彼女だが、今日はやけに大人しい。
「いやー、さすがの私も今回ばかりはちょっと引いてるわ」
結衣があっけらかんとした口調のまま、ふうっと息を吐いた。
「引いてるって、結衣が仕掛けたテストのせいだろ」
「違うの違うの。だってさ、そもそも私たちが死んだのって、私が家の階段で足を滑らせたドジが原因じゃん? お兄ちゃんだけじゃなくて、後ろにいたあの人まで巻き添えにしちゃったわけでしょ?」
「……まあ、そうだな」
「私のせいで巻き込んじゃったうえに、来世の仕様まで二人分にバグらせたとか……いくらなんでも業が深すぎて、さすがに笑えないわー」
自分のドジが引き起こした出来事の規模があまりにも大きすぎて、純粋にドン引きしているのだ。
「それにしても……」
葵が扇で口元を隠したまま、静かに首を傾げた。
「その、吉平様の前世で特別だったという女性は、いったいどのような方だったのですか? サチさんと栞さんが、二人がかりでその方の記憶を受け継いでいるというなら、よほど大きな存在だったのでしょう?」
「大きいっていうか……うーん、まあ、すごい人だったわね」
結衣は縁側に座ったまま、少し遠い目をした。三人で手をつないだ際の衝撃で、結衣の前世の記憶も戻ったらしい。
「成績はいつも上の方。運動もできる。誰にでも明るくて優しくて、先生にも後輩にも頼られてて。女子からも男子からも人気があって……なんていうか、みんなが普通に憧れるタイプの人だったのよ」
「それはまた……ずいぶんと完璧な方ですわね」
葵が感心したように呟く。
桔梗も腕を組み、真剣な顔で頷いた。
「なるほど! もしその方が一つの姿のまま転生していれば、我々など瞬殺される大妖怪クラスの強敵でしたね! 天がこちらとの戦力バランスを考慮して、二つにしたのでしょうか?」
「さあどうだか…」
結衣は苦笑しながら肩をすくめた。
吉平は少しだけ眉を寄せる。
「そんなすごい人が、なんで俺の家にしょっちゅう来てたんだ?」
「本人はいつも『結衣ちゃんに会いに来ただけ』って言ってたわよ」
「なら、結衣に会いに来てたんだろ」
「ないない」
結衣は即答した。
「いや、私にも会いに来てくれてたとは思うけど、本命はどう見てもお兄ちゃんだったわ。だって、あの人、お兄ちゃんの前だとちょっとだけ気が抜けてたもん」
「気が抜けてた?」
「うん。外ではずっと完璧な人だったから。みんなに頼られて、すごいねって言われて、いつも明るくて、優しくて、失敗なんてしない人みたいに見られてた。でも、お兄ちゃんはあの人のこと、あんまり特別扱いしなかったのよ」
結衣は、少しだけ懐かしそうに笑った。
「テストで一番を取っても、試合で活躍しても、お兄ちゃんは『すごいな』って言うには言うんだけど、そのあとすぐに『寝不足だろ』『ちゃんと飯食ったか』『足、少し痛めてないか』って言うの」
「……俺、そんなこと言ってたのか?」
「言ってた。めちゃくちゃ言ってた」
結衣は呆れたように笑う。
「みんながその人のすごいところばっかり見てる中で、お兄ちゃんだけは、その人が疲れてることとか、無理して笑ってることとか、そういうところを先に見てたのよ。たぶん、あの人はそれが嬉しかったんだと思う」
吉平は何も言えなかった。
前世の記憶はまだところどころぼやけている。だが、結衣の言葉を聞いた瞬間、なぜか胸の奥に、ひどく懐かしい感覚がよみがえった。
夕方の台所。
結衣が菓子を頬張り、誰かが食卓に頬杖をついて笑っている。
その誰かは、学校では誰もが憧れる完璧な少女だったのかもしれない。けれど吉平の家では、ただ少し疲れて、少し甘えて、少しだけ素の顔を見せる普通の女の子だった。
「……だから、あの人はうちに来てたのか」
吉平が小さく呟いた、その時だった。
スパンッ!
勢いよく奥の襖が開き、布団に寝かされていたはずのサチと栞が、ふらふらと縁側へ姿を現した。
「ちょっと待って……」
額に冷やし布を乗せたまま、サチが真っ赤な顔で吉平を指差す。
「その話、なんかすごく覚えがあるんだけど」
隣では、同じように顔色の悪い栞が、いつになく動揺した表情で胸元を押さえていた。
「……私もです。完璧でいなければならない場所から、逃げるように吉平殿の家へ向かっていた記憶が……あります」
「あのね、吉平。当時の私……」
サチが、ぽつりとこぼした。
「誰かの期待を背負った完璧な私じゃなくて……ただの『私』を見てくれるあなたが……」
栞が、静かに言葉を続ける。
「「好きだったんだと思う」」
時を超えた、しかも二人がかりの告白だった。




