第48話「失恋から芽生える好奇心」
その夜。
夕食の片付けが終わり、静けさを取り戻した縁側で、吉平は栞と向かい合って座っていた。
奥の障子の裏では、サチ、葵、桔梗、美影の四人が息を殺して耳をそばだてている。
「栞さん。君の申し出のことだけど」
吉平は夜空を見上げ、それからまっすぐに栞の深く静かな瞳を見つめ返した。
「君と、結婚することはできない。ごめん」
きっぱりとした拒絶の言葉。
障子の裏で、四人の少女たちが音を立てずに安堵の息を吐く気配がした。
「……そうですか」
栞の表情は全く動かなかった。声にも、微塵の落胆も混じっていない。
「理由をお聞かせ願えますか。私の容姿も、教養も、本日の膳も。どれも最高傑作であることを証明したはずですが」
「うん。栞さんは本当に完璧で、綺麗だ。でも……俺は、最高傑作の器をもらって飾っておきたいわけじゃないんだよ」
吉平は困ったように、けれど優しい声で続けた。
「一緒にご飯を食べて『美味しいね』って笑い合ったり、悲しい時に寄り添って泣いたり。俺が欲しいのは、そういう風に不格好でも心を交わし合える、家族や仲間なんだ。だから、君の申し出は受けられない。君は本当に完璧な女性だ。でも少し心を許してくれてない気がする。もっと自分を出してさ、そのほうがもっと幸せにやっていけるよ」
栞は少しだけ目を伏せた。
吉平の言葉を頭の中で反芻し、整理し、静かに結論を導き出す。
「つまり、心、ですか。……わかりました。私の提供する完璧な美よりも、あなたは『心』という不確かなものを重んじ、選ぶと…」
栞は音もなく静かに立ち上がった。
「お時間を取らせて申し訳ありませんでした。明日、巫女山へ帰ります」
一切の未練もないかのように、栞は吉平に一礼し背を向け、縁側を歩き出した。
これでいいのだと、彼女の頭は理解していた。条件が合わなかった。ただそれだけのこと。美しい静寂の世界へ帰るだけだ。
しかし。
三歩進んだところで、栞の足がピタリと止まった。
胸は痛まない。悲しくもない。だが、彼女の頭の中で、疑問が渦巻いていた。
(最高傑作である私が、持っていないもの。私が理解できないもの)
それは、彼女にとって生まれて初めて直面する「未知」だった。
完璧であるはずの自分が、たかだか「心」などという形のないもののために選ばれなかった。
自分が知らない価値観が、この家にはある。それがどうにも、彼女の知的好奇心をひどく刺激してやまないのだ。
栞はくるりと振り返り、吉平のもとへ戻ってきた。
「……前言を撤回します。私は、巫女山には帰りません」
「えっ?」
「私はこれまで、自らの美貌と教養が世界の頂点だと信じていました。ですが、あなたは私を拒み、私が持たない『心』を選んだ。……ならば、その得体の知れないものが何なのか。この私が知らないままにしておくなど、到底許容できません」
栞は吉平の目の前まで来ると、いつもの少し高飛車で美しい顔で言い放った。
「吉平様。私はただの居候として、この家に留まります。あなたの言う『心』とは何なのか、人が笑い合うとはどういうことなのか。それを一番近くで観察し、学習するために」
「ええっ!?」
それは恋でも痛みでもなく、ただ純粋で傲慢な「未知への探求心」。
自分が知らない価値観があるなら、それを丸ごと吸収してさらに完璧になってやろうという、彼女なりの理屈だった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよーっ!!」
たまらず障子を蹴り開けてサチが飛び出してきた。その後ろから、葵、桔梗、美影も慌てて転がり出てくる。
「心を知るために居候!? なにそれ、断られたのに結局居座るんじゃない!」
「吉平様! このような得体の知れない方を住まわせてはなりませんわ!」
四人の猛抗議に対し、栞は先ほどの静寂な顔に戻り、ふっと優雅に微笑んだ。
「ご安心を。私はあくまで居候として、吉平殿の心の動きを静かに観察・学習するだけです。あなた方のように、無様に嫉妬して騒ぎ立てるような真似はいたしませんので」
「それが一番タチ悪いって言ってんのよーっ!!」
四人が騒ぎ立てる中、栞は縁側にちょこんと正座し、吉平を真っ直ぐに見つめた。
「というわけで吉平殿。さっそくですが、私と『一緒に笑い合う』という事象を実践していただけますか。さあ、笑って」
「そんな無表情で無茶振りされて笑えるか!」
未知なる「心」を完全に理屈で攻略しようとしてくる最高傑作の美少女に、吉平は深々とため息をついた。




