第47話「至高の御膳と、交わらない食卓」
「そういうわけですので。私が吉平殿の隣に立つにふさわしい器であること、まずは数日の滞在をもって証明いたしましょう」
栞は吉平の返事も待たず、持参した小さな風呂敷包みを一つだけ持って、音もなく優雅な足取りで吉平の家へ上がり込んでしまった。
「ちょっと! 勝手に上がり込まないでよ! 吉平の身の回りのお世話は、私たちで回ってるんだから!」
サチが猛反発し、栞の前に立ち塞がる。
「そうよ。特に食事! あなたみたいな都の教養ばかりのお姫様に、美味しいご飯なんて作れるわけないじゃない!」
サチの挑発に対し、栞は深く静かな瞳でサチを見つめ返した。
「美味しいご飯? 料理とは、ただ舌を喜ばせるためのものではありません。いかに天地の理に則り、主の精神を清らかに保つかです。吉平殿のような真理に触れるお方に、情や欲にまみれた俗な食事は似合いません」
栞はそう言うと、真っ白な襷で長い黒髪と袖をきりりと縛り上げた。その所作一つ一つが、息を呑むほど洗練されていて美しい。
そして、サチが夕食に使おうとしていた野菜や魚を手に取ると、流れるような包丁さばきで調理を始めた。
トントントン、という軽快で寸分の狂いもない音が台所に響く。
サチも葵も、その手際の良さに言葉を失った。まるで舞でも踊っているかのような、無駄のない流麗な手つき。
数十分後。
「さあ、お待たせいたしました。これぞ、淀みなき真理の膳です」
栞が吉平の前に静かに置いたお膳を見て、五人は完全に圧倒された。
そこにあったのは、季節の草花が添えられた、芸術品のように美しい御膳だった。
魚は焦げ目一つなく黄金色に焼かれ、大根は透き通るように薄く揃えられている。器の配置も色彩も、古い有職故実に則った完璧な美しさだった。
「さあ吉平殿。私という器の価値を、心静かに味わいください」
栞は誇ることもなく、ただそれが当然の理であるというように静かに告げた。
吉平はおそるおそる箸を伸ばし、一口口に運んだ。
サチたちも、おこぼれとして用意された小鉢を黙って口にする。
「……うん。すごく美味しい。味付けも完璧だ」
吉平が素直に感嘆の声を漏らすと、栞は優雅に頷いた。
確かに、味は至高だった。
サチは悔しそうに唇を噛んだ。自分が作る泥臭い家庭料理とは次元が違う、非の打ち所がない完璧な味。葵も「都の一流の料理人でも、ここまでは……」とため息をついている。
「栞さん、すごいよ。ほら、栞さんも一緒に座って食べよう」
吉平が自分の隣の座布団を勧めると、栞は心底不思議そうに小首を傾げた。
「私が、同席するのですか?」
「うん。一人で立って見てるなんて寂しいじゃないか」
吉平の言葉に、栞は静かに首を横に振った。
「お断りします。私は吉平殿に献上された最高傑作の器。主の食事に同席し、同じように俗な食欲を満たすなど、身分と理に反します」
「でも……」
「私の存在意義は、この完璧な膳を提供し、あなたがそれを食して精神を研ぎ澄ますのを『見届けること』です。同じ卓を囲み、情を交わし合いながら食事をするなどという無駄な時間は、私には不要です。どうか、お気になさらず」
栞はそう言うと、吉平から少し離れた板の間に座り、彫刻のように静かに控えた。
吉平は、手元の美しい御膳を見つめた。
味は完璧で、見た目も美しい。これ以上ないほど素晴らしい料理だ。
「……そっか。わかったよ。いただきます」
吉平は静かに箸を進めた。
美味しいはずなのに、どこか冷たく、寂しい味がした。
一方の栞は、静かに控えたまま吉平を見つめていた。
(私が用意した完璧な食事です。吉平殿は、私が最高傑作であることを完全に理解したはず)
だが、なぜだろうか。
完璧な料理を前にしているというのに、吉平の横顔はどこか物足りなそうに見えた。
最高傑作である自負と、目の前の男の意外な反応。
交わることのない二人の思いを乗せたまま、夜は更けていった。




