第2話「呪いではなく病」
サチが劇的に回復したのは、俺が看病を始めてから三日後のことだった。
熱はすっかり下がり、彼女は元気に畑仕事を手伝えるまでになった。
「吉平が手と口を清めてくれたおかげで、物の怪が逃げていったの! 本当にありがとう!」
サチは満面の笑みで俺の手を握りしめた。
その話は、瞬く間に村中に広まった。
「吉平のやつ、祈祷師も呼ばずにサチの物の怪を追い払ったらしいぞ」
「なんでも、不思議な薬水で手を洗ったとか……」
村の大人たちは半信半疑だったが、それでも藁にもすがる思いで俺の元へやってくる者が後を絶たなくなった。
何しろ、この時期の村は悲惨の一言に尽きた。
梅雨に入り、ただでさえ不衛生な村の環境はさらに悪化していた。あちこちで子供が激しい腹下しを起こし、老人たちが謎の高熱で次々と命を落としていたのだ。
ある日の夕暮れ、村の長老が青ざめた顔で俺の家を訪ねてきた。
「吉平や、助けてくれ。うちの孫が酷い下痢で、もう水も飲めなくなってしまった。祈祷師のお札を貼っても一向に良くならんのじゃ」
「わかりました。すぐに行きます」
長老の家に行くと、五歳になる男の子がぐったりと横たわっていた。脱水症状を起こしているのは一目でわかった。周囲には吐瀉物と排泄物の臭いが充満し、ハエが飛び交っている。
当時の人々は、病人が出ると「穢れ」を恐れて窓や戸を閉め切り、密室で祈祷を行うのが常だった。それが感染を広げる最大の原因とも知らずに。
「戸を全部開けてください! 風を通すんです! それから、汚れた布はすべて外に出して、すぐに燃やすか煮沸してください!」
俺は大人たちに指示を飛ばした。
「な、何を言う! 風を入れたら、別の物の怪が入ってくるじゃろうが!」
「俺のやり方に文句があるなら帰りますよ。孫が死んでもいいんですか」
俺が強い口調で言い切ると、長老たちは渋々ながら従った。
俺は急いで塩と少しの砂糖(当時の農村では極めて貴重な水飴のようなもの)を湯冷ましに溶かし、自家製の経口補水液を作った。
それを布に染み込ませ、子供の口に少しずつ含ませる。
「よく聞いてください。この腹下しは、村の南にある古い井戸のせいだ」
俺は看病しながら、集まった村人たちに告げた。
「あの井戸の近くには、動物の死骸が埋められている。そこから腐った水が地下に染み込んでいるんだ。あの井戸の水は絶対に飲んではいけない。そして、どの水も必ず一度沸かしてから飲むこと。それを守れば、この物の怪は必ず退散します」
感染源の特定と隔離、そして煮沸消毒。
俺が教えたのは、ただそれだけのことだ。しかし、村人たちは俺の言葉を「神のお告げ」か何かのように真剣に聞き入っていた。
数日後、長老の孫は見事に命を取り留めた。
それだけでなく、俺の指示通りに水を煮沸し、手洗いを徹底し始めた村の家々から、パタリと病人が出なくなったのだ。
「吉平はすげえ! 本物の陰陽師様よりもすげえ術を持ってるんだ!」
「ああ、生きた仏様かもしれねえ!」
村の惨状は嘘のように改善された。
野犬が漁っていた死体は俺の指示で深く埋葬され、家々の風通しは良くなり、村人たちは食事の前に灰汁で手を洗うようになった。
現代の衛生観念という「チート」は、疫病と呪いが蔓延る平安の村を、劇的に清潔で安全な場所へと変えていったのだ。
だが、平穏は長くは続かなかった。
死人が出なくなった奇妙な村の噂は、やがて税を取り立てる荘官の耳に、そして遠く離れた京の都にまで届くことになったのである。




