第13話「山道と香草と、幼馴染の柔らかな温度」
石鹸の評判は上々だが、一つだけ欠点があった。原材料である獣脂の匂いがどうしても微かに残ってしまうのだ。これを解決するため、吉平は香料となる植物を探しに、村の裏山へ向かうことにした。
「ほら吉平、早く早く! 山の天気は変わりやすいんだからね!」
前を歩くサチが、振り返って元気に手を振る。
今日の彼女は、山歩きがしやすいように単衣の裾を帯に挟み込み、動きやすい格好をしている。農作業で鍛えられた健康的な足取りは軽く、険しい山道もまったく苦にしない様子だ。
最近、吉平の作った石鹸で毎日体を洗っているせいか、彼女の肌は日焼けの跡こそあれど、ゆで卵のようにつるんと輝いている。裾から覗く引き締まったふくらはぎや、汗ばんだうなじから漂う清潔な石鹸の香りが、吉平の目を妙に惹きつけた。
「サチはすごいな。俺なんかもう息が上がってるよ」
「ふふん、毎日畑仕事をしてる私と、最近はずっと屋内で研究ばかりしてる吉平の体力の差ね。ほら、手、引いてあげようか?」
まるでお姉さんのように得意げに笑い、サチが手を差し出してくる。普段から村人の世話を焼き、吉平の助手としてテキパキと働く彼女の、頼もしい「お母さんポジション」の顔だ。
「いや、大丈夫だ。……あ! 見てみろサチ、あの斜面の途中に群生してる草! 薄荷だ。あれがあれば、清涼感のある匂い消しになるぞ」
吉平は斜面の中腹に目当ての香草を見つけ、急いで駆け寄ろうとした。
しかし、前日の雨で緩んでいた土に足を取られた。
「うわっ!?」
「吉平! 危ないっ!」
ズルリと滑り落ちそうになった吉平の腕を、サチが咄嗟に掴む。しかし、成人近い男子の体重を小柄な彼女が支えきれるはずもなく、二人はもつれ合うようにして、草むらの斜面を転がり落ちてしまった。
「……っ、いてて……」
幸い、ふかふかの長い草と落ち葉がクッションになり、数メートル転がっただけで済んだ。
吉平が目を覚まし、体を起こそうとして――ピタリと動きを止めた。
「……あ、う……」
吉平は今、下敷きになったサチの上に、完全に馬乗りになるような形で覆いかぶさっていた。
しかも、斜面を転がった勢いでサチの着物の襟元は大きくはだけてしまっている。以前の採寸の時に葵のプロポーションに驚いていたサチだが、彼女自身の胸元も、健康的な食事のおかげで発育が良く、ふっくらとした柔らかな谷間が露わになっていた。
さらに、木の枝に引っ掛けたのか、着物の袖口が少し破れ、そこから覗く白い肩が吉平の目の前にあった。
「あ、ご、ごめん! サチ、怪我は……」
慌てて退こうとした吉平だったが、サチの顔を見て息を呑んだ。
いつもはハキハキと喋り、吉平を引っ張ってくれる頼もしい幼馴染が、耳の先まで真っ赤に染め、涙目でプルプルと震えていたのだ。
「ち、ちょっと、吉平のばか……。お、重いし……それに、その……あんまり、見ないでよぅ……」
はだけた胸元を両腕で隠し、顔を逸らして身をよじるサチ。
先ほどまでの「頼もしいお姉さん」の面影はどこにもない。そこには、大好きな幼馴染との密着にドギマギし、恥じらいに耐えきれなくなっている、年相応の「純情な女の子」がいた。
その凄まじいギャップと、健康的なお色気に、吉平の心臓がドックンと大きく跳ねる。
「ほ、本当にごめん! 今どくから!」
吉平がバッと飛び退いた時だった。
「痛っ……」
吉平の手のひらから、ポタポタと血が滴っているのを見た瞬間、サチの顔色が変わった。斜面を転がった時、尖った石か木の枝で深く擦りむいてしまったらしい。
「吉平、血が出てるじゃない! ちょっと、そのままにして!」
サチは乱れた着物を慌てて直すのもそこそこに、吉平の手を両手で包み込んだ。顔はまだほんのりと赤いままだったが、その瞳には真剣な色が宿っている。
「泥がついてる……このままじゃ、物の怪(ばい菌)が入っちゃう」
彼女は腰に提げていた竹の水筒を開けた。中には、吉平の教え通りに一度煮沸して冷ました清潔な水が入っている。サチはその水で、吉平の傷口の泥を丁寧に洗い流し始めた。
「しみる? ごめんね、でも綺麗にしないと」
「いや、大丈夫だ。……サチこそ、痛いところはないか? 俺をかばってくれただろ」
「私は平気。頑丈なのが取り柄だもん。……でも、吉平が怪我したら、私が悲しいんだからね。もう、無茶ばっかりして……」
清潔な布で傷口を縛りながら、サチが上目遣いで吉平を睨む。
怒っている口調だが、傷口に息を吹きかけるその横顔は、とても優しくて、健気だった。
頼もしい助手としての顔。ドギマギと恥じらう女の子の顔。そして、吉平を心から心配してくれる優しい顔。
「……ありがとう、サチ」
「べ、別にこれくらい普通でしょ。ほら、帰るわよ! ハッカの草、私が採ってきてあげるからそこで座ってなさい!」
立ち上がり、吉平に背を向けて斜面を登っていくサチの耳は、まだほんのりと赤かった。
吉平は手当てされた自分の手を見つめながら、幼馴染の可愛らしさと健気さに、しばらくその場から動くことができなかった。




