美里
私の人生は、生まれた瞬間から決まっていた。
年の離れた優秀な姉の存在があったからだ。
誰からも慕われ、誰からも敬われ、誰からも将来を嘱望された姉。
私は小さいながらも、キラキラときらめきを放つ姉が大好きだった。
私にいつも微笑んでくれる姉が大好きだった。
けど、そんな姉の存在が重荷になり始めたのは小学生に入ってすぐだった。
『美里ちゃんは、お姉ちゃんと違ってマイペースなのね』
担任になった先生は、姉が小学生の時に担任になった人だった。
最初は、その言葉の意味がわからなかった。
けれど、徐々にその意味が分かり始める。
姉を知る人、皆が皆、私と姉を比べていることに。
普通の児童生徒なら、それほど記憶に残らないだろう。
でも、姉はその優秀さゆえに、出会った多くの人の記憶に刻まれていた。
姉が通った学校、生活圏で暮らす私は必然的にそれらの人々と交流することになる。
多くの人が何気なく放った私と姉を比較する言葉は、気が付けば私の心に痛みを発し始めていた。
君のお姉ちゃんはこうだった。
あなたのお姉ちゃんならこうしたのに。
お姉ちゃんは今どうしているの?
どこに行っても優秀だった姉の影が付いて回った。
皆が皆、私じゃなくて、私を通して姉を見ていた。
私も優秀ならよかったのだけれど、姉に全てをもっていかれたのか、私はどこまでも平々凡々だった。
けど、平々凡々でも、姉の光ゆえに私はさぞ愚鈍に見えただろう。
いや、見えていたと思う。
七瀬璃々の妹。
その看板は徐々に私の心を蝕んでいった。
徐々に、うまく笑えなくなっていった。
ううん。
笑ってはいた。
心配かけちゃいけない。
お姉ちゃんがちゃんとしている分、私もちゃんとしなきゃいけないと思い続けた。
何より、大好きだったお姉ちゃん。
そんなお姉ちゃんの名前を穢したくなくて、私は必死になって自分を取り繕ってきた。
そして、私が小学五年生になっとき、お姉ちゃんは先生になった。
学力的に姉は何にでもなれたらしい。
でも、教育学部を選び、先生になった。
「これまで私の力になってきてくれた先生方みたいに、私も未来を担う子どもたちの力になりたいの」
姉はそんなことを言っていた。
それを聞いて、私の心は自壊した。
妹のこともちゃんと知らないくせに何を言っているんだろう。
なんで、私のことすら見れていないのに、そんなことを言うのだろう。
私があなたをどう思って生きてきたのか知っているの?
自分が残してしまった光と、そしてその光でできた濃い影を姉は知らなかった。
それはそうだ。
だって、私が姉の生み出した影に苛まれ始めたとき、すでに姉は家を出ていたのだから。
もし、もっと年が近ければ、姉は私の状況に気づいて何かしらフォローしてくれていたのかもしれない。
けど、そうじゃない。
そうじゃなかった。
ただただ、無意識に放たれた残滓が、私を苦しめた。
だからこそ、誰からも救われることのない私は卑屈になる権利があると思っていた。
卑屈にならないと心がもたなかった。
そんな折、ふと昔のことを思い出した。
姉が教育実習に行った際の話だ。
姉の実習先は地元ではなく、大学のある地域で行われた。
そこで、とある病に罹患した児童に何もしてあげられなかったと、実家に帰ってきたときに嘆いていたのだ。
その時は服が爆散するなんて、変な病もあるものだ、くらいにしか思っていなかった。
けれど、その子細を聞いていた私は、優秀な姉の失敗を見てやろう、そんな気持ちで蓮君を探した。
探すのは簡単だった。
姉に『あの時の男の子、どうしてるのかな?』と聞けばよかった。
姉はずっと彼を気にかけていて、もし次会うことがあれば何か力になりたいと言っていたからだ。
妹のことは少しもわかっていないくせに。
そう、私はまた心の中で悪態をついた。
姉からの情報を得て、向かったとある空手の大会。
病に苛まれているであろう姉の遺産。
それを見て自尊心の足しにしよう。
そう思っていた私。
けれど、そこで私を待っていたのは、病気なんてことを微塵も感じさせない蓮君の姿だった。
型の演技。
彼の纏う空気は私の肌をひりつかせた。
彼の吐く息。
そこに含まれる集中は私の目を引き付けた。
彼の描く型の連続。
そのあまりの美しさに、私は息を飲んだ。
圧倒的存在感。
圧倒的な煌めき。
全ての影を振り払うような彼の型に、私はただただ惹きつけられた。
病で苦しんでいるはず。
いや、苦しんでいないとおかしいはず。
病気の特性を考えれば、人前に出ると言うだけで不安で押しつぶされても仕方のないはず。
なのに、彼はその影を一切感じさず、ひたすらに演技に没頭していた。
まるで、自分しか世界にいないかのごとく、彼は舞った。
その瞳には、こちらが思わず目を背けてしまいそうになるほどの光が満ちていた。
私と同じ、苦しんできた人生のはずなのに、そこには私とは異なる生き方を選んだ彼がいた。
気が付けば、私は彼の虜になっていた。
姉の作り出した影など最初からなかったかのように、彼の生み出した光の中にいた。
私はそこから蓮君を追いかけた。
彼を見ていれば、自分の中にある影なんて微かにも気にならなくなった。
幸い、廉くんはいろんなスポーツ大会で全国に行っていたから、いつでも彼を観ることができた。
私は蓮君が出場する試合には毎度足を運んだ。
内気な私が何かに熱心になることに、両親も反対はしなかった。
輝き続ける蓮君を見続けて、数年。
思春期を迎えた私の心に一つの思いが芽生える。
―――蓮君に会いたい
私はどうしても蓮君に近づきたいと思った。
麗奈ちゃんを見ていたからだ。
私は試合に足を運ぶと、そこには必ず彼女の姿があった。
私はすぐに気づいた。
同類だと。
彼を真摯に想う仲間だと。
けど、彼女は私よりも一歩踏み込んだ感情を抱いているように見えた。
そんな彼女の蓮君への眼差しを見続けた私は、私もあの場所に行きたいと思うようになった。
その想いは彼を見れば見るほど募っていき、とうとう私は行動に移すことにした。
転校だ。
彼の傍で青春を送ることを決めたのだった。
けど、このままじゃ駄目だとも思った。
彼の光ばかりを浴び続け、影から推し続けた私のビジュアルは正直、芳しくなかった。
野暮ったい眼鏡をかけ、野暮ったい私服を着て、その野暮ったさを助長するように表情は暗かった。
どうしようと思った時、脳裏を過ぎったのはお姉ちゃんだった。
真似したくなかったけど、でも、私に振り向いてもらうにはそれしかないって思った。
蓮君をある意味虜にした姉の姿になるしか。
幸い、姉妹だけあって、私もきちんとした美容院に行き、姉が残していった私服を着れば雰囲気だけは姉らしくなれた。
もちろん、それに加えて、様々なトレーニングも行った。
コミュニケーションに運動、メイクに表情、とにかく彼からの印象を良くすることに時間を費やした。
蓮君に会うのだ。
認識してもらうために行くのだ。
中途半端な自分じゃいけないと思った。
とにかく、これまでの自分を消すための努力を惜しみなく続けた。
そして、覚悟を決めてから一年後、私は転校をした。
迎えた転校初日。
蓮君は私の狙い通り、こちらを見てくれた。
けれど、それと同時に悲しいくらい蓮くんは私を通してお姉ちゃんを見ていることがすぐにわかった。
当たり前だ。
だって、蓮君にとってお姉ちゃんは特別なのだから。
私だって、それがわかっていたはず。
なのに、いざ数年に渡って想いを募らせ続けた相手に自分を見てもらえないとなると、私の心は酷く傷んだ。
なんて勝手な痛みだろうと、自嘲した。
けれど、それはあっという間に私の心を蹂躙した。
私はどこか期待していた。
少しだけ触れ合った姉より、ずっと想い続けて、あなたに会うために努力を重ねた私を見てくれるんじゃないかと。
勝手に期待していた。
だけど、そうじゃなかった。
それが悲しくて、悔しくて、情けなくて、恥ずかしくて。
私は意地悪になった。
蓮君が爆散するとわかっていたのに、蓮君から離れなかった。
『私を見て』なんて叫んでまで、彼の心を引き留めた。
私のせいで爆散することに申し訳なさなんて感じてなかった。
考えてもいなかった。
なんて卑怯なんだろう。
なんて最低なんだろう。
あんなにも思い続けた人を、私はただただ自分勝手に困らせ続けた。




