垂れ幕の少女
美里は話し終えると、膝から崩れてしまった。
咄嗟に俺は膝をつき、美里の肩を抱く。
「蓮くんが爆散するって、困るってわかってたのに、止められなかった。ずっと、蓮君が病気で苦しんでいるって知ってたのに、私は麗奈ちゃんみたいに自己犠牲なんて蚊帳の外で、ただただ蓮君を困らせたの。あまつさえ、申し訳なかったなんて嘘までついたの。いつか、その心がバレるのが怖かった。病気のことを知っていたのに、蓮君を苦しめたことがバレるのが怖かった。お姉ちゃんが来て、蓮君に感づかれたらどうしようって思ったの。だから、すべてがバレて嫌われるくらいなら、意味不明な人としてフェードアウトしたほうがいいって……。ごめんね。ごめんなさい。最低な私でごめんなさい」
「美里……」
だからこそのポインセチアだったのか。
本当に脈絡なさ過ぎて心配したけど。
そうであるのなら、と俺は言葉を届ける。
「美里は俺と会う時のために多大な努力をしてくれたんだよな?」
「……うん」
「なら、それはきちんと最初から美里を見れていなかった俺が悪い。美里が意地悪になっても仕方ない。意地悪したのだって、自分の方を向いてもらうためなんだろ?」
「それはそうだけど、でも努力したなんて蓮君が知る由もないことで……。それを勝手にこじらせた私が悪くて……」
「いや、それ以前の俺の問題だ。俺は爆散しないよう、人と距離を置いて来た。人と関わる努力をして来なかったんだ。そのせいで美里を傷つけてしまった。俺が当たり前に君を見ることができていたら、自然と美里の魅力に気づけていたと思う。あの時、美里が図書室で自分を見てほしいと言ってくれた時に、ようやく俺は間違いに気づけたんだ。俺からも謝らせてくれ。美里を見れていなくて本当に申し訳なかった」
俺は深く頭を下げる。
「そ、そんな……。蓮君、頭上げてよ。わ、私は私を変えてくれた蓮君に感謝してるんだよ?」
「俺だってそうだ。美里は俺を変えてくれたんだ、感謝している」
「わ、私の方が感謝してるよ?」
「いや、俺の方だ。俺の方が絶対に感謝している」
「私だよ!」
「いや、俺だ!」
「いや、二人とも何言ってんの?」
麗奈の冷静なツッコミが入る。
「ふふっ」
「ははっ」
瞳に溜め込んだ涙なんてもうそこに存在しないかのように、美里は笑みを零す。
そんな美里を見て、俺も笑顔になる。
「そうだよ。俺たちはもう、傷つけあっても、傷ついてしまったとしても、どこかで笑い合える関係なんだ。だから美里、離れるなんて寂しいことは言わないでくれ」
「ほんとに」
「蓮くん……。美里ちゃん……」
美里は一度目を強く瞑った。
そして、ゆっくりと開く。
そこには、出会った頃と同じきらめきを放つ彼女の瞳があった。
「私も、私も一緒にいたい。二人と一緒にいたい」
「美里」
すっと、近づいてくる美里の顔。
その瞳に吸い込まれるように、俺は動けない。
美里の唇が俺のそれに届きそうになる。
「はい、そこまで。私が敵に塩を送るのはここまでだよ」
あと数センチというところで、麗奈の両の手が俺と美里の間に入り込んできた。
「まったく、心配させないでよ。人をあれだけ焚きつけといていなくなるなんて、絶対に許さないんだから」
麗奈は少しだけ目と頬を赤らめながら、
「本当にごめん。二人を信じられなくてごめん……」
「いいの。そ・れ・よ・り・もー」
ニヒヒとまた悪戯な笑みを浮かべるな笑みを浮かべる麗奈。
「こっちに来る前の美里ちゃんはどんな感じだったんだの? 見せてほしいな」
「そ、それは恥ずかしい……」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
麗奈が美里の頬をつつく。
おふんおふんと美里の口から音が漏れる。
どっかで聞いたことある音だな。
「そうだな。俺も美里のことを知りたい」
「うう。二人を困らせちゃった罪滅ぼしになるなら。……でも、笑わないでね」
そう言って、美里はスマホを取り出し操作したのち、俺たちに見せてくれた。
そこに映っていたのは薄いシルバーフレームの眼鏡をかけ、腰ほどまでに伸びた黒髪を三つ編みにした女の子だった。
今の美里の活発さとは異なり、どちらかと言えば、文学少女のような雰囲気だ。
今は動という感じだが、写真の中の美里には静が揺蕩っていた。
けど、眼鏡の奥にある瞳の輝きは、今の美里と同じだ。
「可愛い」
麗奈が言葉を零す。
「ほ、ほんとに?」
「うん。今の七瀬先生に寄せた姿もいいけど、美里ちゃんの繊細な鼻立ちとか薄く桜色がかった唇とかとの相性考えると、こっちの方が合ってる気も。美里ちゃんは自信ないって言ってたけど、これはこれで蓮が好きそうな雰囲気だなあ」
ちらりと麗奈がこちらを見る。
俺は思わず目を背ける。
まあ、たしかに、なんというか、自分が全力で人生を走ってきた分、写真の美里のような深窓の令嬢然とした佇まいも惹かれるというかなんというか。
それよりも、と、俺は改めて美里の写真に目を向ける。
「んー」
俺は美里の写真を見て既視感を覚える。
いや、七瀬先生に似ているのは今さらだ。
そうではなく、このビジュアルの美里単独で見たことがあるような……。
俺は記憶を掘り進んで行く。
たしか……。
「えっと、もしかしてだが、美里は俺の出場した大会、結構見に来てたりしたか? ていうか、さっきよく見に来てたって言ってたような」
記憶の水面に浮かんだのは俺の出場した大会。
そこに写真の中の美里の姿が重なっていく。
「あ、うん。恥ずかしくて麗奈ちゃんにいろいろ吹っ掛けたときは小学校に一度足を運んだって嘘ついちゃったけど、私、ずっと蓮君のこと追っかけてたの。蓮君って色んなスポーツの全国大会に出てたから、逐一チェックして見に行ってたの。さすがに地方だと難しかったけど、たぶんほぼすべて生観戦してるよ」
言って、美里は笑う。
その笑顔と大会という場所が今まさに完全マッチする。
俺の中で記憶が弾ける。
ドクンと、心臓が跳ねる。
俺が大会に出場する際には、いつも麗奈が来てくれていた。
当時は友情に感謝していたけれど、今思えば、麗奈も俺のことが心配でついてきてくれていたのだろう。
けど、麗奈も自身が部活をしている関係から、来られない日もあった。
そんな時、俺の心は孤独に支配された。
でも、大会の会場には麗奈以外にもう一人、少女がいた。
俺はその彼女のことを知らなかったけれど、その少女は『蓮君なら大丈夫!』『蓮君ファイト!』という垂れ幕を掲げ、声を張って応援してくれていた。
いつから少女が応援してくれていたのかは定かではないが、気が付けば、俺の心にその少女の存在に励まされていた。
けれど、大会が終わりお礼を言おうとしても、いの間にか彼女の姿は見えなくなっていた。
いつか会えたらお礼を言いたい。
そう考えていた。
心の中で、彼女を垂れ幕の少女と呼び、俺は麗奈と同様、心の支えとなっていた存在だ。
「美里が、あの垂れ幕の少女だったのか」
俺の心は心地よい思い出に浸っていく。
美里との繋がりのある過去に、確かな幸福を覚える。
「えへへ。たぶん、そうだよ」
美里はテレテレと赤らんでいく頬に両手を添え、身を捩る。
思い返せば、美里のサングラス姿に既視感を覚えたのも、これのせいか。
七瀬先生よりも、垂れ幕の少女としての美里を重ねるべきだった。
いや、本当に美里には申し訳ないことをした。
改めて、自戒する。
「美里はそんなに前から俺を支えていてくれたんだな。改めて、ありがとう」
「えへへ。なんだか恥ずかしいな。私だって、頑張っている蓮君にいつも励まされてたんだから、お相子だよ?」
「そう、かな」
「うん、そうだよ。……あ、ていうか、今の話で私のこと嫌いにならないよね? ちょっとストーカーっぽい感じするけど……」
美里はドキリとした顔をする。
「嫌いにならないさ。むしろ、応援してくれていた事実に感動しているくらいだ」
俺は嘘偽りない言葉を発する。
「よかった!」
美里の笑顔が咲く。
まるでそれは、夏を待ちわびたヒマワリのような溌剌さを有していた。




