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「調子はどうだい?」


 麗奈と美里が勝負をすると決めてから二週間ほどたった週末。

 俺はとある病院へと足を運んでいた。

 本来であれば休診日。

 しかし、俺の稀なる病気のためもあって、先生は休診でも定期的にこうして時間をとってくれる。

 俺の目の前に座る女医は、こちらを包み込むような優しい笑みを浮かべている。

 黒ぶちの眼鏡の奥に存在する切れ長の目は、本来なら近づきたい印象を与えるが、彼女はそうではない。

 身に着けた白衣も、足を彩る黒のタイツも、その下にある黒のヒールも、本来なら爆散に繋がりそうなものだが、今の俺にはどれも既に安心感を付与するものとなっている。

 坂崎鏡花。

 俺が病気を発症してからずっと診てくれている先生だ。

 発症してから十年近く経っているから、先生ももうすでにそれなりの歳のはずなんだけど、ずっと容姿が変わらない。


「蓮、何か失礼なこと考えてないか?」

「いえ、そんなことは」


 俺は慌ててかぶりを振る。


「まあいい。それで、調子はどうだいパートツー」


 先生は決め顔でピースサインを作り出す。

 やはり、歳……。


「えっと、調子自体は悪くないんですが、実は今、悩んでいることがありまして……」


 俺は先生にここまでの経緯を丁寧に話した。

 病気の原因となった七瀬先生の妹に会ったこと。それによる爆散を抑えることに必死になったこと。

 そして、そこからの麗奈の変化、美里の宣戦布告など。

 結果として、今、大切な友人同士が険悪とまではいかないにしても、バチバチな状態となっていること。

 勝負と称して、俺を挟み何かとぶつかり合っていること。

 何より、自分の心は未熟ゆえに、二人の気持ちを受け止めることができないのでのはないかという不安。

 それら全てを話した。

 先生は決して茶化すことなく、真剣に聞いてくれた。

 自分からの発する言葉は冗談めいているけれど、相手の想いは真摯に受け止める。

 そんな先生だからこそ、俺は辛い闘病生活において、先生との付き合いを続けてくることができた。

 そして何より、自身の恋愛事情というセンシティブな内容も、話すことができる。


「なるほど。君も恋を知る年ごろか」


 きしりと先生は背もたれを軋ませる。


「恋、を知ることができればいいんですが、俺はあまりにも人と距離を取り過ぎてきました。身近にいた麗奈の想いに気づくことができないほどに……」

「そうかな?」


 先生は不思議そうに顔を傾げる。


「まあでも、今日はちょうど私も伝えないといけないことがあったんだ」


 先生はぴっと右の人差し指を立てる。


「と、言いますと?」

「君にはこれまで、夢中になれるものを探してみなさい、と伝えて来たね。そうすることで、爆散に向かうエネルギーを消化することができるかもしれないと」

「はい。そうですね」


 その先生の助言があったからこそ、俺は数々のスポーツや芸術に積極的に取り組んできた。

 そのおかげで、爆散という病とも戦ってこれた。


「実はその体内に溜まる服爆散エネルギーを、とある方法で解消できる可能性があることが最近の研究で明らかになってきたんだよ」

「え? ほんとですか?」


 俺は思わず身を乗り出す。

 もし爆散が収まるのであれば、これから俺は当たり前に人と付き合っていけるようになる。

 突然の朗報に俺は心の中でガッツポーズをする。


「それで、その方法というのは?」

「恋をすることだよ」


 先生はにっと明朗な笑顔を作る。

 わお。

 今一番悩んでることぉ。

 一寸先は闇とはまさにこのこと。

 まさか、そこが解決の糸口とは。

 そんな俺の絶望を前に先生は続ける。


「服が爆散する病は、強烈なエロスとの邂逅によって生じるものだということは理解しているね?」

「……はい」

「だが、恋をすることができれば、そのエロスによるエネルギーの爆散を抑えることができる可能性がある。いや、抑える、ではないな。エロスという強烈なパッションが、恋というものに置き換わる、と言ったほうがいいのかもしれない」

「でも、エロスと恋って遠くないですか?」


 俺は素直な疑問を発する。

 俺がこれまで経験してきたエロスとそれに伴う爆散は、とても恋というものと結びつく感じはなかった。


「ふふっ。君もまだまだ若いな。エロスは恋のスタート地点だよ。そもそも、誰かにエロスを感じるということは、少なからず好意を抱くことと同義だ。そのエロスからさらに先に進めたとき、爆散という呪いから君は解き放たれるはず。実は、この爆散する病は、幼少期に発症することが多いんだよ」


 なぜか? と先生は眼鏡をくいと持ち上げる。


「幼少期に恋という複雑な感情、システムを理解することは困難だ。しかしその一方で、エロスは動物的な本能に近いもので、非常にシンプルだ。だからこそ、幼少期にその結びつきを理解することはできない。逆に言えば、エロスと恋の繋がりを意識でき始める思春期になってしまいさえすれば、極端なエロスに出会ったとしてもそれが少なからず恋へと変換され、爆散する病は発症しない。だからこそ、この病は罹患者が少ないんだ。君の場合、その恋とエロスが分断された小学校低学年頃に、あまりにも膨大なエロスに出会ってしまったがゆえに、爆散する病を発症してしまったんだ。おそらく、そこには恋という感情が少なからず、存在してたはずなのだがね。他の罹患者も大なり小なり違いはあれど、君と似たような状況で発症していることがわかってきている。この病の発症者の記録が蓄積する中で、ようやく見えてきたことだよ」


 なるほど、と俺は得心する。

 確かに今思えば、あの時の俺は七瀬先生に対して、好意を寄せていたと記憶している。

 それが恋かはわからないけれど。

 ただ、そんな曖昧な自分の心にあの強烈なエロス。

 確かにあれには抗えないな。

 全てが吹き飛ばされたことを思い出す。

 俺は思わず苦笑いを浮かべる。

 先生の説明、新しい知見に、少しだけ俺の抱えてきたものが軽くなったように感じた。

 理由がわかるというのはいいことだなと。

 だが、やはり問題は解決しない。


「でも、先ほども言いましたが、俺には人の気持ちがわからないんです。特に、恋なんていう人の深い部分にある感情なんてわかるわけがないんです」


 太ももに乗せた手に力が入る。

 もし、俺がわかっていれば、麗奈を傷つけることはなかった。

 美里をもっと慮ることができた。

 あえて他者に対する様々な感情を遠ざけてきた俺に俺に恋なんて……。


「そうかい? 私は君ほど誰かのことを考えて生きて来た人を見たことはないぞ?」

「え?」


 先生はこちらを見つめる。

 その瞳には、こちらへの信頼とすら呼んでいいほどの眩い光が宿っていた。

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