第3話 邪馬台国・日向の宮
歴史はアニメでは語り尽くせない。
「失われた光」――邪馬台国最大の謎が、いま小説と音楽で甦る。
【一 燃える山影】
山の稜線が、赤く裂けていた。
高千穂の宮の背後に連なる峰々。その向こう側から、いく筋もの狼煙が立ちのぼっている。夕日の朱と混じり合い、空は血のような橙色に染まっていた。
「……また増えましたな」
柵の上から谷を見下ろしていた長官・伊支馬が、低く唸る。
隣で、日向が霧を切るように目を細めた。
「奴国の境か、それとも――」
「狗奴国でしょうね。火の上げ方が違います」
報告に来た若い兵が、喉を鳴らして続ける。
「敵はじわじわと国境の村を焼き、逃げ出した民を盾に前進しています。
このままでは日向の山裾まで煙が届くのも、時間の問題かと」
少し離れた場所で、その会話を聞いていた壹真は、胸の奥に重い石を押し込まれたような圧迫感を覚えた。
(これが――“百余国の戦乱”……)
教科書では、たった数行の文字だった。
「倭国乱れ、相攻伐すること歴年」
だが今、目の前にあるのは、生々しい炎と、人の声と、焦げた匂いだ。
ページの上の文字は、こんな匂いまでは伝えてくれなかった。
「日向様」
伊支馬が静かに問う。
「女王国として、いつまで“見ているだけ”でおられますか。
奴国からは再三、援軍と仲裁の使いが来ております。
狗奴国は、もはやただの反乱国ではなく――倭そのものを呑み込もうとしておる」
「わかっています」
日向は短く答えた。その声は静かだが、張りつめている。
「だからこそ、軽々しく兵を動かすわけにはいきません。
百余国の均衡が崩れれば、戦はこの谷にまで降りてくる」
伊支馬は、ぐっと口を閉ざした。
その隣で、壹真の胸の勾玉が、かすかに震える。
(女王国……邪馬台国の連合のことか。
奴国、伊都国、山の向こうの小国たち。教科書で見た名前が、全部、今ここで動いてる)
けれど、そこに立っているのは「文字」ではなく「人間」だった。
どの国にも家があり、子どもがいて、笑う声があったはずだ。
そのひとつひとつが、あの炎の向こう側で消えていく。
「壹真」
日向が振り返る。黒い瞳が、まっすぐ彼を射抜いた。
「あなたにも、この戦いを“見ていて”もらいます」
「……俺に、何ができる?」
「今は、見るだけでいい。
“外の世界”を知るあなたの目で、この倭の乱れを焼き付けておいて」
日向はそう言って、ほんの少しだけ微笑んだ。
だが、その笑みの奥に、決意と恐怖が同居していることを、壹真ははっきりと感じ取った。
【二 骨の裂け目】
夜。
宮殿の奥の間は、水を打ったように静まり返っていた。
祭壇の周りには灯明がともり、白い煙が薄く漂っている。
中央には、一枚の平らな骨――鹿の肩甲骨が置かれていた。
「……これが、さっき言っていた“占い”?」
壹真は小声で尋ねる。
日向は白衣の袖を整え、骨の前に静かに座った。
その横で、若い侍女がうやうやしく、真っ赤に焼けた鉄棒を捧げ持っている。
「鬼道は、言葉を間違えれば、道も狂います」
日向は骨にそっと指先を置きながら言った。
「だから、よく見ていて。
これが、女王国の決め方――“倭の行く末”を選ぶやり方」
彼女は目を閉じ、両手を胸の前で組む。
周囲の兵や臣下たちはすべて下がり、この場には日向と壹真、侍女と伊支馬だけがいた。
「神よ、われに兆しを示したまえ」
囁きのように小さな声。
けれど、その響きは祭壇の木柱を震わせるような重さを持っている。
侍女が鉄棒を差し出した。
真っ赤に焼かれた先端が、骨の窪みに押し当てられる。
――パキッ。
鋭い音が、奥の間に響いた。
白い骨に亀裂が走る。
それは火に照らされて黒い筋となり、じわりと広がっていく。
壹真は息を詰めた。
骨の中に潜んでいた見えない地図が、火の力で浮かび上がってくるようだ。
「兆しが……現れた」
日向は顔を近づけ、亀裂の形をなぞる。
一本は左へ、もう一本は大きく右へと枝分かれしていた。
「左は――奴国。
右は――狗奴国」
日向の声が、わずかに震える。
伊支馬が前に出た。
「いかがです、巫女様」
「二筋とも深い。
けれど……右の線は、途中で途切れています」
「……狗奴国は、いずれ――」
「消えるか、“変わる”」
日向はゆっくりと顔を上げた。
「けれど、その前に倭は血に染まる。
左の線――奴国もまた、傷を負うでしょう。
女王国は、裁きを下さねばなりません」
裁き。
その言葉に、壹真はぞくりとした。
(これが、歴史の“決まり方”か……)
数字でも条文でもない。
骨の裂け目と、ひとりの巫女の解釈に、人の生死が束ねられていく。
「日向」
思わず壹真は口を開いた。
「もし……占いの結果が気に入らなくても、違う道を選ぶことはできるの?」
日向は壹真を見る。
その瞳には、夜の水面のような静かな光があった。
「できるわ。
神の言葉を無視しても、人は選べる。
ただ――」
日向は骨からそっと手を離す。
「そのとき、代償を払うのは、いつも“民”です」
壹真は言葉を失った。
【三 邪馬台国・日向の宮】
翌日。
壹真は日向に伴われ、山の中腹にある物見楼(見張り台)へ向かった。
そこからは、日向国と奴国との境が一望できた。
谷筋に沿って集落が点在し、その向こうには黒く焦げた畑と、炭と化した家々の跡が広がっている。
「……ひでえ……」
思わず現代語が漏れる。
焼け落ちた屋根。崩れた柱。
土にあいた黒い穴は、防御柵の跡だろう。
その中に、まだ片付けられていない遺体がいくつか横たわっていた。
壹真は目をそらしそうになり、それでも必死に視線を戻す。
「狗奴国のやり方です」
隣で、日向の弟で若い武人・佐士が、悔しそうに歯を食いしばった。
「奴らは女や子どもも容赦しない。
見せしめのために村を焼き、逃げた者は別の国に流れ込み――
それを理由にまた別の戦が始まる」
「倭国乱れ、相攻伐すること歴年、か……」
壹真が呟くと、佐士がきょとんとした顔をした。
「今、何語です?」
「……なんでもない」
壹真は首を振る。
「佐士。あなたは狗奴国をどう思いますか?」
日向が尋ねると、佐士は即答した。
「敵です。
日向を、そして女王国を脅かす者たち」
その言い方には、ただの憎しみだけでなく、どこか恐れも混じっていた。
「狗奴国には、“男王”がいます。
ですが、邪馬台国のような“巫女王”はいない。
力と富で人を従わせる国です」
壹真は、焼け落ちた村の跡を見つめ、ゆっくり息を吐いた。
焦げた柵、崩れた屋根。遠くから吹いてくる煙の匂いに、現代で読んだ「文字だけの歴史」が、ひとつひとつ上書きされていくようだった。
「……日向」
焼け跡から目を離さずに、壹真は口を開く。
「俺のいた世界には、魏から倭を見た記録があってさ。
各国の位置が曖昧なまま、ずっと議論されてたんだ。
その中に“女王の都の位置”って問題があって――」
「都の位置……?」
日向が首をかしげる。
「そう。魏志では“水行十日・陸行一月”とか“南へ水行二十日”とか、いくつか別の書き方があって、
現代の人たちは“九州北部か”“畿内か”って散々議論してた。
でも――」
壹真は、谷の向こう、高千穂の峰を見つめた。
「この山道と、日向国の地形を見ると……
俺は、ここなんじゃないかって思った」
「……ここ?」
「うん。日向の山――高千穂を中心にして、川下の向こうに大きな入り江の港、延岡があるだろ?
五ヶ瀬川や北川に沿えば、内陸のこの都にもつながってる。
外の世界の船は、黒潮に乗って南からも北からも来られる。
日向灘沿岸の港を“投馬国”とすれば――陸行十日でこの高千穂に届く」
佐士が振り返った。
「延岡……とは、その港の名か?」
「俺のいた時代での名前だ。
いまのお前たちの言い方だと、“海の向こうの大きな入り江”ってところかな。
潮はきついけど、外から来る船の風待ち港にはちょうどいい」
日向は、壹真の横顔をじっと見つめた。
「……あなたの世界では、倭の女王の都が“この日向”にあったと?」
「いや、そう言い切る学者はいなかった。
でも……俺はここに来て、“ここが中心でも全然おかしくない”って思った。
山の上に神が宿り、海は大国とつながり、人の流れがここに集まる。
文献の距離計算と、この地形……
両方を合わせたら、ここが一番しっくりくる」
佐士がぽつりと呟く。
「……この谷が、倭の真ん中……」
日向は目を閉じ、ゆっくり息を吸った。
「もし、あなたの言う通りなら――
高千穂は、倭を照らす“光”の始まり。
そして、争いがここに押し寄せれば……
倭の“光”そのものが失われる」
壹真は言葉を失う。
谷の向こうに揺れる煙が、まるで“将来の歴史の空白”そのもののように見えた。
「……魏志倭人伝にも、そんなふうに書いてあったな」
思わず漏らすと、今度は日向が目を細める。
「その“魏志”というのは、あなたのいた世界の書物?」
「うん。外の国――魏から、倭を見た記録。
百余国があって、女王国と狗奴国が対立して、
やがて……倭は大きな王にまとめられるって」
「まとめられる……?」
日向が小さく繰り返す。
「それは、喜ぶべきこと? それとも――」
壹真は答えに詰まった。
教科書の中では、それは“国家成立”という進歩の一歩として扱われていた。
だが、そこへ至るまでにどれだけの血が流れたのか。
いま目の前にある燃えた村が、たった一行のフレーズの裏側にあるのだとしたら。
「……わからない」
ようやく、正直にそう言った。
日向はそれ以上は訊かない。
ただ、谷の向こうを見る眼差しを、少しだけ硬くした。
焼け落ちた村と、山に連なる煙。
もしここが、倭を照らす“中心”だとしたら――
争いは、この地そのものを呑み込もうとしている。
女王国は、何を選ぶのか。
そして壹真は、なぜこの時代に呼ばれたのか。
次章――「女王国の決断」は、NOTEにて全文公開。
「失われた光」は、Web小説と主題歌「Lost Light」が同時に紡ぐクロスメディア体験。
アニメではなく、“読む冒険”がここから始まる。
主題歌を聴く ➡ https://linkco.re/1SGztvQR
公式サイト ➡ https://sumikazama.com/novellostlight




