第76話・追加料金
「あの声は……藤堂堅治、本物の藤堂堅治だ」
この一言で、部屋はたちまち沈黙に支配された。エアコンが吐き出す低く単調な音だけが部屋に響き、湿気を帯びた生ぬるい風が、壁に染みついたタバコの臭いを運ぶ。
――むせるような感覚は、空気のせいか、それともプレッシャーのせいか。
「オレは、藤堂堅治と間違えられてここに連れてこられたんだ」
先ほどの戦闘で、日本にいる本物の藤堂堅治との会話を、傭兵団の全員に聞かれてしまった。これは、特殊な広域通信であるstealth-seed system:通称トリスを使い、彼のレクチャーを受けながら戦場を駆け抜けたからだ。
通信教育を受けながらの実戦。それは、素人同然のオレが生き残るために、望月部長が提案した策だった。
「この事がハリファにバレたら、オレも穂乃花も間違いなく殺される。……皆を、信用していいんだよな?」
「どうやら、かなり複雑な事情がありそうですね」
ジャックは一同を見渡し、静かに口を開いた。
「改めて聞くけど、No.10、君は誰なの?」
「HuVer設計技師、零士・ベルンハルトだ」
ハリファの目的は最新型HuVerの戦場投入。それに関してはこの場の誰もが納得できる話だった。戦時下においては珍しい事ではない。
オレは続けて、藤堂堅治が急病で入院した事や、彼を手駒にするために妹の穂乃花を拉致した事まで、起こった事の全てを話した。
「なんだそりゃ! そんな理由で穂乃花さんまで拉致るのかよ!!」
「ああ、確かに酷い。お前らが一方的にとばっちり受けただけって話だよな」
キングが怒り、そしてリーダーが共感を示した。それでなにかが変わるわけではない。それでも、オレや穂乃花の事で怒ってくれる気持ちに、少しだけ胸が熱くなった。
本来ならば藤堂堅治が拉致されて、この戦争に駆り出されていたはずだ。日本ではテロリストとして扱われ、真実は闇に葬られる。最終的にすべての責任を彼に押しつけ、角橋のスキャンダルも闇に消す――そんなシナリオが用意されていたのだろう。
しかし、藤堂堅治の代役として、オレが渡航するというイレギュラーな事態が起きてしまった。
「でも、それだと一つわからない事があるよね?」
そう、この話には一つだけ矛盾点がある。ジャックはそこに気がついたようだ。
「戦争に参加させる目的なら、ここにくるのはベテランオペレーターが最適解のはず。それなのに、なぜ設計技師の君がここにいる?」
「……オレが聞きてぇよ」
角橋もドゥラも、わざわざオレを選ぶ意味がない。それは最初からわかっている。
「つまり、本来の拉致計画とは、別の思惑を持つ誰かが介入してる可能性があるね」
「——っ」
ジャックの推理に思わず息を飲んだ。
「まだ、他にも敵がいるのかよ……」
今迄は、ドゥラが織田真理を使ってオレを拉致したのだと思っていた。それ以外に答えが見つから無かったからだ。——矛盾は感じていた。それでも、そこに第三の意思があるなんて、まったく考えが及んでいなかった。
「……ところでこの先、名前はどう呼べばいい?」
「好きでいいさ。藤堂でもNo10でも。ハリファにバレなければなんでもいい」
「じゃあ、考えておくよ。とりあえず藤堂。これからどうするの?」
「もちろん生きて日本に帰る。穂乃花とアスマ、タラールを連れて」
「そうさじゃなくてさ……」
――その瞬間、ジャックの目つきが、傭兵特有の冷たい光を帯びた。
「復讐は、しないの?」
そのひと言に、オレの心臓が大きく跳ねる。口から心臓が飛び出さんばかりの勢いだった。
「どうなんだろう……それが正しいのかすら、わからなくなってる」
そもそも、オレにとっての復讐の相手は誰だ? 拉致を指示したハリファ? テロ組織に与している角橋と織田真理? それとも第三の意思か?
……そんなの、わかるはずがない。
「少なくとも今は、生きて帰る事しか頭にないよ。それに、日本は日本で仲間が動いてくれているはず」
望月部長や言問先輩、面識すらない藤堂堅治。事件の真相は彼らに任せるしかない。中東からでは、日本でなにが起きているかまったくわからないのだから。
「皆こそどうするんだよ。死ぬつもりなんてないんだろ?」
反政府組織ドゥラは、すでにNATOと米軍に包囲されている。兵力差は圧倒的。二万対二千。どう足掻いても一筋の勝ち目すらない。
……攻撃が始まれば、ドゥラは半日も持たずに壊滅するだろう。
「さあな……」
しかし、そんな現実をわかっていながらも、リーダーは素っ気なく返すだけだった。
「さあなって、なにも決めてないのか?」
「悪いかよ。目的のためにどこに行くのがベストなのか、その時にならないとわからねぇんだよ」
「目的って、傭兵チームの?」
「――クソ兵士をぶっ殺す!!」
いつになく哀しげで、怒りに満ちた声。
「俺個人の、だ」
婚約者を殺した兵士への復讐。アスマの姉でもある女性が、両親ともども無残に殺された事への報復。それは、彼にとって当然の感情であり、足枷でもあり、そして……生きる糧でもあった。
いまだに肯定はできない。それでも、リーダーやアスマの心に平穏が訪れてくれるのなら、と思う自分もいる。
「でも相手がわからないんじゃなかったのか?」
「それがね、バジャル・サイーア軍のデータベースを調べもらって、ついさっきわかったんだ」
「調べてもらったって誰に? 軍の機密情報なんて、そんな簡単に手に入るものじゃないだろ」
ジャックの人脈はわからないが、軍のセキュリティから情報を抜くなんて、普通は不可能だ。
「——当たり前でしょう。簡単に手に入る情報に、たいした価値なんてありませんよ」
部屋の入り口から聞こえた声に、オレは本能的に身構えた。頭で考える必要がないくらい、脊髄反射で否定すべき男がそこにいる。
嫌悪感をあらわにしたのはリーダーもだった。ドアの脇に立つ、タブレットを持った男に不機嫌な視線を向けた。
「もう金は払っただろ。なにしにきやがった?」
「つれないですねエースさん。そんなに嫌わないでくださいよ。おまけの報告を持ってきてあげたのですから」
タブレットの男は、折り畳まれた紙の切れ端をリーダーに差し出す。
「追加料金は、あなたの命かもしれませんよ」
「——っ」
リーダーは、そのひと言を聞いてなにかを察したようだ。紙を奪い取り、震える手で開くと、タブレットの男を睨みつけた。
「これは間違いないのか?」
「ええ、もちろん」
リーダーがニヤリと笑う。なにかが、体の奥底から湧き上がってきているようだ。時々肩を揺らしながら、小さく笑いを漏らしていた。
「なんでリーダーとあの男が……」
「大丈夫。タブレットの彼は、最初から味方だから」
「……は?」
ジャックに言われても、今回ばかりは素直に頷けなかった。オレを拉致した、この胡散くさいタブレット野郎が味方だと?
「……悪い冗談だろ」




