第71話・取引先とは……
「会長、どうしたのですか?」
夏希先輩が会長と呼ぶのは、ナッツ婦人会のリーダー。俺の横で日本刀を構えたまま固まっている、商店街会長の奥さんだ。
そして、この女性が商店街の裏ボスだった。
彼女はツカツカ……と夫の前まで歩み寄り、右手をスッと出した。
「お、おまえなにをしに……」
「ちょっとアンタ。財布出して」
「え、財布って、なんで……」
「いいから早く。さっさとおし!」
商店街会長が渋々とポケットから財布を取り出すと、裏ボスは間髪入れずに奪い取った。この夫婦の力関係は、誰がどう見ても明白だった。
……先ほどの『やられる前にやる』と威勢よく啖呵を切っていた会長は、どこへ行ってしまったのだろうか。
「し、仕入れの金には手をつけてないぞ」
「当たり前さね。そんな事したらアンタの帰る家はないよ!」
裏ボスは旦那の財布から金色の札を取り出し、『これを持ってお行き』と、織田さんに手渡した。表面には複雑な文様と、赤い文字で”福財宝“と書かれている。大きさはクレジットカードの半分くらいで少し厚みがあった。
「御守り、ですよね。金運の……」
わけがわからず、織田さんと顔を見合わせた瞬間、裏ボスはニヤリと笑って自分のスマホを取り出した。
「わからないかい? スマホに繋がっているんだけどね」
「あ、もしかしてスマートタグですか?」
「正解!」
他にも、キーホルダー型やカード型、シール状のものまで種類は豊富だ。特に最近は、子供の犯罪防止や迷子対策で持たせる親が増えているという。
「すまーと……? なんぞ?」
「GPS機能で、現在位置の把握ができるアイテムですわ」
首をかしげる商店街会長に、織田さんが丁寧に解説する。……まるで、おじいちゃんを介護する孫娘のようだ。
「はあ? なんでそんな物がワシの財布に……」
裏ボスは鋭い眼光を放つと、会長の言葉が終わるのを待たずに口を開く。
「アンタがどこの店に行ってもわかるように、入れておいたに決まってるだろ」
「ワシを騙したのか。金運がよくなるって言ってたじゃねぇか……」
「ホント情けないねぇ。御守りひとつで金が入ってくるならなんの苦労もないさね」
そのひと言に、周りのスケベ親父たちも腕を組んで深く頷いた。どうやら同じ経験があるらしい。
「あの……会長さん、大丈夫でしょうか?」
「真理ちゃん、だったね。夏希から聞いたよ。なんだか厄介な話になってるみたいじゃないか。一応、保険だと思って持ってお行き」
「でも、申し訳なくて……」
「なに言ってんだい。夏希の後輩とその嫁なんて、もう家族みたいなもんじゃないか」
織田さんの頰が赤らむ。嫁と言われて照れるのは仕方ないだろう。
……例え相手が誰であっても、だ。
なぜそうなったのかはわからないが、裏ボスの認識は、俺と織田さんが結婚秒読みらしい。零士・ベルンハルトの存在を知らないのだから仕方がないけど、正直少しモヤモヤする。
「ほら色男、持って行きな」
裏ボスは自身のスマホを俺に投げてよこした。
「緑のアイコンを押せば、嫁の位置がわかるから」
言われるがままタップしてみると、簡易的な地図が表示されて、中央に赤い点が点滅していた。
「でも、いいのですか?」
「ここまで関わった以上、二人にはぐれられたら目覚めが悪いさね。遠慮せずに持って行きなさい」
裏ボスの厚意は非常にありがたい。まさしく渡りに船だ。
「藤堂、素直に借りておけよ」
「八神……」
「こうなってくると、俺や夏希のスマホも監視されている可能性があるからな」
確かに……この店を張られている以上、店の番号や親父さんたちのスマホまで角橋の監視下にあると考えた方がいい。
「なんだい慶坊、そんな事までしてくる連中なのかい」
「ええ、相当厄介ですよ」
「そうかい……」
直後、裏ボスは夫からスマホを奪い取り、『あとでちゃんと、二人で返しにくるんだよ』と、織田さんに渡した。
「ちょ、ちょっと待て。それには大事な取引先の番号が入って……」
「はあ? 馬鹿をお言いでないよ。なぁにが取引先だい、キャバクラのルミとかケイコとかだろ?」
「な、なんで知ってんだよ……」
日本刀を構えながらも、奥さんの勢いにすっかり委縮する会長。周りの面々は『あ~、これは仕方ない』と諦めの境地だ。
最初は少し可哀想に思ったが、夏希先輩曰く『裏では結構旦那さんを立てている』のだという。実際、スマホの電話帳に三十件もの源氏名が並んでいても、消したり取り上げたりしないのがその証左らしい。
なんだかんだと言いながらも、夜遊びをストレス発散と容認する懐の広さは、”敵に回してはいけない人“なんだと痛感させられた。
「あ、あの、会長。あとでちゃんと返しにきますから」
「……頼むでぇ、兄ちゃん」
——そして、涙目の会長を無理矢理に立たせて、夏希先輩の作戦が始まった。
まず、スケベ親父たちが店の入り口から出て黒服ににらみを利かせる。続いて、織田さんに扮した夏希先輩と、俺に背格好が似ている写真屋の竜さんが囮として走る。……はずだった。
「なんだ、青臭いガキどもじゃねえか」
「あれでワシらの相手になるのか?」
「なめられたもんだな、俺らもよぉ……」
バールや刀を手の平や肩にポンポンと当てながら、黒服を威嚇し始める。みんな酒が入って気が大きくなっているのだろうけど、無駄に煽るのはやめて欲しい。特に会長、自棄にならないでくれ。
……しかし、そんな願いが届くような彼らではなかった。
「めんどくせえな、やっちまうか」




