第61話・泥舟
「それで織田さん、部長と連絡を取る方法って?」
「美郷にメッセージを入れるだけです」
「いや、だからそれを見られてしまう可能性が……」
「藤堂さん、甘いですよ」
織田さんは人差し指を軽く振ってみせた。チッチッチッ、と口を鳴らす音が、妙にコミカルだ。指の向こうに見えるイタズラっぽく火照った笑顔を見ていると、ここにきたのは正解だったと思わせる。
「見られても大丈夫な内容を送ればいいんですよ」
「それはわかりますけど……」
「これです」
スマホ画面には、動画サイトの検索ページ。俺が生まれるよりも前の、古い映画タイトルが見える。
「ロッキー……ですか?」
「ええ。伝説の名作です」
……これが、織田さんと美郷さんの間で通じる暗号なのか?
「これを美郷に送れば、そうですね、三十分後くらいには連絡が取れると思いますわ」
「は、はあ……」
本当にこんな事で大丈夫なのだろうか? 俺が内心で首を傾げている間にも、織田さんは上機嫌でメッセージを送信した。
「藤堂さん、暇つぶしになにか面白い話でもしてください」
「え~……なんですかそれは」
昼間のトーク番組のような無茶振りだ。
もちろん俺に笑い話のストックや才能なんてない。どうやって誤魔化そうかと固まっていると、八神がすかさず助け舟を出してくれた。
「あのさ、面白そうな話ならあるけど?」
さすが親友、イージス艦くらい心強い。『面白い』ではなく『面白そう』という曖昧な言い回しが、逆に女性陣の興味を引いたようだ。
しかし……
「藤堂、さっき言っていた妹の十円玉ってなんだ?」
「……泥船かよ」
「なんの話だ?」
「知るか」
織田さんはテーブルの上の烏龍茶を一口飲むと、『ふう』と一息を入れてグラスを額に当てた。ひんやりとした水滴が彼女の頬を伝って流れる。
……それ、俺に持ってきてくれたんじゃないのですか?
夏希先輩も八神の分を飲み始め、俺たちの前には、すでに汗をかき切ったペットボトルが佇んでいた。
――カランッ
グラスの中で氷が鳴る。……とても涼しげでうらめしい。
「あの、これは小学生のころの話です。子供のやる事ですよ? 後で『酷い』とか『鬼』とか言わないで下さいね」
「わかったからちゃっちゃと話しちゃおうよ」
夏希先輩が、『ほらほら、早く』と促してくる。俺は生ぬるいお茶を一口飲み、ゆっくりと切り出した。
「新品の十円玉って綺麗な色していると思いませんか?」
「うん……?」
「あ〜……まあ、そうよね」
八神夫妻が顔を見合わせる。『なにを言いだすの?』とでも言いたげな表情だ。一方、織田さんは逆に目を輝かせて身を乗り出した。『続きは?』と、ニコッと首を傾げる。
「穂乃花が……えっと、妹が小学一年か二年のころに、新品でピカピカの十円玉が大好きだったんですよ」
十円玉は銅の比率が高く、青みがかった独特な輝きを持つ。金や銀のように派手にギラつかない、上品な美しさだ。
「だから俺も、新品が手に入ったら使わないでおいたんです」
今になってみると、『ちょっと可哀想だったかな?』と思わなくもないけど、前置きした通りこれは小学生の頃の話。
……すでに時効だ。
「ピカピカの十円玉を、百円玉と交換してやるって言ったら……それはもう大喜びで」
「堅ちゃん、それはないわ〜」
「ひどくね?」
八神夫妻の容赦ないツッコミが飛ぶ。
「ところでそれ……何回交換したのです?」
織田さんが見透かしたような笑みを浮かべながら、飲みかけの烏龍茶を俺に手渡してきた。グラスに薄っすらと残る口紅の跡に、思わず指が止まる。
「……藤堂さん?」
「あ、いや、すいません。さすがに記憶にないです」
妙な後ろめたさが先に立って、織田さんから目を逸らす。だが、彼女は俺の視線の先に顔を動かして、覗き込むように見つめてきた。
「まだあるでしょ、余罪」
「う……」
「洗いざらい吐いた方がスッキリしますよ?」
そう言いながら、スマホのライトを点け、取調室のように俺の顏を照らしはじめた。目は真剣なのに、その口元は明らかに緩んでいる。
……楽しそうでなによりだ。
「えっと……母親が夕飯の買い物に行ってくる間に『風呂掃除をしておいて』って五百円で頼まれたのですが」
「まさか……」
「ピカピカの十円玉やるから風呂掃除してって言ったら……その、すごい喜んで……」
「鬼を通り越して悪魔ですわね」
「……」
どうして俺は、こんな馬鹿正直に話してしまっているのだろう。織田さんに見つめられると、どんどん“ガワ”が剥がされていく気がする。
「でもまあ、その話のおかげで妹が本物だとわかったんだろ?」
「あ、ああ……そうだな」
突然、『あなたの妹が中東のテロ組織に拉致されました』なんて言われても、そう簡単に信じられるはずがない。
だから、『十円玉』というキーワードが出てきた時には、それが現実なのだと……嫌でも認めるしかなかった。
「——ねえ。それ、どういう事?」
夏希先輩が、八神の言葉に鋭く反応した。俺の表情を読み取り、よからぬ事態を察したらしい。
「本物の妹って、なに?」
「えっとですね……」
俺は、今日あった出来事をかいつまんで話した。社内のスパイと黒服、拉致された妹の事。
ひとしきり聞き終えた彼女は、目を細めて俺と八神を交互に見てため息をつく。
「ったく、なにやってんのよ……」
※十円玉と百円玉のエピソードは実話です。誰の、とは言いませんが。




