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ファントム・シェイド ~5000マイルの絆~  作者: 幸運な黒猫
第六章:襲撃・暗躍・唐変木(日本)

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第60話・予定外

 ――零士・ベルンハルトが戦えているのは、結果論に過ぎない。


「生体認証システムがなければ、わざわざ角橋(うち)のオペレーターを拉致する必要はなかったはず」


 戦地に送り込む兵器としては、あまりに無意味で不要な機能だ。


「つまり、お前がこうなったのも、そのシステムのせいって事だな」


 ――そしてその理屈は、トリスにも当てはまる。


 この端末にしか繋がらない通信システムなんて、テロ組織からすればまったく価値がないのだから。


「あ……そうか……」


 戦場において不要なシステム。『なぜつけたか?』ではなく『なぜついているのか?』。そこが鍵なのかもしれない。


「トリスが、会社が把握していない予定外のシステムだって話は、さっきしたよな?」

「ああ。上司が勝手につけたんだろ?」

「もしかしたら、生体認証システムも……会社の予定外だった可能性があるんじゃないか?」


 部長は、世界が注目するエキスポの会場でトリスを公表し、同時に特許申請をするつもりだった。同時に、実地データまで取る算段だったのだろう。


「もし、生体認証システムも同じ理由で搭載されていたとしたら?」

「話は変わってくるな」

「どの段階で実装されたのか……それがわかれば……」


 最初から生体認証システム込みで設計されていたのなら、それは角橋のオペレーター専用機だ。テロ組織とは関係なく設計された機体と考えて差し支えない。


 ……しかし、もしトリスと同じく、途中から試作パーツとして組み込まれたのだとしたら?


 それは会社にとってもテロ組織にとっても、予定外の機能だったはず。だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()——そう考えられる。


「調べる方法があるのか?」

「多分、望月部長に聞けばわかると思うけど……」


 俺は検索画面を閉じ、電話帳を開いた。


「ちょっと待て、藤堂。昨日お前たちが行った時、通報されて警察がきたんだろ?」

「ああ。織田さんは『警告じゃないか?』って言ってたけど」

「なら、電話やメールは盗聴されていると考えた方がいいんじゃないか?」

「そうか……そうだよな……」


 盗聴されているとしたら、部長の家の固定電話やスマホ、更にはメッセージアプリやメールも監視下にある可能性が高い。


 ……そしてそれは、俺や織田さんも同様だ。


「どうやって連絡を取ればいいのか……」

「——あら、ありましてよ」


 その声と同時に襖がスッと開き、片手にお盆を持った織田さんが入ってきた。そこには汗の浮かんでいない烏龍茶のグラスが二つ。俺たちを気遣ってくれたのだろう。


 彼女の頬が赤く火照っているのは、酒が入っているからなのか。艶っぽく、楽しげな雰囲気なのに、俺はなぜか、息苦しさを感じていた。


「お二人の興奮した声が廊下に響いていましたわ」

「ねえねえ、真理ちゃん。連絡方法あるの?」

「もちろんです。難しく考えすぎですよ」


 ……しかし彼女の答えを聞く前に、八神はあっさりと撃沈してしまう。

 

「ふ~ん。『真理ちゃん』って呼んでいるんだ?」

「え……」


 それは、廊下から放たれたトゲのある言葉が、彼をグサリと刺したからだった。


「いつから慶太は、私以外の女をちゃんづけするようになったのかな?」


 織田さんの後ろから、見知った女性が顔をのぞかせた。懐かしくも変わらない、あっけらかんとした笑顔。


「あ、お久しぶりです、夏希(なつき)先輩」

「もう先輩はやめてって、堅ちゃん」


 突然砕けた空気に、織田さんも興味を引かれたらしい。烏龍茶を俺の前にそっと置きながら尋ねてきた。


「あら、二人はお知り合いなのですか?」

「ええ、大学ラグビー部のいっこ上の先輩で、マネージャーをやってたんですよ」


 ……そして今は八神の奥さんだ。 


「当時は魔法のヤカン持って走り回っててさ」

「ちょっと堅ちゃん、そういうのもういいって」

「ヤカン天使ナッキーってあだ名が……」


 ——げしっっ!


「蹴るよ!」

「もう蹴ってるじゃないですかぁ。ほんっと、全然変わらないですね」


 腹を抱えながらケラケラと笑う織田さん。どうやら笑い上戸らしい。


 遥か昔、親戚のおばさんから『嫁にするなら、よく笑い、よく食べる()を選びなさい』と言われた事がある。当時は意味がわからなかったけど、今なら少し、わかる気がする。

 

「ところで藤堂さん。魔法のヤカンってなんですか?」


 顔を覗き込むように質問してくる織田さん。俺は、その紅の差した表情を正面から見られず、視線を逸らしてしまった。


「ラ、ラグビーって、練習でも試合でも、タックルで気を失うなんてザラなんです。それで、その、そういう時に、頭から魔法の水をぶっかけると一発で目を覚ますんです」


 ふう、と息を吐いて視線を上げると、夏希先輩と目が合った。彼女は意味ありげにニヤリと笑い、俺の代わりに話を続ける。


「そんなこんなで、魔法の水とか魔法のヤカンって昔から言われていたのよ。実際はただの水道水なのにね」

「プラシーボ効果みたいなものですか?」

「もっと単純だと思うよ。脳筋の運動部だし」


 ……先輩、それ、炎上発言です。


「おまけにさ、『これは神聖な歴代のヤカンだ』とか言って、ボコボコの錆びたヤカンが部室の神棚に置いてあったのよ。アホでしょ」 

「あ、先輩、そのへんで……」

「おまけに、部室なんて野良犬の臭いしかしないのよ。窒息死するって!」


 倒れた選手の元へ、魔法のヤカンを持って颯爽と走り寄る夏希先輩の姿は、ラグビー部員全員の憧れだった。


 ……今のひと言を聞いたら、百年の恋も冷めるだろうな。


()っちゃん、今日は婦人会じゃなかったの?」


 八神が口にした婦人会とは、ここの商店街の奥様方で構成される裏の組合だ。隙あらば飲んだくれてしまう旦那たちを、キビキビと働かせるための集まりらしい。


「もちろん行ったよ。だけどさ、八百屋の奥さんから『八神さんとこに綺麗な娘が入ったらしいじゃない』ってひと言が出てね」


 ちなみに、正式名称はナッツ婦人会。『千葉だからピーナッツなのか』と思ったが、その実、ノルマンディー上陸作戦にちなんで名づけられたという。


「そしたら皆、なにかを察してさ。押しかける事になったのよ」

「そうか、あの歓声ってもしかして……」

「あ、聞こえてた?」


 さっき店内から聞こえた盛り上がりは、スケベ親父たちの悲鳴だったのか。織田さんにデレデレしている所に奥様方が集団で乗り込んできたら――阿鼻叫喚の地獄が目に見える。


「写真屋の竜さんも金物屋のゴリ爺も、首根っこ掴まれて帰って行ったよ」


 同じ商店街の中で持ちつ持たれつでやっているのだろうけど、それでも店が()っているのは、婦人会の生存戦略のおかげかもしれない。 


 ちなみに、夏希先輩が八神と結婚した当初も、同じように話題になったらしい。


 ――当然、夏希先輩はナッツ婦人会から目をつけられていた。


 ある日の配膳中、尻を触ってきたゴリ爺に、夏希先輩は回し蹴りを入れ、なぜかそこにあったヤカンで一発殴ってしまったそうだ。


 さすがに『やり過ぎた』と思った夏希先輩は金物屋に謝罪に行った。警察沙汰も覚悟の上で。


 しかし、彼女を迎え入れたのは喝采だった。

『よくやってくれた!』

 ゴリ爺の奥さんは、夏希先輩の顔を見るや否や、婦人会に勧誘したそうだ。


 彼女はナッツ婦人会の設立者の一人。曲がったことが大嫌いな、一本すじの通った昔気質(むかしかたぎ)の人だった。


 ……ちなみに、今もゴリ爺のこめかみには、ヤカンの口の跡がU字にくっきりと残っているそうだ。


※ 1944年ノルマンディー上陸作戦。十二月のバルジの戦いで、指揮官代理のマコーリフはドイツ軍の降伏勧告に対し「Nuts! -バカ野郎!-」と答えた。

某海外ドラマでは、この話を持ち出して主人公に「Nuts!」と言わせる場面があったが、視聴率がイマイチのその作品は打ち切りになってしまう。しかし熱烈なファンが抗議としてTV局にトラック山積みのピーナッツを送りつけ、無事継続することになったという話もある。

ちなみに某国航空機のナッツリターン事件とは全く無関係。

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