第38話・覚えていますか?
俺たちは、とにかく姿を消そうと走った。駅へ向かい、千葉方面行きの電車に飛び込んだ。持っている物は貴重品とトリスのみ。いや、考えようによっては、トリスこそが一番の貴重品だろう。
……ちなみに、本日全力疾走三回目だ。
妹が拉致された精神的ストレス。寝不足と自室サウナ化、栄養のない“しなしなレタス”。プラス格闘と拳銃。ありとあらゆる要素が混ざって祟ってヘロヘロ。電車に乗り込んだ瞬間、シートに倒れ込んでしまった。
「藤堂さん大丈夫?」
「平気ぃ。……です……」
平日の昼間という事もあり、車内はガラガラ。もし怪しげな人がいれば、すぐにわかるのはありがたい。
「もう、大丈夫そうです」
とりあえず、追手の心配はなさそうだ。俺のマンションや望月部長の家のように、会社にデータがある場所ならともかく、今、向かっている先まではわからないだろう。
「こんな醜態を晒してしまうなんて……情けない」
「あら、今更ですよ。お気になさらず」
……これって、励まされているのか?
「それにしても、なぜ言問が藤堂さんの住所を知っていたのです?」
「俺を訪ねて本社に行ったらしいんですよ。そしたら退社していたから、社員台帳で調べたそうです」
「——っ」
絶句する織田女史。
「どうしました?」
「……はぁ」
そして盛大なため息をひとつ。
……そこまであからさまだと、さすがにちょっと凹んでしまう。彼女の視線が妙に痛い。
「藤堂さん。ラーメン屋で質問した内容覚えていますか?」
「えっと……なんでしたっけ?」
「スパイの人物像です」
「人事部を通さないで、え~と……社員のデータを勝手に閲覧できるレベルにいる人。でしたよね?」
人事部を通さずに社員台帳を閲覧できる者。厄介なのは、その権利は重役以上の社員に限定されているという事実。その為、“俺のデータをテロ組織に横流しした犯人”はある程度限定されるが、その肩書きが邪魔をしてなかなか調査する事が難しい。
更には単独犯という事も考えにくく、組織的な……
「あっ……」
「気がつきました?」
「……はい」
「富士吉田支社の、いち営業マンの言問が、なぜ、本社で社員台帳の閲覧が可能だったのか、と」
――それだったのか。
なにか大事な事を忘れていると思っていたけど、そこに引っかかっていたんだ。
「すみません。俺が最初に気がついていれば……」
「いえ、責めているのではありませんわ」
……なにをやってんだよ俺は。電話の時点で答えが出ていたじゃないか。
「ただ、逃げたのは失敗だったかもしれませんね。言問に“データを閲覧させたのが誰なのか”を吐かせるべきでした」
「そうですね、なんかもう色々とすみません。あなたを助ける事ばかり考えてしまっていて……」
「いえ、それに関してはお礼をいわなければなりませんわ。それに……」
といって、胸ポケットを指差す。そこには、件のUSBメモリが入っている。
「これに手掛かりが入っているかもしれませんから」
「なんのデータが入っているんですか?」
「三年前に角橋重工の視察団数十名が、エキスポ会場に行った時のものです」
エキスポ参加国募集のために開催された、レセプションパーティー。そこには世界各国から企業関係者が集まったそうだ。
「あ、たしかその時、HuVerや、AIドローンの技術共有とかも行われたはずですよね?」
「ええ、調べる価値はあると思いません?」
今回の拉致事件が、突発的な物ではない事はすでにわかっている。明らかに計画されたものだ。
その事と、三年前のレセプションが直接関係あるかわからない。でも、どんな企業や人と関わりがあったのか、そこからテロ組織と繋がる事があるのか。織田さんの言う通り、調べる価値は十分にあると思う。
しかし……
「ですが、織田さん。これって相当ヤバイですよ?」
訴えられたら完全に負ける。たとえ会社がテロ組織と関りを持っていたとしても、法律上はこちらに非があるのだから。
「――望むところですわ! あんな連中を派遣するような会社、負けるわけにはいきません」
世界的大企業が相手だ。正直、勢いや気持ちだけで勝てるような相手ではない。だけど、そこまで意思が固く、自ら危ない橋を渡るというのなら……少なくとも俺は、彼女が橋から落ちないように支えるまでだ。
「生活はどうする気ですか?」
「そうですね……」
彼女は、心底楽しそうな笑顔で、冗談とも本気とも取れない事を言う。
「二人して、清里のペンションで雇ってもらいましょうか」




